探訪

[地域][産業] 千葉県銚子市 (3)−4 漁港外港、ポートタワー、ウオッセ

「銚子の川口てんでん凌ぎ」…銚子の船方ならば皆知っている警句です。特に利根川河口を出るときの大きなピッチングで我が身を支えるのが目1杯、人の助力は期待できないと云う意味なのです。 更に岩礁に覆われ、水深が浅く風波潮流の難所でしたが、現在は河…

[地域][産業] 千葉県銚子市 (2)−4 漁業の現況は、

銚子の玄関口JR銚子駅から真っ直ぐな道が利根川に向け通じております。東京近辺からまいりますと街の雰囲気は田舎共通の過疎感は否めないのですが、 お江戸以来繁盛し有力な産業を抱える土地がこれでは良くはありませんと、何時もの私の感覚です。……なんと…

[地域][歴史] 千葉県銚子市 (1)−4 銚子の由来

昔から地理的条件で揶揄される街が銚子でした。 反面、私などは子供の頃から地図を開く度に地の果て銚子のイメージに好奇心を刺激され、一度は行ってみたい場所でもありました。 が、地球規模での銚子の位置は親潮、黒潮の合流による絶好の世界三大漁場を眼…

[地域][探訪] 船橋 市川の探訪 (4)−4 船橋散策案内

船橋市は首都東京の衛星都市的なロケーションとその住宅地。 また埋立地には諸工業が立地して日本一の千葉港の一端を担っております。 古い私には現代の船橋市の実体はよく分りません。…と云う事で私のイメージ…海苔、貝など東京湾奥の最大の漁師町、江戸時…

[地域][探訪 船橋 市川の探訪 (3)−4 船橋という街 永井荷風、太宰治

船橋市は二番目が良く似合うところです…。 明治以来今日まで千葉県都市人口で第2位を続けております。 因みに明治3年の一位は銚子で、二位が船橋でした。 その後は大正10年千葉市が誕生して県庁所在地として台頭、2012年の統計では千葉市 963.120で一位、船…

[寺社] 船橋 市川の探訪 (2)−4 法華経寺大荒行、本阿弥光悦、伊藤忠太

法華経寺の11月の行事に大荒行の入行式と聖教殿の国宝、文化財のお風入れ、お会式の3つの大行事が毎年行なわれております。 例年11月3日、聖教殿の「お風入れ」で収納された国宝、重要文化財が一般公開されます。先日参詣した時この拝観者の通路整備など作業…

[寺社][地域] 船橋 市川の探訪 (1)−4 中山の巨刹 法華経寺

下総中山に大きなお寺さんが在るのを知ったのは15,6年前の事でした。 千葉と云えば成田山新勝寺が思い浮かぶのですが、東京に近い場所に国宝、重要文化財の宝庫が在ったのです。 市川には戦後、文豪永井荷風が移り住み、市川から船橋にかけて、隈なく散策し…

[探訪][地域][河川]  江戸川(7)−7 浦安町バーチャル手帳

旧浦安町の住民にとっては「青べか物語」は余り歓迎すべき小説ではなかった様子です。 私も今更読み返して、土地の人達は浦安の悪口を書いた小説と考えたのか?、また、飾らない女性描写も御婦人には不満が在ったのかも知れません。…往時、森繁さん主演の映…

[探訪][地域][河川]  江戸川(6)−7 懐旧の浦安町

昭和35年(1960)文藝春秋に山本周五郎さんの「青べか物語」が連載され、漁師町浦安のしたたかな生き様、人情、叙情に私はなぜか魅了され、以来浦安は身近な懐旧の場所となっておりました。 周五郎さんが蒸気河岸の先生と呼ばれ住付いのは大正15年〜…

[河川][交通流通] 江戸川(5)−7 利根運河 銚子航路蒸気船から筏(いかだ)まで

今回は運河のお話です。…早速ですが、運河と言はれると何方様もそれぞれのイメージがお在りとおもいます。 私などはパナマ運河、スエズ運河を先ず考え、東京近辺では京浜運河でしょう。 しかし運河と称しても道路橋が架かり本船はおろか、せいぜいボートか艀…

[人物][幕末][河川]  江戸川(4)−7 流山、近藤勇の生き様

由緒のある神社やお寺などそれぞれ伝説がありまして、境内には立派な石碑など用意して、その有難いお話を残しております。 お寺さんの最大公約数的な伝説は「夢枕のお告げ」でしょう。 寺の御住持の見た夢が…大体は地蔵様や菩薩など仏様が夢枕にお立ちになり…

[河川][地域]  江戸川(3)−7 味醂の街流山と近藤勇、小林一茶

流山市は千葉県野田市と松戸市に挟まれた街です。この地は江戸時代には良質の水と名産の米を利用した味醂醸造が盛んでした。また、お江戸の物流大動脈の河岸としても栄えた街です。更なる歴史は附近の原野は平将門以前から馬の牧として受け継がれ、江戸幕府…

[河川][交通流通] 江戸川(2)−7 行徳新河岸と日本橋長渡船

江戸っ子の成田詣の定番コースは日本橋から渡船(長渡船と呼ぶ)で江戸川の行徳新河岸に上陸、船橋宿を経由して成田街道からお不動様の参詣です。 日本橋を流れる日本橋川の小網町(3丁目)には行徳河岸がありました。今の箱崎ターミナルの下になります。 …

[河川][地域]  江戸川(1)−7 川という人工導水路と防災安全性は。

江戸川の流頭は千葉県野田市関宿町で利根川からの分流です。流入量の調節に江戸川関宿水閘門があります。 往時の関宿とは、徳川家康公が1590年江戸入府し早速北の要害としての関宿藩に松平康元(家康の異父弟)を城主に置きます。 その時、江戸川は未だ…

[地域] 東海道品川宿(6-6)歩行新宿、品川神社と東京サウスゲート計画の進捗。

東京サウスゲート計画、下水道局浄水池空間有効利用1号NTT都市開発ビル工事 お江戸日本橋から品川宿に入りますと旧街道を歩行新宿(かちしんしゅく)と呼ばれます。 本来品川宿は目黒川を挟んで北品川、南品川とされ、更に江戸寄りに新宿が認められ三箇…

[寺社]  東海道品川宿(6-5) 南北の天王さま 荏原神社、品川神社。

大井から旧東海道品川宿を歩きましたが、街道筋は雑然とした昔の面影を残す商店街が続きますが、街道の山側へは無数の路地が残り、奥にはお寺があり懐かしげな民家の雰囲気も楽しめます。 時間をかけて路地を出たり入ったりするのが、品川宿散策のコツかも知…

[社寺][将軍家]  東海道品川(6-4) 東海禅寺 禁中並公家法度の断罪沢庵和尚

徳川家康公制定の二大法度、武家諸法度と禁中並公家法度は天皇によらない日本国統治の不磨の大典と言えるかも知れません。 上)東海禅寺境内 下)東海寺大山墓地 鉄道の父井上勝 現在日本国は、すでに幕藩体制と武士の時代ではありませんから武士法度は措く…

[人物][寺社][幕末]  東海道品川(6-3)海晏寺 岩倉具視の危い塋域

品川海晏寺(かいあんじ)は江戸時代は紅葉の名所といわれたお寺さんですが、広い境内は大井の丘陵の裾の部分で、お江戸の昔、秋の景観は紅葉山のようだったのでしょう。 今は墓地が最上部分に達し、そこに岩倉具視と松平春嶽の塋域があります。 不思議な事…

[歴史][地域]  東海道品川(6-2) 歴史回顧のできる場所

大森海岸から品川宿を目指して歩く2回目になります。 初めになぜ、歴史回顧の地なのか?、主要な概要から…… 孝明天皇に手を掛けた稀代の大罪か?、尊王公家岩倉具視の秘められた塋域「海晏寺」 ……将軍慶喜の大政奉還後、最後まで岩倉具視、大久保利通に対抗…

[歴史][地域]  東海道(6-1) 鈴ケ森刑場と大森海岸

東京近辺も梅雨いり間近か、今年の春は短く荒れ模様の季節でした。 原子力発電に関わる騒ぎも止みそうにありません。 また、忘れてならない地球温暖化の弊害も深刻なのですが。… このブログもお江戸の下町やら川向こうに偏重していたので、今回は東海道を大…

[地域][風俗] 本郷 根津界隈(2)−2 根津遊郭と東京帝国大学

宝永三年(1706)五代将軍綱吉の時代の根津権現社建立以来の岡場所が明治に入り江戸四宿並みの公許遊郭になりますが、明治19年(1886)に東京帝国大学が発足します。大学と遊郭が上と下の関係…丘下根津の遊里は至近の場所柄です。 と云う事で、大…

[寺社][風俗] 本郷 根津界隈(1)−2 根津権現社と根津遊郭

昔から年寄りの一癖に「意地悪じいさん」などと云われる方が居りました。私も真似をする訳ではありませんが、本郷湯島から根津を歩いて見ますと若いお方に馴染みのない、懐かしい歌を思い出しましたので、自分勝手にロマンを楽しみます。 先ずは本郷湯島とく…

[地域][歴史]  横須賀事情(4)−9 海上自衛隊の創設期とU.S NAVY

神奈川県の中小都市として軍港の顔をもつ横須賀市が存在いたしますが、地域の展望も現状持続と考えられます。 山がせまったリアス式海岸線に沿う市街の地形的な制約は変わりようなく経済活動の選択肢は殆どないように思えるのです。但し軍港としての経済価値…

[地域][歴史]  横須賀事情(3)−9 海軍遺構と長浦港自衛艦隊

日本国と云う曖昧国家の曖昧組織が自衛隊とされます。 世界有数の防衛予算を必要とする自衛隊は軍隊でもなく交戦権もありません。… 発足以来、昭和30年代は税金泥棒とは自衛隊員の代名詞だったのです。 先頭に立って違憲集団と非難罵倒を集中させていた大…

[地域][歴史]  横須賀事情(2)−9 横須賀帝国海軍の物語

今回は横須賀軍港の象徴駅JR横須賀駅から始めます。往時、この地にアクセスするローカル線として明治22年東海道線大船駅から横須賀線が開業しました。西南戦争の12年後の事ですから如何に重要路線であったかが分ります。 その経緯とは、徳川時代末期、…

[地域][探訪] 横須賀事情(1)−9 横須賀 街の今昔

明治まで三浦半島の一寒村に忽然として西洋式の近代工業が根付き今日の横須賀の街が形成されます。小栗忠順と云う幕臣の不屈の置き土産が横須賀に日本近代工業の源泉を残した産みの親だったのです。 幕末、日米修好条約批准使節の目付けとして渡米した人で、…

[探訪][産業][地域] 醤油の街野田市 (3)−3 醤油の街を散策 

東武野田線野田市駅を下車しますと駅を中心にキッコーマンの醤油工場が目立ちますが、昔のように香ばしい醤油の匂いは漂ってまいりません。また働く人も格段に少ないようです。…… 醸造技術の革新と構内原材料の移動、仕込みの自動化が近代的装置産業に進化し…

[交通流通][歴史] 醤油の街野田市 (2)−3 人車鉄道という物流

野田の市街には醤油醸造の経過を物語る貴重な文化財が散在し東京近郊では異色の街である事に気が付きます。云い換えれば、典型的な田舎町の風情と昔の醤油富豪の遺構邸宅、文化財などと使用人、職人、樽屋などの住んだ下町的な区域の混在は、街角ランブラー…

[地域][産業] 醤油の街野田市 (1)−3 世界の調味料「醤油」

既に世界の調味料としてソイソース(醤油、Soy Source)は存在感がありますが、キッコーマン醤油が1957(昭和32年)年サンフランシスコに進出以来、努力の結実です。 しかし世界は更に新興諸国の大きい市場が存在しています、日本伝統の食品産業の更な…

[時事][地域] 芝浦港南地区 (4)−4 山手線新駅の効果は!

最近の報道で話題になっている品川、田町駅間に新駅開設の話があります。 どうやら確定ではなく、JR東日本の発案により東京都、地元などとの協議を始める段階のようです。…… 私も芝浦地域に興味を持ち、既にブログ「東京下水道物語」、「知っていますか東…