産業

[産業] 東京歴史人脈帳 (10)−10 皮革製造業の状況(3)高度技術の行方は

皮革業界や実務の知識も無い素人、即ち私が勝手な事を書いたりしても特に怒られる事もなく、その人なりの考えとして、…日本国の民主主義、言論の自由は有難い事です。 ……しかし日本国総理大臣の安倍さんも可なりいい加減のお方のようで戦争や秘密保持法など…

[産業] 東京歴史人脈帳(9)−10  皮革製造業の状況(2) 近代化日本を支えた産業

都の水源ダムのピンチが報道されております、20年程前は毎年の話でしたが、又これからぶり返しになるのでしょうか、……さて、東京都と云えば舛添知事さんは世間の注目を一身に集めておりますが、つらつら考えるに政治家さんとは皆さんこの様に精神的にもタ…

[人物] 東京歴史人脈帳 (8)−10 現代皮革製造業の状況(1)

御一新、明治時代とは日本近代化の第一歩でしたが、先進工業の燭光が皮革事業だった事は余り知られておりません。明治政府の西洋式軍隊設立の必須であった靴を始めとする軍事装備品調達が皮革産業成立の原点でした。 しかしながら、残念なのは日本旧来の製革…

[人物] 東京歴史人脈帳 浅草界隈 (7)−10 皮革産業と弾直樹、西村勝三

今年も如何やら梅雨の季節が近いようです。…それに付けても都知事舛添さんの蓄財破廉恥行為は修復不可能かも、都議会の推移から解決の鍵は知事を支持した自民党や公明党さんが握っているのでしょう。……しかし両党の曖昧な態度から私が思い出した実話……街中で…

[時事] 農業と農地法(8)−8 日本農業と中身の結末

今回のTPP加盟の大筋合意を受けて早速政府自民党は農業者補償と云う補助金のバラ撒きを公言しておりますが、何も驚く事はなく、過って、自民政権凋落の地方選挙区惨敗のショック体験の再来は真っ平御免なのでしょう。…… さて、今回迄、私の散歩時目撃した…

[時事] 農業と農地法(7)−8 日本農業の誤魔化し

私達が農業の実態を知りたいと思う端緒は常に社会問題としてクローズアップしております。現実の食生活に関連して主食とされるお米は当然として、食生活の主流を占める輸入食品が政治家と農水省、関連団体の餌食とされ政治的利権化は庶民の生活を苦しめてお…

[時事] 農業と農地法(6)−8 日本農業の中身を知ろう

最早伏魔殿と化した農業と云う産業ですが、その総てが政治勢力の関与が農政の利権絡み体質として底抜けの誤魔化し、脱法が社会生活上にも平然と罷り通っています。郊外地帯のウオーキングで目に付く”はてな?”は顕在化するばかりです。……相変わらず、ぐだぐ…

[時事]  農業と農地法(5)−8 ボタンの掛け違いは農地解放

農地解放、財閥解体と云う資本主義社会、いわゆる自由主義社会では、先ず実現不可能な政策が敗戦という異常事態で占領軍の命令で実現し、日本軍国主義をも凌駕するGHQマッカーサー元帥のインパクトに驚愕したはずです。 だが、この農地開放政策は戦前の軍…

[時事]  農業と農地法(4)−8 無責任農業政策の相関

明治維新以来の日本国の無責任体制は昨今、更に顕著に為って行く傾向にあります。日本国の新旧憲法を一寸ながめれば、誰でも分かる事実が存在いたします。 先ずは明治憲法の最大の無責任国家体制が敗戦後に行われた連合国軍による極東国際軍事裁判の東京法廷…

[時事]  農業と農地法(3)−8  日本国の飢餓(きが)て、なんだ!

私達日本人にとって、江戸時代に度々起った飢饉(ききん)の歴史は可なり悲惨な話として記録されております。古いお寺さんに詣でると必ず墓地には、飢餓横死者の供養塔なども見かけます。私自身戦中派に属し戦中戦後昭和19年から22年に掛けての飢餓(き…

[時事] 農業と農地法(2)−8 日本国の農地法ってなんだ?

気候も温順になり、ウオーキングには最適なシーズンになりました。高齢者にとっては有難い季節です。 …一般的に人間が人間らしく過ごす根源は移動行動の自由。それを保障する足が丈夫でなくては話しになりません。又、聞くところによれば足は第二の脳とも云…

[地域][産業] 草加、越ケ谷千住の先よ(1)−2 …草加と皮革産業

”草加、越谷千住の先よ”…昔から日光街道の宿場の位置を指した軽口ですが、元を正せば草加、越谷のロケーションに疎い人が多かったと云う事か、現在は如何でしょうか?…埼玉県民の私はよ〜く存知ております。切り札は、この方のお力を頂ければ…松尾芭蕉さん「…

 [産業][歴史 皮革産業木下川 (6)−6 戦後の盛衰

現在の東墨田(木下川地区)とは以前の向島区吾嬬町です。中居掘を挟んで西、東に分かれて居りましたが、昭和40年の町名改訂で現在の東墨田と八広、立花、文化などと返って複雑化された地域です。 中居掘は戦後埋め立てられました。 八広町と東墨田町の境…

[産業][歴史] 皮革産業木下川 (5)−6 東墨田木下川地区の成立

では、木下川地区発祥の第一ステップ……政府は明治25年(1892)魚獣化成場取締規則を定め、明治35年(1902)以後の皮鞣し業の市街強制移住を通告しました。……移転先は墨田、荒川の低湿地です。 しかし…既に早くも明治20年には荒川三河島では既…

[地域][歴史] 皮革産業木下川 (4)−6 東墨田木下川地区の発祥 

さて、今回は木下川をよく知る事から始めて、その成立ちを調べてゆきたいと思います。…… 東墨田の木下川地区には、その名の川があった筈ですが、ご存知でしょうか?… さっそく地図を開いて見ますと荒川放水路と墨田区側には旧中川の廃川だけが目に付きますが…

[歴史][地域]  皮革産業木下川 (3)−6 東墨田木下川地区とは

東京の地場産業としての皮革関連産業は台東区と墨田区が象徴的に語られておりますが、中でもタンナー(皮なめし業)が集約されている東墨田木下川地区の歩みを調べてみますと、皮革産業の成り立ちが見えてまいります。 それでは今回は一旦、木下川を離れて根…

[時事][地域] 富岡製糸場(3)−3遂に横浜原三渓の所有に

官営富岡製糸場は明治5年開業以来30年を経過後の明治35年に2代目所有者三井家から横浜屈指の生糸貿易商原富太郎(三渓)に三重製糸所、名古屋製糸所、大崎製糸所と共に譲渡されます。この取引で生糸に関しては三井は貿易に専念、原合名会社(原三渓)は大製…

[時事][地域] 富岡製糸場(2)−3 経緯と群像 三井家へ払い下げ

今回は明治新政府により官営富岡製糸場が莫大な国費をかけて創られたのかを具体的に調べてみました。…唯一の外貨獲得で富国強兵国家建設を目的に高品質生糸生産の発想ですが、現実には維新後、日本生糸の品質低下でイギリス、フランスで悪評されていた事実が…

[時事][地域] 富岡製糸場(1)−3 発足と群像

世界文化遺産へ群馬県の富岡製糸場の登録が必至とマスコミが賑っております。確か昭和30年代に自動車で峠越えする途中富岡製糸所正門前を通過赤レンガのクラシックな大工場が記憶に残っておりました。 片倉富岡製糸所はその後、昭和49年度が生産高では発足以…

[産業][地域] 皮革産業木下川 (2)−6 ピッグスキンの将来は…

昨今の東墨田地区の皮鞣業は盛業時の1/10の規模に衰退し路地に活力はありません。この地域でも過って存在した大規模工場が街を去って行った理由と時期とは、……昭和40年代に入り特に公害に対する規制の強化と地域的なインフラの不整備や、旧態からの路地…

[産業][地域] 皮革産業木下川 (1)−6 東墨田皮革産業の今昔

15年程前、皮から革にする産業地帯、墨田区東墨田地区を探訪いたしましたが、この地域産業が昨今はどのように変化しているのか再訪してみました。 先ず、地続きの墨田区北部一帯は永井荷風さんの濹東綺譚で有名な玉の井の「抜けられます」と同じように入り…

[地域][産業] 千葉県銚子市 (2)−4 漁業の現況は、

銚子の玄関口JR銚子駅から真っ直ぐな道が利根川に向け通じております。東京近辺からまいりますと街の雰囲気は田舎共通の過疎感は否めないのですが、 お江戸以来繁盛し有力な産業を抱える土地がこれでは良くはありませんと、何時もの私の感覚です。……なんと…

[昭和][産業] 昭和モータリゼーション(8)−8 自動車会社浮沈の根源は、

戦後世情の企業労使関係の象徴的な出来事が昭和59年1月、日産自動車で起こり、露骨な内情が世間の耳目を集めました。 予ねてより日産の天皇と云われて、経営にも深く干渉し、並みの重役を凌駕する権力者、日産労組委員長塩路一郎の私生活が写真週刊誌フォ…

[昭和][交通流通]  昭和モータリゼーション(7)−8 バックグラウンド道路 

自動車の車種やら年式の話は、ちょっとブレークして、自動車のバックグラウンド、道路事情を覗いてみます。……昭和の30年前後でも東京都心部では快適なアメ車でしたが、…郊外や田舎の穴だらけ道路、無舗装の道、更に雨でも降って泥濘道では独立懸下のサスペ…

[昭和][産業]  戦後のモータリゼーション(6)−8 自動車大国の起点とマイカー指向へ。

昭和27年(1952)は日本国も占領期を脱して独立しますが、朝鮮戦争が続きアメリカ軍の仁川上陸作戦で劣勢を挽回した時期です。莫大な戦争特需が敗戦後の日本経済には干天の慈雨となり、高度成長期への助走となりました。 新生日本国の自動車製造業原点…

[昭和][交通流通][歴史]  戦後モータリゼーション(5)−8 昭和20〜27年の歩み

最初に、この記事はモータリゼーションを往時の世相として観察し、書いた話しです。……昭和20年8月、敗戦という史上最悪の出来事は日本人に何をもたらしたのか!、結果は民主主義社会を指向するエポックメイキングでもありました。 戦争と言う国の行為に翻弄…

[時事][天災]  地球温暖化と原子力エネルギー

暑い〜と云ったところで、天然自然の事、どうなる事でも無い!、のでしょうか?、…温暖化現象の為せる業は、今日では普遍的な知識となっております。 先日、北極圏のアイスランドの80%を占める氷河地帯の加速度的な溶解を知り南北両極の異常の進捗は10年…

[探訪][産業][地域] 醤油の街野田市 (3)−3 醤油の街を散策 

東武野田線野田市駅を下車しますと駅を中心にキッコーマンの醤油工場が目立ちますが、昔のように香ばしい醤油の匂いは漂ってまいりません。また働く人も格段に少ないようです。…… 醸造技術の革新と構内原材料の移動、仕込みの自動化が近代的装置産業に進化し…

[交通流通][歴史] 醤油の街野田市 (2)−3 人車鉄道という物流

野田の市街には醤油醸造の経過を物語る貴重な文化財が散在し東京近郊では異色の街である事に気が付きます。云い換えれば、典型的な田舎町の風情と昔の醤油富豪の遺構邸宅、文化財などと使用人、職人、樽屋などの住んだ下町的な区域の混在は、街角ランブラー…

[地域][産業] 醤油の街野田市 (1)−3 世界の調味料「醤油」

既に世界の調味料としてソイソース(醤油、Soy Source)は存在感がありますが、キッコーマン醤油が1957(昭和32年)年サンフランシスコに進出以来、努力の結実です。 しかし世界は更に新興諸国の大きい市場が存在しています、日本伝統の食品産業の更な…