2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧
今回は横須賀軍港の象徴駅JR横須賀駅から始めます。往時、この地にアクセスするローカル線として明治22年東海道線大船駅から横須賀線が開業しました。西南戦争の12年後の事ですから如何に重要路線であったかが分ります。 その経緯とは、徳川時代末期、…
明治まで三浦半島の一寒村に忽然として西洋式の近代工業が根付き今日の横須賀の街が形成されます。小栗忠順と云う幕臣の不屈の置き土産が横須賀に日本近代工業の源泉を残した産みの親だったのです。 幕末、日米修好条約批准使節の目付けとして渡米した人で、…
既に足尾銅山は閉山されておりますが、過去を見渡しますと、この山の所有者は徳川幕府と古河鉱山会社の二つに大別されます。幕府の207年間に対し古河鉱山は96年と半分にも満たない年月だったのです。…… 明治21年足尾銅山坑内夫。古河市兵衛専属写真師…
かーちゃん ”おあし”頂だい! 紙芝居が来ると子供が家に駆け込み母親に銭(ぜに)をねだる姿などは昔の東京下町で見慣れた光景でした。 銭(ぜに)を”お足”と呼んだり、何処で覚えたのか”おぜぜ”と云う 言葉も記憶に残っております。 一寸それますが、下町生…
前回に引続き、今回は足尾銅山操業の発端から追跡してみます。 明治の御一新で西洋文明を立国、国家経営の道具として、がむしゃらに取り入れた時代でした。軍国主義は例外として一定の近代化の成功は確かでしょう。 しかし私達戦中派にとっては公害という語…