2017-01-01から1年間の記事一覧

 埼玉県行田市(6)旅 足袋話し

テレビドラマ陸王最終回、楽しませて頂きました。……古くは歴史遺構、近代では日本一足袋の街で有名な?、我が埼玉県の行田市ですが、昨今は何処にでもある田舎の過疎地で街中の道、路地から軽やら自動車が出てくるばかり、人影はまばらです。……その街でドラ…

 埼玉県行田市(5) 足袋の行田か、行田の足袋か!

行田市の話で足袋が抜けては仕方が無いので、今回は足袋に拘わります。…… 戦中派の私でも足袋を履いたのは子供の頃の記憶程度、能書きなど無理な話で、勝手なしゃべくりになります。 現代のお方にしても足袋とは和装の一部程度の認識かと思います。……そこで…

埼玉県行田市(4)埼玉県名発祥地行田、忍の地名由来

先日、ドラマ「陸王」に触発されまして、以前から”たび、足袋”立ち寄った行田市を再訪しました。……古代文化の遺構「さきたま古墳群」など往古の文化中心地域を形成した行田市ですが、江戸時代から始った足袋製造の地場産業は大正、昭和前期がピークとなり、以…

埼玉県行田市(3)久能山から日光へ家康公霊柩遷座と行田

本題の前に、毎週ドラマ「陸王」を楽しんでいるてまえ、足袋に係わる思い出を手繰ってみました。………昭和も十年代、東京のちょっとした商店街には必ず足袋屋さんが商いをしており、子供心の記憶に残る店内はカラフルな子供用別珍の足袋やら、白足袋、黒足袋な…

埼玉県行田市(2)忍藩と利根川東遷事業

豊臣秀吉旗下の石田三成の執拗な忍城水攻めでも不落の名城の主、成田長親も天正18年(1590年)4月に後北条氏小田原城落城と配下の総ての落城を知り、遂に天正18年7月説得に応じて石田氏に忍城を引渡し、ぞれぞれ馬などを曳き連れ成田長親と臣下は散って往…

埼玉県行田市(1) 私の中の行田

……寄る年波でしょうか、一寸、ふわーとしていたら、ブランクが出来てしまい早速ブログに懸ります。……今人気のテレビドラマの「陸王」の舞台が、昔云われた足袋の街「行田」でした。 この街と私の接点は田山花袋の小説”田舎教師”愛読に始まり、ブログのテーマ…

戦前日本が見えてくる(11) 神社御神体 究極土俗神

この雨続きで気分は塞込んでおり…戦中、戦前派にはお馴染みの…淡谷のり子さんの歌で ”雨のブルース”を思い出しております。 ♪…雨よ降れ降れ、悩みを流すまで、どうせ涙に濡れつつ 夜ごと嘆く身は あゝ かえり来ぬ 心の青空 すすり泣く 夜の雨よ…♪ 昔は世相を…

[歴史] 戦前日本が見えてくる(10) 御祭神 仏教神社

前回迄のお話で既に明白になった、仏教と切っても切れない由縁の御祭神の神社さまに八幡さまと天王さまがあります。 即ち全国の八幡神社の御本社宇佐八幡宮の主祭神は15代応神天皇(400年AD頃か)とされ、宇佐八幡御託宣集によると「我は誉田天皇広幡八幡麻…

戦前日本が見えてくる(9)神社主祭神 神さまになった人々

人物仏教にしろ神道にしろ宗教の本質は可なり複雑で、それぞれ専門の大学が存在する程です。……社会の中で見たり、聞いたりする程度の知識の私がブログに書くのは無作法のようですが、一方その様な立場の者が、其れなりの思いを語るのも民主主義社会の必然か…

戦前日本が見えてくる(8) 神社いろいろ 神さまの実態

ある年代を超えると高齢者は明らかに年毎に身体能力の上限が低下してくる事が身に沁みてまいります。……陽気が暑いから…、少し寒気を感じる季候になれば夢中で歩けるのでは、と一縷の望みを掛けております。 昔から”困ったときの神頼み”とか言い伝えられ、確…

戦前日本が見えてくる(7) 絶縁される神社本庁とは?…

……引き続き神社本庁の本質を簡単に表現すれば、薩長公家が建国した大日本帝国の思想残滓と云えそうです。……即ち明治政府の神祇官(後の神祇院)が強行した宗教改革の思想が「神国日本」の敗戦までの国粋思想の根幹となってまいりました。敗戦時の内務省神祇…

戦前日本が見えてくる(6) 遂に富岡八幡宮が絶縁…神社本庁

私の小学校新入学の学級記念写真は富岡八幡の拝殿前石段に並んで写っております。八幡様の真裏に在る数矢(かずや)小学校の事でした。…昭和13年(1938)頃のお話、その後、四谷、世田谷と転居したのですが、門前仲町と八幡様、お不動様など、下町独特の街の…

戦前日本が見えてくる(5)高麗神社と高麗聖天院

前回の埼玉古墳群をたずね出土品なども見学した暇人の私は俄然古代史に興味がわいてまいりました。………なにぶん戦時小学生時代の神話を歴史に組み込んだ歪曲国史教育をされた被害者でしたから。 律令(701年)により国、郡制度の発足で武蔵国さき玉郡が出来た…

 戦前日本がみえる(4) 朝鮮半島からの人材流入

ちょっと涼しい日を利用して埼玉県の行田市にある「さきたま古墳群」を徘徊してまいりました。公園化され整備され環境で、古代文化遺産の巨大古墳群には改めて驚かされました。……「県立さきたま史跡の博物館」には発掘副葬品からも高度な文化を携えた渡来人…

 戦前日本が見える(2)法治国家の今昔

今年は人並みに、夏休みをとったのですが…毎日が日曜日の人が休むと、どうなるか?…何にも変らない! 暑い暑いと蟄居、8月がまた天気は大荒れ蟄居中です。地域取材が困難で、ブログのテーマには困窮しましたが、……そこは好く出来たもの安倍総理さまのお陰で…

首相公選は必要か(6)共謀罪(テロ等準備罪)の適用は? 加計学園疑惑

法律知識素養が皆無で、心細い私ですが、国民の立場で良い法律、危うい法律の存在くらいは朧げながら分かる心算です。…安倍内閣が加計、森友疑惑に揺れる国会で強行可決した共謀罪は世に云われる一般国民だけがターゲットなのか、或いは総理大臣以下国務大臣…

 首相公選は必要か(5)元日本国総理大臣のCIAエージェントとは

自民党の派閥の力関係から誕生し、選出には国民は関知していない総理大臣が安倍さんと云うお方ですが、この方の実績とは…憲法で保障された国民の平和、人権、自由を奪う危険な法律、安全保障関連法案(安保法案)、特定秘密保護法、共謀罪の法律案を提出、可…

首相公選は必要か(4) 政治家と素質 民進党野田幹事長(元総理)さま

この暑さで高齢者の徘徊も儘ならない有様です。……私も行き倒れが心配なので…外出をセーブ出来るのは認知症では無い証拠かもと勝手に理屈をつけております。……… さて、政界の白熱化進捗は最早不可避の状況を呈し始めましたが、安倍総理大臣さまのお言葉”反省”…

首相公選は必要か(3) ”それを言ったらお仕舞よ”……安倍総理大臣さま

高齢者の悩みは物忘れがあります。……「鶏(にわとり)は3歩あるくと忘れる」…と昔の”たとえ”がありますが……… しかし、鶏(にわとり)は高齢者の私だけではありません!……過って国会で”私は立法府の長です”? と大見得を切った安倍晋三首相ですが、彼の鶏(…

首相公選は必要か(2) 総理大臣劣化の現状

現在の日本国の総理大臣は資質に難点のある人物が何故選ばれるのか?…を解明しようと考えた結果ですが、一寸ぐだぐだ長くなります、悪しからず。…… ………同じ保守本流の自民党の過去の人物を回顧しますと、其れなりの人物である事が分かります。何故でしょうか…

[時事] 首相公選は必要か(1)安倍総理大臣、読売新聞、豊田真由子衆議院議員

安倍総理大臣の巨額国費流用に係わる疑惑として、森友学園、加計学園の問題で政界は波乱混乱状態で国会は会期終了しております。 しかしマスメディアの報道を勘案してみますと、どうやら安倍晋三個人の資質とされる知識教養の低次元から総てが発生している様…

昔の荒川探索行(11)中世の荒川本流「綾瀬川」と草加市

荒川と綾瀬川は別の川ではありません、但し中世、近代初期のお話ですが、現代に至る大雑把なお話から初めます。………現代の綾瀬川の起点は元荒川が桶川市の首都圏中央道と交差する下流の桶川市小針領家付近ですが元荒川とは断絶しております。……が、中世期には…

昔の荒川探索行(10)元荒川由縁の街 越谷市

前回の大戸地区大六天神社下流の末田須賀農業用取水堰は元荒川随一の規模の堰で、元荒川最下流の取水堰になります。左右両岸に展開する大穀倉地帯への必須の給水源といえます。又江戸時代には唯一の大量運搬手段として収穫産米を運び出す舟運の河岸が在った…

[河川][歴史] 昔の荒川探索行(9)古隅田川自然堤防の集大成「金山堤」

歩き回って疲労困憊、自然堤防に興味を持ったのが自縄自縛でした。でも……今回歩いた成果……発達した自然堤防上は村落、社寺、街道など人間社会の営みの場所に進化して…密接な繋がりが分かりました。 さて、古隅田川左岸(現在と流れは逆)自然堤防追跡は岩槻…

[河川][歴史] 昔の荒川探索行(8)中世の氾濫原、古隅田川流域の実態

元荒川追跡で思わぬ寄り道、全く素通り出来ない場所が春日部、岩槻を流れた古隅田川の流域です。古代、中世の大河のメカニズムの遺構、自然堤防が大規模に残された貴重な地域である事が歩行追跡で実感いたしました。photo…古隅田川の江戸時代石橋 また、発達…

[河川][歴史] 昔の荒川探索行(7)大地に刻まれた古隅田川自然堤防を歩く…

河川の歴史調べ、いつも錯誤するのは近代的河川管理下の大河のイメージです、今回の元荒川追跡でも現代感覚が混在する戸惑いです、ま…自身の高齢者弊害か?…… 例えば荒川ですが、源流地から流域、流路、河口と一本の川として認識して、広大な河川敷、堅固な…

[河川][歴史] 昔の荒川探索行(6)荒川を支流にした埼玉県「古隅田川」の解明

今回は中世期の利根川(隅田川)の流路跡と云われる「古隅田川」と呼ばれる川が細々と流れる埼玉県岩槻と春日部の間を解明する事にいたします。……先ず往時の利根川(現、古利根川)は春日部で分流し岩槻の荒川へと流下しており、これを隅田川(現、古隅田川…

[河川][歴史] 昔の荒川探索行(5)岩槻市元荒川と謎の古隅田川とは

岩槻市の元荒川の物語は意外に拡大、しばらく話が輻輳する事になると思います。……前回の続きから…横U字状の旧河道の残滓の話ですが、反芻して頂くと県道R65(お成り街道)の人間総合科学大学岩槻キャンパス(元荒川旧河川敷内)の処に田中橋が架かっていた…

[河川][歴史] 昔の荒川探索行(4)元荒川が大河の残滓を残す流域へ

荒川と云うだけでも、寛永6年(1629)の熊谷久下村の瀬替え以前と現代と取り違える事がありますが、ここではその又昔の本流元荒川の事になります。 前回のポイント鴻巣市川面の武蔵水路との交差地点から更に下る事にいたしましょう。毎回の事ですがG00gle ma…

[河川][歴史] 昔の荒川探索行(3) 元荒川を下る

前回までは有名な荒川締め切り地点熊谷久下村附近を歩きましたが、今回からは締め切られた旧荒川本流跡を流れる元荒川の追跡です。 早速、現在の元荒川の源流とされ、既に探索した熊谷市役所ムサシトミヨ保護センターの養護池の湧水の流れる綺麗な小川の流れ…