[歴史][地域]  皮革産業木下川 (3)−6 東墨田木下川地区とは

東京の地場産業としての皮革関連産業は台東区墨田区が象徴的に語られておりますが、中でもタンナー(皮なめし業)が集約されている東墨田木下川地区の歩みを調べてみますと、皮革産業の成り立ちが見えてまいります。
それでは今回は一旦、木下川を離れて根源的な問題…浅草弾左衛門職掌皮革事業の推移から考えてまいりますので、かなり話が拡散しますので悪しからず御諒承ください。……
江戸以来の皮革を取仕切った浅草の弾直樹(浅草弾左衛門)の配下であった手代や皮革職人と維新後東京に参入した滋賀県の山川原や甲田地区の人々により構成された技術と欧米先進の輸入技術の合作が東京の地場皮革産業が発展した事になります。
しかし維新後の近代的皮革産業の勃興は国策としての富国強兵策として海外出兵の軍事装備に不可欠な皮革製品として軍靴、弾帯、小銃ベルト、服装ベルト、鞄、馬の手綱、鞍、手袋、飛行服、軍帽の鍔や顎紐まで、まだまだ限りなく莫大な需要が発生しますが、…明治新政府の財政に協力してきた官民癒着の原点”政商”と云われる人々は、皮革産業の経済価値を見逃す筈もなく参入を計ります。 この大資本に皮革産業が組み込まれて行く官民合作の手法を探ってまいります。
…では、被差別民の弾直樹氏の手掛けた近代的皮革事業が挫折してゆく経過を順次追ってまいりましょう。……明治新政府の発足に伴い弾直樹は明治3年(1870)には…”従来皮革ヲ以テ専業トスル我部下ノ者ヲシテ欧州製靴法ヲ伝習セシメ大ニ之レカ改良ヲ図ラバ将来国益ノ一端タルヤ疑ヲ容レズ” と語り兵部省の許可を得て王子滝野川にあった幕府反射炉跡地にアメリカ人技師を招聘し大規模な製靴事業に巨額投資して「皮革製造伝習授業及び軍靴製造伝習授業御用製造所」命名した兵部省造兵局付属工場を発足させました。 しかし、なぜか操業間もない明治4年3月19日突然明治新政府は江戸以来浅草弾左衛門の特権的職掌斃牛馬の収集を突然解消して斃牛馬の処分は持ち主の自由勝手となります。更に5ヶ月後の8月28日に悲願の開放令が布告されます。
…『穢多非人等ノ称披廃候条、自今、身分、職業共、平民同様タルヘキ事。』  
                 辛未八月        太政官

だが、醜名差別と引き換えに得ていた彼の経済的特権の雲散霧消を意味していたのです。 官民癒着派は被差別民に属する垂涎の皮革産業の経済権益収奪の第一歩が開放令とセットで行なわれたのです。 当然皮革、燈芯などの特権職掌を奪われた滝野川工場は一挙に財政基盤を失い弾直樹は…「従前支配ノ職務ノ解除ノ命ヲ東京府ヨリ達セラレタルニヨリ、同十一月ニ至リ王子滝野川皮革製造所ハ非情ノ窮阨ニ遭遇セリ一朝支配解除の命に接セルヨリ……洋製工場結社の督権モ行ハレ難ク遂ニ解散ノ止ムヲ得ザルニ至レリ」…しかしこの経緯には不可解且つ不条理が露呈します、兵部省は弾直樹経営の滝野川付属工場をよそに兵部大輔大村益次郎は密かに西村勝三に製靴工場の設立をさせていたのです。……
西村勝三とは……佐倉藩藩士族で西洋商法を横浜で学び戊辰戦争では大総督府御用達し商人として東征軍の大村益次郎と昵懇の関係でした。以後兵部省の肩入れで軍靴製造で成功し明治40年には大倉喜八郎主導の日本皮革株式会社(現ニッピco)発足に参加した皮革産業の成功者となります。
一方、滝野川工場の挫折でアメリカ人技師や伝習生を抱えた弾直樹は家財を振り絞り木挽町在の援助者を得て再起し大蔵省所有の隅田川畔の橋場銭座跡地を借用し工場とします。 だが弾直樹の誤算は四民平等の開放令とは云え、差別者であった氏族が主体の政府に元被差別者の彼は軽んじられる現実と、決定的な過失は兵部省と癒着した商人の存在です、軍需品としての皮革産業は「到底穢多ノ手ヲ以テナシウベキ業ニアラズ」として西村勝三、大倉喜八郎、藤田伝三郎などの政商の登場でした。……
弾直樹の事業の”息のね”を止める筋書き……弾橋場工場に兵部省より…「右来ル辛巳歳迄十年之間軍靴製造申付候事」と10年間の注文を受けて月一万足の製造設備を拡張、伝習生500名の募集をしたが!、……製品はアメリカ人技師の規格では不合格とし納品ができず、更に10年間契約は一方的に破棄され総ては終ります。この工場は三井組製靴工場監督北岡文平に買収されました。失意の弾直樹は明治22年(1889)死去します。晩年病床の弾直樹の述懐に…「今ヤ数百人ノ生徒ハ熟達シテ全国普ク皮革製造所ノ設ケ無キハ無ク、諸靴製造人ニ乏シカラザルヲ見、其志業ノ貫徹成就セルヲ歓ベリ」……     
ここまでの経過から軍需品としての皮革は大資本の政商に集約され、残された民需としての小ロットの需要は弾直樹につながる皮革正統派が地場産業として営々と存続現在に至っております。
 ……先へつづく…  ……前へ戻る

《皮革産業木下川》
(6) 戦後の盛衰
(5) 東墨田木下川地区の成立
(4) 東墨田木下川地区の発祥
(3) 東墨田木下川地区とは
(2) ピッグスキンの将来は…
(1) 東墨田皮革産業の今昔