[歴史] 戦時学童集団疎開(2)−4 戦時の小学生 

……引き続き学童疎開の実態ですが、前回同様社会、世情を勘案して話しを進めますが、……私は昭和の一桁、満州事変直後の生まれです。……日清、日露戦争の勝利後、韓国併合で大陸の半島に足場を築いた大日本帝国は日本本土防備の手段とした大陸進出を目論み1931年(昭和6年)満州事変を起こし本確的な戦争による立国政策を開始します。……この満州事変は日本無条件降伏の一里塚でありました。満州国建国を強行した日本帝国は国際社会の弾劾を受け国際連盟を脱退、以後中華民国政府との支那事変(対中国戦争)で大陸全面に戦争を拡大し遂に太平洋戦争に発展し、原子爆弾、全国各地の空襲被爆で戦争死亡者は数百万人に達し敗戦の憂き目となりましたが、私達の世代は平和を知らない少年時代を過ごしたと云えます。
では、具体的な話にいたします。…あの戦争で東京市民の生活が逼迫したのは何時頃からでしょうか?、昭和16年12月8日(1941)太平洋戦争が真珠湾奇襲攻撃で米英オランダに宣戦布告した日本ですが、翌年昭和17年頃は小学4年生だった私は家族と外食などしており……銀座梅林のトンカツ、新宿松喜のすき焼など…記憶があり、風前の灯火とは云え社会生活も多少の余裕があったのです。 が、この頃から一挙に物資不足が顕著化し始め国による経済統制のシステム化として総ての物資の配給制度です。これは一般市民の主食米麦、青果魚介など消費物資にまで及び、更に切符制度として割り当て切符持参、洋品店で衣類購入、街での外食は外食券食堂と呼ぶ飯や、それでも配給制度が機能している間が華だったのです。……
丁度その頃新宿駅の改札ホールの人混みでは出征兵士の家族でしょう千人針をお願いする婦人の姿が沢山ありました。……また、零細企業から大企業にいたるまで民間企業は企業統制令により合併一本化して物資の流通は政府(軍部)に委ねられ、即ち街の零細企業、米屋から市場の中卸、タクシー、トラック運送から………鉄鋼、電力、製造業など大企業に至る総ての業界が国の企業統制下の運営で、敗戦により各社が自立した株式会社に復活したのです。開戦以来3年を経過した昭和19年から20年にかけてのB29の日本本土空襲が始まり生活物資不足は更に顕在化します、丁度この時期大空襲を察知した政府は、学童の集団疎開を開始します。
私達世田谷区K国民学校小国民新潟県南魚沼郡S町に出発しました。上越線湯沢駅の先に昔塩沢紬(つむぎ)で有名なS町の駅が私達の目的地で早速、街のお寺や旅館に分宿落ち着きますが、母親の手を離れ身の回り一切の自立ですから3年生など低学年は大変な筈でした、簡素な食事と就寝までの集団行動も、親が持たせたオヤツ類があるうちは何とか凌いだのですが、秋も深まる頃から子供達にとって空腹が一番辛い事になります。お寺の境内には銀杏、りんご、梨などの木があり、熟れた木の実が沢山つきましたが、残念、銀杏は黄色く臭い果肉につつまれ、綺麗に色付いた小さな姫りんごは酸っぱいだけ、小さな梨の実はガリガリで甘味もなくて食べられず、飢えた子供達でも、さすがに敬遠しました。が、唯一つ甘く忘れられない山の恵みを覚えました。
…私達は口に入れる物を求めて山里を徘徊し偶然藪の中に紫色に熟れた果実が沢山ぶら下がっていたのです、僅かに口を開いた大きなアケビの実でした。沢山の種を包みこんだゼリー状の物で恐らく鳥の食べ物かも知れませんが、齧り付いたその甘みを今でも記憶しております。またS町はお米の本場南魚沼郡ですから、小学生は刈入れ時に勤労奉仕として農家の手伝いをします、稲束を背負い運ぶ仕事でしたが、昼食に出されたピカピカの銀シャリとナメコの味噌汁は本場ならではの味は今でも思い出します。
今回は疎開先の食物事情に特化されてしまいましたが、通学時のお弁当のオカズです、私達はそれぞれ布の袋を持たされ田圃に出張してイナゴ(バッタ)捕りがありました。往時は農薬など散布しませんので畦道を歩くとイナゴの大群が飛び回ります、それを手掴みで採取しお寺さんの寮に持ち帰り数日放置し排泄させて、熱湯で茹で上げ、天日で乾燥させた醤油の煮物がお弁当のオカズでした。正真正銘のバッタです。都会の人は別として地方ではよく食べるものかも知れませんが!。
締め括りはお寺の仕事をする家の同級生のお宅に一度連れて行かれた時のお話、……木の床に茣蓙を敷いたような家でしたが、おっ母さんはニコニコしながら腹が減ったろと、冷たい飯と味噌汁を沢山食べろと勧めてくれたのが忘れられません。お父さんの仕事の一つが町の火葬場の火夫の役目か、同級生と一緒に行った街外れの普段は人が顔を見せない仕事場です、丁度燃え上がる炉口に薪をくべる仕事中でしたが、疎開の子供と知ってか、寡黙でしたが笑顔で接してくれ、素朴な方の優しさが身に染みた記憶は、なぜか今でもその家のお名前を覚えているのです。…… 
   ……先へつづく… ……前へ戻る

《戦時学童集団疎開
(4) 東京大空襲 併記、鬼怒川の氾濫
(3) 東京空襲とB29爆撃機の実態
(2) 戦時の小学生
(1) 昭和19年戦時小学生(国民学校)