[地域][歴史]  横須賀事情(4)−9 海上自衛隊の創設期とU.S NAVY

神奈川県の中小都市として軍港の顔をもつ横須賀市が存在いたしますが、地域の展望も現状持続と考えられます。 山がせまったリアス式海岸線に沿う市街の地形的な制約は変わりようなく経済活動の選択肢は殆どないように思えるのです。但し軍港としての経済価値は世界第三位といわれ、将来も明治以来の伝統に依拠するのかも知れません。
空母を初めアメリカ艦船の母港は本国ステーツにありますが、横須賀に限り第七艦隊の実質的母港になっており、今日の世界情勢はアジアから中東に展開するU.S NAVYの最重要な基地といえます。この米海軍の補完的な組織が海上自衛隊の立場役割でしょう。 占領下の昭和25年(1950)朝鮮戦争が勃発するとマッカーサー司令官は旧帝国陸海軍の将校、士官の追放を解除し日本人による警察予備隊と称する軍隊を創設します。 この組織が独立後防衛庁に昇格し現在に至りますが、アメリカ政府は第二次大戦中にソビエットロシアに貸与したPF(フリゲート艦)やLSSL(大型上陸支援艇)を返還させ、これを日本国に貸与し海上自衛隊が発足したのです。 
昭和30代は横須賀長浦港がこの艦隊の碇泊港として今日まで自衛艦隊発祥の地として自衛艦隊司令部もあります。しかし当時の司令部はPF”けやき”や新造艦”ゆきかぜ”の艦上に在り、現在の自衛艦隊司令部の土地には神奈川県有名学校の栄光学園の本校舎で、ブイ係留の艦船と指呼の距離でした。何時移転したのか?…
     
           
上)PF(フリゲート艦)けやき、さくら型  下)DE(護衛駆逐艦)はつひ、あさひ型。アメリカ映画の名作”眼下の敵”、米海軍駆逐艦艦長ロバート、ミッチャムとドイツUボート(潜水艦)艦長クルト、ユルゲンスの海洋映画、ロバートミッチャム艦長のキャノン級DEの同型艦

発足間もない海上自衛隊に、米海軍は冷戦下のソ連潜水艦隊の抑止として日本の造船所に駆逐艦をOSP(域外調達 Off Shore Procurement)発注した新鋭国産艦を貸与します。 まず「ゆきかぜ」、「はるかぜ」の二艦に始まり、「あやなみ」、「いそなみ」、「うらなみ」、「しきなみ」、「むらさめ」、「ゆうだち」、「はるさめ」、「たかなみ」、「おおなみ」、「まきなみ」、「あきずき」、「てるずき」などの本格的DD(駆逐艦)で当時の自衛艦隊主力が構成されたのです。 その他、二次大戦時の米国製のDD(駆逐艦),PF,SS(潜水艦)など22隻を擁し、すべてがアメリカ合衆国財産が、即ち海上自衛艦隊だったのです。
敗戦国日本が世界の先進国の地位を占める現在でもアメリカ合衆国により産まれ育てられた伝統は守られ、現在の新鋭自衛艦といえども船体は国産ですが、主要兵器、装備はU.S NAVYと同じ製品、仕様です。更に作戦、戦闘マニュアルは、アメリカの対外軍事協力の基準であるNATO北大西洋条約機構)軍のATP、ACPの規範により運用実施されております。
ATP--共同戦術書 Allied Tactical Publication  
ACP--共同通信方式 Allied Communcation Procedures
即ちACPとは通信用語を英語に統一し、簡略した言語に置き換え同盟国同士共通の作戦行動が簡便に実施出来るように成っております。 丁度、世界の航空管制官と機長の使用する言語、マニュアルの簡略標準化と同じ事です。
例えば艦船、航空機による対潜水艦戦(ASW=Anti-submarine warfare)は共同戦術書(ATP)に含まれ、ACPによる相互通信でオペレーション デュエットが実行されます。
従いましてMSDF=Maritime Self Defense Force(海上自衛隊)の使用する兵器も作戦行動もU.S NAVYがスタンダードであり、その面では旧日本海軍とは乖離した組織ですが、反面艦内の行動規律、号令、書類作成、その他日常業務及び組織構造などは帝国海軍の伝統が引き継がれております。
当時の自衛艦の運用には、主として旧帝国海軍軍人や国家試験有資格者(海技免許者、無線従事者、電気主任技術者など)を集めて構成された乗員が当たりましたが、先端装備を初めとする技術習得やU.S.Navyマニュアルによる運用と作戦が課題となり特に対潜水艦作戦(ASW=Anti-submarine warfare)、情報(CIC=Combat Information Center)から、応急(Damage Control)に至るまで、総て手探りの状態にあり急遽、海上幕僚監部は敗戦時の兵学校修了者生徒など優秀な少壮士官をアメリカのNAVAL SHOOLに留学させ技術やノーハウを習得させ、幹部学校や術科学校の教官に任用したり技術習得が組織の急務でした。…一方、自衛艦隊など実施部隊の乗員などの技術習得には横須賀米海軍基地の訓練施設で対潜アタックティーチャーやら応急ファイヤーファイティング等訓練をし技術蓄積に勉めていたのです。
……今は昔の話……昭和30年頃のMSDFの幹部(士官)、海曹(下士官)は公募で選抜し広島県の呉に集合させ江田島の学校で教育されるのですが、その時集まった面々でおじさん連中は大分クタブレて見えました、が元を正せば帝国海軍士官の敗残の姿、公職追放で生活に苦労した人も居たようです。 学校で制服支給時、それぞれ体に合わせるのですが、風采の上がらないおじさんと思いきや、一尉の金モールの制服を小脇に抱えておりました。 当時の実施部隊の艦船の士官は多彩な出身者の集まりで先ず帝国海軍の兵学校出身者は光っており、旧海軍の叩き上げ特務士官、海上保安庁からの転出組、米船運航会社乗員(米海軍LST=(Landing ship,tank)運航会社オフィサー)一般大学出身者、防衛大学は見掛けず、一期生も未だ学生だったのでしょう。なお当時は海運置籍船問題はなく高所得の商船オフィサーからの転入は少なく、仮に、現在に置き換えれば職を追われた海技免許者が殺到し多数を占めるかも知れません。… 異色の人物には隊司令(艦隊)に帝国海軍の特攻兵器人間魚雷回天搭載の元伊号潜水艦艦長がおりました。  当時はタブーの……旧海軍残存掃海艇で朝鮮戦争の米軍仁川上陸作戦時、掃海作業で参戦(USNの雇い)し、日本人戦死者も出た話をする保安庁出身者などもおりました。
と云う事でアメリカ合衆国が産み育てた海上自衛隊は成長して対潜水艦能力は世界でもアメリカに次ぐ規模能力を達成し緊急時にはアメリカ空母機動部隊の補完的役割も担う事になるのでしょう。……
第2次大戦を勝利に導いた米国海軍の一端を垣間見て、先端の技術の結晶である艦船機器のインストラクションブックや作戦運用マニュアルを標準化、簡素化、普遍化の徹底は丁度マクドナルドバーガーやコンビニストアなどのアメリカの商業や工業製品の品質管理などは汎用軍事技術の思想がアメリカ社会に還元された一端なのかも知れません。昭和26年(1951)に日本国に創設された総合的品質管理のデミング賞は米国人W.E.デミング博士の指導によるものですが、今日日本製品が世界最高品質とされる礎でもありました。 ……先へつづく…  ……前へ戻る

《横須賀事情》(9) 横須賀のオンリーさん
(8) 洋パン嬢とオンリーさん
(7) 横須賀の落穂拾い 小栗忠順という日本人
(6) 横須賀の落穂拾い 横須賀の遊廓
(5) 横須賀と芥川龍之介
(4) 海上自衛隊の創設期とU.S NAVY
(3) 海軍遺構と長浦港自衛艦隊
(2) 横須賀帝国海軍の物語
(1) 横須賀 街の今昔