歴史

戦前日本が見えてくる(11) 神社御神体 究極土俗神

この雨続きで気分は塞込んでおり…戦中、戦前派にはお馴染みの…淡谷のり子さんの歌で ”雨のブルース”を思い出しております。 ♪…雨よ降れ降れ、悩みを流すまで、どうせ涙に濡れつつ 夜ごと嘆く身は あゝ かえり来ぬ 心の青空 すすり泣く 夜の雨よ…♪ 昔は世相を…

[歴史] 戦前日本が見えてくる(10) 御祭神 仏教神社

前回迄のお話で既に明白になった、仏教と切っても切れない由縁の御祭神の神社さまに八幡さまと天王さまがあります。 即ち全国の八幡神社の御本社宇佐八幡宮の主祭神は15代応神天皇(400年AD頃か)とされ、宇佐八幡御託宣集によると「我は誉田天皇広幡八幡麻…

戦前日本が見えてくる(8) 神社いろいろ 神さまの実態

ある年代を超えると高齢者は明らかに年毎に身体能力の上限が低下してくる事が身に沁みてまいります。……陽気が暑いから…、少し寒気を感じる季候になれば夢中で歩けるのでは、と一縷の望みを掛けております。 昔から”困ったときの神頼み”とか言い伝えられ、確…

 戦前日本がみえる(4) 朝鮮半島からの人材流入

ちょっと涼しい日を利用して埼玉県の行田市にある「さきたま古墳群」を徘徊してまいりました。公園化され整備され環境で、古代文化遺産の巨大古墳群には改めて驚かされました。……「県立さきたま史跡の博物館」には発掘副葬品からも高度な文化を携えた渡来人…

[歴史] 昭和は日々に疎し(7)−7 歴史は繰り返す。財産税法とナンバー制度

占領下の日本国政府はGHQマッカーサー司令部バックアップの影響力もあって政府謀略の新円切替、預金封鎖、臨時財産税徴収ワンセットの威力は旧封建社会の特権階級と云えど吹き飛ばして無力化し、日本国民総てが軍国主義政治家の戦争後始末として、蓄財は…

[歴史] 昭和は日々に疎し(6)−7 財産税法(新円発行、預金封鎖)社会へのリアクション

政府の行った財産税法の準備段階で国民の財産は洗い出され、一時的差し押さえの状況の経緯は前回迄でアウトライン程度は判明いたしましたが、この過大財産税の課税実施が戦前社会制度改革のリアクションを伴った事でした。 そのバックボーンはGHQマッカーサ…

[歴史] 昭和は日々に疎し(5)−7 敗戦後の 国民を裸にした…新円、預金封鎖、財産税法、

前回に引き続き、昭和21年(1946)2月の金融緊急措置令による新紙幣発行による預金の封鎖と3月3日以降は旧紙幣の無効と新円発行が始まりますが、毎月世帯主300円、世帯員は1人各100円を限度として預金引き出しが許可されました。…即ち国民の財産は一時…

[歴史] 昭和は日々に疎し(4)−7 敗戦後の生活、新円発行と銀行預金の封鎖で…

前回に引き続き戦後のハイパーインフレが国民の生活へ与えた影響や敗戦に至る莫大な戦争遂行費用(国の借金)を誰が負担したのかを追跡したいと思います。 即ち、累積した戦費や戦時国債を抱え、遂に無条件降伏の結果は陸海軍復員者、海外引揚者、軍需産業す…

[歴史] 昭和は日々に疎し(3)−7 敗戦後の生活と経済

近頃好く話題になる話ですが、…先刻食べた昼御飯をすっかり忘れ、”お昼はまだかい”と催促する高齢者様でも…子供の時代の出来事を手に取るように詳細に覚えている不思議な現象があります。 今回は私が旧制中学生時代の大日本帝国の無条件降伏の直後からアメリ…

[歴史] 日本国(2)−7 昭和は日々に疎し 家庭の生活

今年の寒さは一入身に沁みます。外出も侭ならず、遥か来し方戦前戦後の昭和の回想に耽ってみました。先ず子供の頃に在った家庭用品、備品、衣類、など身近だった物が既に姿を消したか、…稀な存在の品々を思いだす儘にピックアップして見ました。……昭和は遠く…

[時事] 昭和は日々に疎し(1)−7 日本国と覚せい剤 

覚せい剤使用の犯罪は一向に収まる気配はありません。著名なプロ野球清原和博選手やASKAさんなどの逮捕とショッキングな事件は跡を絶ちません。 そもそも日本の覚せい剤「ヒロポン」は大日本製薬により昭和13,4年頃に発売された商品です。この薬メタ…

[地域] 新宿界隈由縁の人々(1)−6 闇市バラック街備忘録

敗戦の年、昭和20年春に私は旧制中学1年生に進学しましたが、未曾有の出来事大日本帝国無条件降伏の事態に遭遇、大混乱社会に身を委ねておりました。ところが、この暗黒時代に突然出現したのが新宿駅界隈の闇市成立です。…沈滞した世間を吹き飛ばすエキサ…

[歴史] 平将門(5)−5 相馬中村藩と相馬野馬追い、足尾銅山

日本歴史ページの一枚…平安時代「天慶の乱」を起こして坂東の新皇を称し、関八州を支配した平将門でしたが、武運拙く敢え無く戦死いたしますが、現在に至るまで関東各地に多くの史跡伝説が残されております。前回は将門に関る成田山新勝寺のお話でした。お不…

[歴史] 平将門(4)−5江戸東京の将門伝説

だいぶ寄り道して将門伝説の話が中断しておりましたが、やっとの事でお江戸東京の将門公御由緒の場所を訪ねて見ました。 日本国の中心”東京”、そのまた中心の大手町界隈の遺構に平将門首塚があります。最先端の高層ビルオフィス街には可なり異端な存在にみえ…

[歴史] 戦時学童集団疎開(4)−4 東京大空襲 併記、鬼怒川の氾濫

今回の茨城県鬼怒川決壊で石下地区の大水害は迫真のTV画像からも自然災害のもたらす脅威のエネルギーを目の当たりにして、近年多発する地球温暖化による過激な自然災害が日本列島にも忍び寄りつつ在る事が明白になってまいりました。 昔の東京を知る私にとっ…

[歴史] 戦時学童集団疎開(3)−4 東京空襲とB29爆撃機の実態

新潟県の南魚沼地方は豪雪地帯で有名ですが、十月も過ぎますと毎日毎日鉛色の空が雪を降らせ、年末には150cmを軽く超えます、スキーは見よう見真似で滑れるようにはなっておりました。国民学校卒業進学を控えた私達6年生は翌年2月に待望の帰京となり…

[歴史] 戦時学童集団疎開(2)−4 戦時の小学生 

……引き続き学童疎開の実態ですが、前回同様社会、世情を勘案して話しを進めますが、……私は昭和の一桁、満州事変直後の生まれです。……日清、日露戦争の勝利後、韓国併合で大陸の半島に足場を築いた大日本帝国は日本本土防備の手段とした大陸進出を目論み19…

[歴史] 戦時学童集団疎開(1)−4 昭和19年戦時小学生(国民学校)

暑い暑いを繰り返すのも能がない話と、殊更口に出さない事にしております…日課のウオーキングも儘ならず…、ま、歩く私が他人様にどう見えるのか分かりませんが、本人は徘徊ではない積もりです。……と云う事で… それではと、古い記憶でも手繰り寄せる事にして…

[河川][地域][歴史] 江戸舟運(1)ー2 キーストン 取手宿小堀河岸

平将門から一寸目先を換えて、今回は過っての取手井野村小堀河岸に特化してみました。…関東地方の大河川は江戸以来人工的な改修が営々と続き既に自然の流路を保つ川筋は皆無と云えます。利根川東遷事業と呼ばれる江戸時代の可なり興味をそそる大事業が成就し…

[地域][歴史] 平将門(3)−5取手宿本陣、高瀬舟河岸(川湊)

長禅寺境内を辞し山門石段下公園の立札には幕末から昭和にかけて名を残した人達で取手に縁の文人などが記してあります。当地に寄留したり利根川や取手界隈に関る作品を残した人々です。小川芋銭、菊池幽芳、正岡子規、高村光太郎、平塚らいちょう、坂口安吾……

[地域][歴史] 平将門(2)−5 平将門と取手市風土記

将門の郷とされる坂東市を前回探訪いたしました。将門が天慶3年(940)2月14日藤原秀郷と平貞盛連合軍を相手に合戦、流れ矢を額に受け戦死の地に在る国王神社(こくおう神社)とは…彼の三女、如蔵尼により創建され、将門を大明神として祀たものです。 Photo……

[地域][歴史] 平将門(1)−5 ゆかりの坂東、取手と岩井探訪

今回は平安中期とかなり古い話で遺構も大規模豪華のものではなく質素であり、大筋は伝説的な歴史探索と思われますので、ゆっくりとアプローチから入ります。…… …この時期、今年は比較的低温で好都合と意を決して、平将門の本拠地である岩井市を訪ねました。…

[歴史][地域] 足利氏と新田氏(6)−6 足利市鑁阿寺、足利学校

栃木県足利市は太平記の里、足利氏始祖の地として歴史遺構が大切に保存された文化観光都市として活況しております。 清和源氏の嫡流源義家(八幡太郎義家)は陸奥の安倍氏討伐以来東山道の要衝足利には縁がありましたが、彼の孫に当たる足利義康がこの地を荘…

[歴史][地域] 足利氏と新田氏(5)−6 足利荘の成立と武家嫡流、 

武家の棟梁”源義家(八幡太郎義家)”と足利との係り、当時の世情は朝廷の権威が持続していた時代を前提に始めます。父親の源頼義が勅命による陸奥安倍氏の討伐戦に義家も参戦した「前九年の役」や「後三年の役」(永承6年、1051〜寛治1年、1087)の間にし…

[歴史][地域] 足利氏と新田氏(4)−6 家康公の置き土産 群馬県太田市の大光院

上毛地域の太平記歴史遺構にかかわる街、太田市と足利市は南北朝にそれぞれ組して戦った新田義貞と足利尊氏の各始祖の地、新田荘と足利荘が存在した遺構が残されております。今回は新田荘、太田市を歩いてみた印象から話を始めます。 大光院本堂 街の中心市…

[将軍家][地域]  足利氏と新田氏(3)−6 世良田新田荘と初代日光東照宮社殿

清和源氏の嫡流新田氏を祖と仰ぐ徳川家康公に関わる遺構が辺鄙な世良田に集約されております。中でも世良田東照宮の建物とは?…元和二年(1616)一月二十一日、駿河の田中に鷹狩りに出かけた家康は、その夜にわかに発病し、自ら死期の迫ったことを悟った…

[歴史] 足利氏と新田氏(2)−6 新田氏後裔徳川家康公の経緯           

前回の経過は…清和源氏の嫡流から新田氏、足利氏が成立して新田荘、足利荘に定着しそれぞれ新田、足利姓を名乗ります。今回の主題部分として…新田氏(義重)は更に嫡流と普系に分かれ、その一つが徳川(得川)郷の徳川姓を名乗る世良田義季こと徳川義季に辿り…

[歴史][地域] 足利氏と新田氏(1)−6 新田荘(群馬県太田市)

清和源氏を始祖とする足利氏と新田氏の出自の解明から太平記の武将として活躍した足利尊氏、新田義貞につらなる話を色々と拾い読みしてみましょう。 そもそも清和源氏とは56代清和天皇の子孫で最も栄えた河内源氏の八幡太郎義家こと源義家が武家の棟梁とな…

[地域][歴史] 草加、越ケ谷千住の先よ(2)−2 近藤勇と越谷宿

どうにか気温も安定し、よい季節になって来ましたが今年は天候不順が堪えました。……さて、越ケ谷とは云わずと知れた埼玉県ですが、以前には「ださい玉」などと呼ぶ”不逞の輩”(ふていのやから)が沢山おりましたが、埼玉県こそは江戸五街道のうち、中山道、…

 [地域][歴史] 江戸六地蔵 (6)ー6 浅草、巣鴨と孝明天皇急死疑惑と旧中山道の因縁

第2番の曹洞宗 東禅寺(台東区東浅草二丁目)宝永7年(1710)建立(奥州街道)は明治通り泪橋交差点を南へ山谷の旧ドヤ街の外れ東浅草2丁目の路地裏の東禅寺門前に鎮座されてます。 普通は人目に付かない下町路地の場所柄で、その昔の事情はともかく現…