[地域][産業] 千葉県銚子市 (2)−4 漁業の現況は、

銚子の玄関口JR銚子駅から真っ直ぐな道が利根川に向け通じております。東京近辺からまいりますと街の雰囲気は田舎共通の過疎感は否めないのですが、 お江戸以来繁盛し有力な産業を抱える土地がこれでは良くはありませんと、何時もの私の感覚です。……なんとか復活の方法がないのか?、に話しが展開するかも知れません。
駅前一本道は途中なだらかな坂上から見える洋々たる大利根川河口の景観は半世紀以上前の私の記憶に違わぬ、何か漠然とした期待感が甦ります。 まず銚子に着いて、この道を利根川河畔に達して眺望する景観は日本広しと云えども他所にはないでしょう。 
    
銚子利根川河畔より対岸波崎町を望む

海かと紛う遥か対岸は茨城県波崎町銚子大橋。 ここから河口へ3〜4kmが銚子の中核銚子漁港が連なります。 以前この場所に対岸波崎町営の渡船が通い、乗船するのが楽しみの一つでしたが廃止になりました。 この地点から河口に向かって500m先に境川と云う小さな川と云うより大きなドブが流れておりますが、駅前通りとこの川に囲まれた一帯が徳川時代の荒野村、興野村で明治後に銚子町と改称した地域の中心地でした。 ヤマサ、ヤマジュウ、など醤油醸造蔵や仙台、常磐からの海路と利根川舟運の中枢港として、廻米の倉庫群、御用蔵が林立、各種の問屋が集中し、豪商の邸宅などもあった場所です。
東北諸藩の廻米は明治の御一新で止まりましたが、新たに河川航路の外輪蒸気船が就航して利根川上流から霞ヶ浦最奥方面、東京両国直行便を運行した銚子汽船本社や桟橋が在って、明治初め銚子は千葉県域最大の人口都市であった事からも、その繁忙を推測できます。 また戦前まではこの街の河畔は浜で海水浴場だったとは!、今でも街の中程に老舗旅館大新がありますが、明治時代には雄大な河口風景を求めて皇族や徳川慶喜伊藤博文大隈重信山縣有朋、…島崎藤村、竹下夢二、徳富蘆花など著名人が宿泊したと伝えられますが、敗戦前の空襲で街は焼失、古き遺構は残っておりません。
以上、今は昔のお話ですが、現実は何やら過疎の実感が身に沁みる街歩きでした。…気を取り直して勇壮な漁港探訪に切り替えます。……
河畔を河口方向に歩くと第一卸売り市場の岸壁には主にマグロ船の水揚げ場所で50トン未満の近海縄船が停泊しておりますが、昭和3,40年頃までは銚子所属のマグロ船も結構いましたが、今では壊滅、九州宮崎や四国など他県船が銚子を基地にして操業しており、漁船員にインドネシアなど東南アジアの人が目立ちます。 昔はこの第一市場だけの水揚げでしたが現在は大型漁船の大量水揚げは新設の第2、第3市場が主力です。
      
上) 巻き網運搬船 下) 網船(本船)レッコボートをスリップウエイに繋いで出港
…更に河口方向に歩くと広大な逆L字の岸壁が第2です。ここは近海巻き網漁船の水揚げ場で銚子沖の伝統の漁場で操業する、さば、いわしなど漁獲を500トン程度の大型運搬船が朝には数十隻一斉に入港水揚げする光景は壮観、この船は夕刻まで岸壁に舫い、日没時に一斉に漁場に向かい出港します。冬場漁場が近ければ毎日この景観は見られます。 この漁業は北部太平洋大中型巻き網漁の許可船で千葉野島崎を緯度として東経180度、北海道沖に囲まれた漁場を本船(網船)と調査船、レッコボート、運搬船の編成が一統として操業しており、冬の銚子沖漁場には全国から100統以上が集まります。市場岸壁の運搬船の数から数十統が沖で漁撈している事になります。 各船は福島、宮城沖から北海道の漁場に魚を求めて移動します。では漁獲する網船は何処にいるのか?、夜間操業ですから、気象が悪くなければ入港する必要のない本船は日中は漁場で漂泊しているのでしょう。
この漁業の問題点ですが、許可基準に大中型と指定される理由は漁船トン数により積載魚網量で大量漁獲が可能になりますので、資源保護が目的です。銚子沖の最大の漁獲「鰯」の許可船は中型船(100トン以下)ですから銚子船の大部分が100トン以下の網船です。当然種々の規制内で、より利潤を上げる競争があり、軽い高性能魚網で積載網を増やす。短時間で的確な魚群探知用の電子機器装備。漁労時間を短縮する省力機械化。正確短時間に魚群、自船位置決定の航海機器、必然的に運搬船の大型化など。資本集約型漁業形態となります。…その操業の概要は魚群を発見すると網船(本船)が走行し網を投棄しながら魚群を包囲し、レッコホートが拡げた網の端を捕り網船に絞り込み一回で漁獲500トン位可能と云われます。と運搬船が網掛かりして大型ウインチを利用し短時間に大量の魚を船倉に掬い上げる、一晩に何回か操業して運搬船は市場に直行、水揚げします。 しかしこの漁法の進化で伝統的な零細漁業者は漁場から締め出されました。 また、本来食用に適さない「さば」の稚魚でさえ養殖漁業の飼料として値頃で取引され、資源枯渇の問題は看過出来ないようです。
また、銚子伝統二艘巻き網漁業も漁業先進地、下関北九州などの来航船が端緒となり現在の大型一艘巻き網形態に進化した経過が在り、江戸時代紀州漁民により発展した銚子の漁業は更に西日本先進県の影響を受け、進化を反芻しているのでしょうか。…
次回は驚異の最新電子機器など漁船装備の一端とさんま漁船、トロール漁船に移ります。
…… 次回へつづく…    ……前回へ戻る

《千葉県銚子市
(4) 来訪者の見た銚子の再興は?
(3) 漁港外港、ポートタワー、ウオッセ
(2) 漁業の現況は、
(1) 銚子の由来