[地域][歴史] 平将門(1)−5 ゆかりの坂東、取手と岩井探訪

今回は平安中期とかなり古い話で遺構も大規模豪華のものではなく質素であり、大筋は伝説的な歴史探索と思われますので、ゆっくりとアプローチから入ります。……
…この時期、今年は比較的低温で好都合と意を決して、平将門の本拠地である岩井市を訪ねました。が、年寄りの冷や水!、炎天下の田舎道を歩いているのはよそ者だけでトラックの驀進する国道などは命がけです、公共交通手段などは東京近辺の甘いお話、田舎では一人一台の自動車交通のみ、自転車も危険です。…ま、何とかペットボトル4本消費して行き倒れずに帰宅はいたしましたが。

岩井市国王神社
さて、茨城県岩井市のロケーション…現在は坂東市と改名しており昔から陸の孤島で有名、アクセスは乗合いバスのみ…1、東武野田線野田市駅バス乗り場 2、つくばエキスプレズ守谷駅バス乗り場 3、東京駅八重洲高速バス乗り場 岩井行き、などですが、野田市駅からは辛うじて1時間に1本、他は更なる間隔です。田舎探訪は自動車が常識、健康保持のウオーキング探訪は非常識と認識いたしました。また、坂東市への位置目標はありません、…多少道に詳しい方…野田市愛宕から利根川芽吹大橋をわたり、水街道へ抜ける道の大利根カントリークラブ先の三叉路を北へ間もなくです。 この岩井こと坂東市の自慢は伝説平将門遺構と市域内無鉄道の記録ホルダーであり、高知土佐市、兵庫宍粟市、東京武蔵村山市、岐阜山県市と共に数少ない鉄道無縁の市です。

岩井国王神社 将門戦死の地これからのお話はマニュアルシフトで船ならSlow Ahead、自動車ではローギヤから発進します。坂東市の坂東とは、昔は関東武士を坂東武者とか利根川を坂東太郎と呼んだりしましたが、古代京都から箱根峠や碓氷峠の向こう側、江戸時代の関八州…相模、上野、下野、武蔵、上総、安房常陸の事で昔の人は講談などで案外知っておりましが、今の方にはちょっと古い感覚です?、ま、人口5万人の旧岩井市坂東市を名乗るとは剛毅な話ですが、将門伝説遺構の地に相応しいと考えたのでしょう。
今回は古い時代の話ですから遺構自体が総てを語るものではなく歴史伝聞、歴史小説、…私は過ってのNHKの大河ドラマ風と雲と虹と」を楽しみ、この媒体を介して平将門に興味が湧いた遺構探訪です。と云う事で天慶の乱(将門の乱)の概要は必須と考えました……以下…
今から1080年前、天慶3年(940)に未開地坂東で平将門による「天慶の乱」が起こった話ですから、殆どの遺構は伝説的なものと思われますが、我々東京人にとっては可なり有名な場所が直接平将門に関わっております。       先ずは東京のビジネスセンター大手町には「将門首塚」の存在、サラリーマンの新年初詣の定番、江戸総鎮守「神田明神社」、庶民屈指の有名寺院の「成田不動尊」、東北「相馬の馬追い」、戦前の陸軍軍馬の糧秣、「糧秣廠」が千葉県流山にありました。…詳細は後程、都心部にも、その他将門伝説を由緒とする有名神社など多数存在します。 更に取手市を始めとして水街道、守谷周辺から常磐国府の石岡から上野国前橋市下野国栃木市まで関東一円に及び朝廷の支配機構の国府が占拠される事態は平安初期の可なり大掛かりな事件であった事が分かり、さらに西方瀬戸内の藤原純友の乱は将門と共謀説まであり朝廷を震撼させたのでしょう。
では、…平安時代の935〜940年に桓武平氏一族の領地争いが「天慶の乱」の端緒となりました。桓武平氏の祖、上総介平高望の孫、平将門は父良将の死後上京して朝廷公家の摂関家に仕えますが、父の領地を叔父の国香や良兼が横領し、帰郷した将門と紛争になります。その間国香の子貞盛や良兼に娘を娶せた常陸大掾源護と将門は争い、勝利しますが、護に加勢した国香も落命します。残された貞盛や良兼は連合して将門を攻めますが破れ京に逃れました。この頃が武士階級の勃興期か、京より下ってきた地方官達が武力による係争が多発し、それぞれ敗残し追われる立場の武蔵権守「興世王」や「藤原玄明」が将門を頼り下総に来たことで天慶2年(939)将門は京より常陸大掾として帰っていた宿敵貞盛を攻撃、常陸国府を焼き払い、更に興世王の督励に乗り下野、上野の国府を攻略、国司達は命辛々逃亡します。遂に平将門天皇に対する新皇を名乗り坂東八ケ国の国司を任命して関東全域を手中に収めました。一方朝廷は将門の反乱と瀬戸内の藤原純友の乱で驚愕し、早速参議藤原忠文征東大将軍に任じられ、追討軍が京を出陣します。……
が、この稀代の風雲児の最後は衆意に反した結果でした。追討軍に関わらず俵藤太こと下野国押領使藤原秀郷」が4千の大軍を率い貞盛軍と協力し将門軍を奇襲攻撃し岩井こと石井の島広山にある石井営所といわれた将門の政治経済軍事の本拠地が攻められ流れ矢に当り将門は戦死、その地には33年後、国王神社が三女如蔵尼により創建され将門大明神として祀られております。
        ……先へつづく

平将門(5) 相馬中村藩と相馬野馬追い、足尾銅山
(4) 江戸東京の将門伝説
(3) 取手宿本陣、高瀬舟河岸(川湊)
(2) 平将門と取手市風土記
(1) ゆかりの坂東、取手と岩井探訪