[地域][歴史] 千葉県銚子市 (1)−4 銚子の由来

昔から地理的条件で揶揄される街が銚子でした。 反面、私などは子供の頃から地図を開く度に地の果て銚子のイメージに好奇心を刺激され、一度は行ってみたい場所でもありました。 が、地球規模での銚子の位置は親潮黒潮の合流による絶好の世界三大漁場を眼前に構成しております。 利根川河口のこの場所は、また醤油醸造に適した地でもあり、千葉県野田市に対峙する醤油産業があります。
    
上)巻き網漁のさば水揚げ市場岸壁 下) 明神川口神社

しかし、地の果てる場所銚子が自然発生的に産業を興し発展したのではありません。 近世幕末、この絶好の漁場に目を付けた紀州漁民が移住し、先進の漁撈技術で海洋に乗り出し好漁場を開発した下地が水揚げ日本一の銚子漁港の実現をもたらします。 進取の気性の紀伊漁民により産業を興した銚子ですが、一面仙台、石巻からの海路の基点で東北諸藩の廻米蔵が並び、江戸へ、高瀬船の物流で栄えた港でもあり、明治期初頭では千葉地域一番の人口都市だったのです。……
近時は現地からのメッセージが希薄で存在感の無いのが特徴特産の銚子市です。 では、街の実体は?、中核の銚子漁港は後回しにして外郭からのアウトラインです。 終着銚子駅から私鉄銚子電鉄が外川まで走っており、この電車は銚子一番の発信力で、銘菓”ぬれせんべい”を有名にし、地鉄存続の苦闘談が耳目を集めます。外川とは…、行き止まり、この先は太平洋からアメリカです。 この街は紀州漁民が移住した漁村で銚子電鉄外川駅から海までの斜面に成立した街は古い漁師町の面影を残し散策の楽しみがあり、海岸には漁船群と魚市場が連なり、イルカウオッチング船やヨットハーバーなどもあります。…… 
銚子観光の起点は外川の先端長崎鼻ポイントと云えるでしょう。 ここから西へ九十九里浜飯岡へ十数kmが屏風ヶ浦で日本のドーバーの崖です、銚子台地が50mの断崖となり太平洋に落ち込んでおります。陸地からは見難い場所柄ですが、崖下に侵食防止の堤防が延々と続き散策路にも利用されておりますが、くれぐれも御注意は波浪時は危険です。
反対側、長崎鼻ポイントから北へは岩礁、砂浜など美しい海岸線と銚子一番の観光地で有名な犬吠崎の灯台や老舗旅館、ホテルが集中しており、この一帯が新年の初日の出暁光で人気の場所で、更に北上すると利根川川口の銚子漁港の外港に至り、ポートタワーやウオッセマーケットやダイナーがあります。 以上が銚子観光の核心ですが、残念ながら観光ゾーンとしては公共交通の過疎地化がマイカー旅行者以外の方々にはネックになっております。
……主な東京からのアクセスはJR”特急しおさい”と高速バス 浜松町、東京駅〜犬吠京成ホテル前があり、共に快適です。……
     
深川不動尊境内玉垣奉納の干鰯商人

…と、大分手抜きの様な説明でしたが、年に3,4回は銚子訪問の私の楽しみは、実は観光ではなく江戸以来、重要拠点であった地域の推移に興味があります。 即ちお江戸を支えた物流大動脈の舟運の起点であり、醤油醸造、更に、言わずと知れた漁業、水産加工です。日本一番の銚子漁港の根源を銚子大漁節から推察できます。…銚子市役所HPから解説と大漁節……
元治元年(1864)の春、銚子港は未曽有の豊漁で、港は鰯の銀りんで埋めつくされました。この豊漁を祝うため、川口明神で大漁祭を催すことになり、飯貝根浦の網元網代久三郎と飯沼浦の松本旭江と俳諧師石毛利兵衛の三人が、松本家の離れ座敷「夏蔭庵(なつかげのいおり)」(夏蔭書屋ともいい現存)に集って歌詞を合作し、常磐津師匠遊蝶が作曲し、清元師匠きん子が振付したものを、この祭礼で歌い踊ったのが起こりといわれています。
一つとせ 一番ずつに積み立てて川口押し込む大矢声 この大漁船
二つとせ 二間の沖から外川まで続いて寄り来る大鰯 この大漁船
三つとせ 皆一同に招をあげ通わせ船の賑やかさ この大漁船
四つとせ 夜昼焚いても焚き余る三杯一丁の大鰯 この大漁船
五つとせ いつ来てみても干鰯場はあき間もすき間も更になし この大漁船
六つとせ 六つから六つまで粕割が大割小割で手に追われ この大漁船
七つとせ 名高き利根川高瀬船粕や油を積み送る この大漁船
八つとせ 八手の沖合若衆が万祝揃えて宮参り この大漁船
九つとせ この浦守る川口の明神ご利益あらわせる この大漁船
十とせ  十を重ねて百となり千を飛びこす万漁年 この大漁船
十一とせ 十一日は潮がわり鯵鯖まじりの大鰯 この大漁船
十二とせ 十二のお船玉いさましく明日も三ぞう積むように この大漁船
十三とせ 十三、四つの小野郎奴メンパで鰯を通わせる この大漁船
十四とせ 十四の生網、船新造、あらすの艪櫂で漕き回る この大漁船
十五とせ 十五夜お月様夜に余る八手の鰯は昼あがる この大漁船
十六とせ 十六ササギは花ざかり八手の鰯は色ざかり この大漁船
十七とせ 十七・八の小娘があかねのたすきで塩はかる この大漁船
十八とせ 旗は白地を染めちらしこれこそ八手の大漁旗 この大漁船
十九とせ 九十九里浜から銚子浦粕たく煙が絶えやせぬ この大漁船
二十とせ この職大漁で来る職もまたも大漁するように この大漁船

一番ずつ…… 各船とも一回ずつ
大矢声…… 弓矢を射るとき出るうなりのようなかけ声
大漁の時…… 漁師が大声でそろえた声でホーリャー、ホーリャー
二間の沖…… 夫婦ケ鼻から黒生までの海の総称
通わせ船…… 鰯の運搬船
焚く…… 生鰯を煮る
三杯いっちょ…… 三杯=ヤッサ篭三つで本篭一つになる
いっちょ…… 一斗樽
『ヤッサ篭三杯の鰯を煮ると一斗樽一杯の油がとれる (別の意味)油を入れる三斗八升入りの樽があって、普通なら五杯でいっぱいになるのだが、大鰯なので三杯でいっぱいになった。またアグリ漁は三隻で一ケ統になることから』
干鰯…… 生鰯をそのまま海岸の砂地に干して作る肥料のこと
干鰯場…… ほしかを作るために生鰯を干す場所
粕割…… 生鰯を大釜で煮て、それを圧搾機で締めると〆粕ができる。それを今度割って天日に干すのである。これを割ることを粕割という
大割…… 圧搾機で締められた固型の〆粕を木槌で荒っぽく割る
粕や油…… 〆粕の副産物として鰯油がとれる。〆粕や干鰯は肥料として、鰯油はカンテラや灯油用に使われた
八手の沖合…… 八手網船の漁労長
万祝…… 船主から沖合・漁夫達に贈られる大漁祝いの衣裳
この市役所の銚子大漁節解説は私にとってはピカ一、読み込まれている意味が良く分り、東京深川不動尊玉垣に干鰯商の名が刻されており、小名木川畔深川白河1丁目には干鰯河岸跡碑があり、金肥と呼ばれ下肥(屎尿)に比し高価高級肥料でした。 この唄からも銚子産品が利根川舟運高瀬船の物流大動脈に依拠している事が明確です。 次回漁業の実態へ …… 次回へつづく… 

《千葉県銚子市
(4) 来訪者の見た銚子の再興は?
(3) 漁港外港、ポートタワー、ウオッセ
(2) 漁業の現況は、
(1) 銚子の由来