2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

[河川][歴史] 昔の荒川探索行(8)中世の氾濫原、古隅田川流域の実態

元荒川追跡で思わぬ寄り道、全く素通り出来ない場所が春日部、岩槻を流れた古隅田川の流域です。古代、中世の大河のメカニズムの遺構、自然堤防が大規模に残された貴重な地域である事が歩行追跡で実感いたしました。photo…古隅田川の江戸時代石橋 また、発達…

[河川][歴史] 昔の荒川探索行(7)大地に刻まれた古隅田川自然堤防を歩く…

河川の歴史調べ、いつも錯誤するのは近代的河川管理下の大河のイメージです、今回の元荒川追跡でも現代感覚が混在する戸惑いです、ま…自身の高齢者弊害か?…… 例えば荒川ですが、源流地から流域、流路、河口と一本の川として認識して、広大な河川敷、堅固な…

[河川][歴史] 昔の荒川探索行(6)荒川を支流にした埼玉県「古隅田川」の解明

今回は中世期の利根川(隅田川)の流路跡と云われる「古隅田川」と呼ばれる川が細々と流れる埼玉県岩槻と春日部の間を解明する事にいたします。……先ず往時の利根川(現、古利根川)は春日部で分流し岩槻の荒川へと流下しており、これを隅田川(現、古隅田川…

[河川][歴史] 昔の荒川探索行(5)岩槻市元荒川と謎の古隅田川とは

岩槻市の元荒川の物語は意外に拡大、しばらく話が輻輳する事になると思います。……前回の続きから…横U字状の旧河道の残滓の話ですが、反芻して頂くと県道R65(お成り街道)の人間総合科学大学岩槻キャンパス(元荒川旧河川敷内)の処に田中橋が架かっていた…

[河川][歴史] 昔の荒川探索行(4)元荒川が大河の残滓を残す流域へ

荒川と云うだけでも、寛永6年(1629)の熊谷久下村の瀬替え以前と現代と取り違える事がありますが、ここではその又昔の本流元荒川の事になります。 前回のポイント鴻巣市川面の武蔵水路との交差地点から更に下る事にいたしましょう。毎回の事ですがG00gle ma…