[地域] 足尾銅山鉱毒事件 (2)−3 幕府公儀御用山から明治まで

かーちゃん ”おあし”頂だい! 紙芝居が来ると子供が家に駆け込み母親に銭(ぜに)をねだる姿などは昔の東京下町で見慣れた光景でした。 銭(ぜに)を”お足”と呼んだり、何処で覚えたのか”おぜぜ”と云う 言葉も記憶に残っております。 一寸それますが、下町生まれの母親でしたが、”おあし”などと言うなと、たしなめられた覚えもあります。が理由は今でも分りません。……
ところが、この”お足”の話は今回の足尾銅山と直接関係があったのでした。では、
    
                                 足尾銅山資料館モニュメント
写真は足尾銅山資料館にある「寛永通宝」のモニュメントですが、一文銭の表と裏。裏には足尾銅山に在った銭座の鋳造銭を現す『足』の字が刻された足字銭と呼びます。この庶民の銭(ぜに)「寛永通宝」は寛保2年(1742)から5年間に2億1千万枚鋳造され、見慣れた足の字を語源として銭(ぜに)の総称を”おあし”と世間で呼ぶ様になったと云われます。戦前まで東京では、よく使われた言葉です。……
そもそも、私の記憶では足尾銅山とは古河市兵衛の手で明治に開発され日本近代化で繁忙した大銅山と鉱毒問題のイメージが大部分ですが、実は江戸幕府にとっても将に重要な山でも在ったのです。
その起源から始めます。 慶長15年(1610)頃、治部と内蔵と云う二人の農民が黒岩山で銅鉱を発見します。 早速幕府領となり足尾銅山と呼ばれました。 その後、寛永4年(1627)から21年間は日光東照宮支配に属し、慶安1年(1648)には東照宮から幕府直山こと公儀御用山となります。 
この時期、寛永13年(1636)には三代将軍徳川家光が現在の東照宮を再造営しました。寛永15年には、江戸城天守閣の落成、明暦3年(1657)には未曽有の大火”振袖火事”で江戸城天守閣本丸など全焼して、復旧用に大量の銅瓦など建築資材を必要としました。 更には各代将軍の銅宝塔、巨大銅燈籠など現存する文化財からも銅は幕府に必要貴重な金属として多量に使用された事を示しております。 
   
               徳川家康公宝塔 日光東照宮   
精錬した銅材を足尾から江戸への輸送路として”あかがね街道”(銅山街道)が開設され、足尾から利根川平塚河岸(群馬県太田市世良田の南)までを馬の背で運び平塚河岸から江戸蔵前御用銅蔵まで舟運で搬入されました。 なお、幕府直山足尾銅山の最盛期は、ほぼ延宝4年(1676)から貞享4年(1687)の10年間でしたが、延宝4年(1676)の足尾銅の長崎への回送高は12.550貫ですが、外国交易の重要な輸出産品だったのです。……
この時代の話し、…実は足尾銅山公害は現代だけの話ではありませんでした。 既に寛政2年(1790)には洪水で渡良瀬川堤が決壊、鉱毒被害が発生しているのです。 その後は除々に鉱脈は枯渇し、産出量が減少して衰退期に入ります。 遂に、文化14年(1817)には足尾銅山は休山状態に至りました。 

増上寺徳川霊域 6代将軍徳川家宣霊廟鋳抜門
《明治の御一新》日本国最長の武家統治者、徳川幕府は瓦解します。 廃鉱同然の足尾銅山は幕府から日光県に所有権が移り、更に栃木県に集約されますが、国の銅山調査の結果、民間へ払い下げを示唆し、古河市兵衛の所有となりますが、当初、一商人の払い下げ願いは政府に拒否され、次善の策として名義人に旧相馬藩元殿様を立て取得できたのです。 また、市兵衛は格別の信用を得た渋沢栄一の配慮で国立第一銀行の融資援助が決め手となり、事業成功への端緒を掴みました。 時に明治10年(1877)です。……
過度期を脱した足尾銅山の経営は古河市兵衛の優れた資質経験により相次ぐ新鉱脈の発見をみて明治18年には産銅量4000トンに達します。 有利な銅取引もジャーデンマセソン商会と成立し、さらなる大増産にピッチが上がり明治24年には産銅量全国一の足尾銅山に成長しました。……、しかし、鉱毒煙害被害は足尾地域近辺の農、林、養蚕に致命的な被害を与え始めます。……因みに足尾銅山の産銅量は明治10年の47トンから明治後期、6000トンに達していたのです。
銅鉱増産は直ちに精錬煙害、伐採災害は更に広範囲に拡大し、山は荒廃した禿山と化し、遂に明治29年に至って渡良瀬川は三度の大洪水を起こし鉱毒水は群馬、栃木両県の農民を直撃、致命的打撃を与えました。
鉱毒とはなんぞや!…採掘過程のズリ(廃鉱石)、選鉱過程のビコウ(低品位鉱)、精錬過程のカラミ(鐘氈j、などの不要物集積地が洪水などで含有する銅、鉄、硫酸等が溶出したもの。
煙害とは…精錬過程で排出される煙に含まれる亜硫酸ガス、亜ヒ酸粉塵などで森林が枯渇する。ハゲ山、洪水の原因。
伐採災害…銅1トン生産に4トンの木炭が必要とされ、4トンの木炭には100石(18立メートル)の木材が必要。その他に坑内支柱、軌道枕木、ボイラー燃料、電柱、橋梁、建造物住宅建築資材の木材を近隣の山々から伐採した。ハゲ山、洪水の原因。……つづく… ……前へ戻る

足尾銅山鉱毒事件》
(3) 政治家田中正造と鉱毒事件
(2) 幕府公儀御用山から明治まで
(1) その経緯