2013-01-01から1年間の記事一覧

[時事] 安倍総理大臣さま(2)−6 安倍総理の資質

前回は安倍総理の端的な事実を考えてまいりましたが、今回は靖国参拝で基本的な資質の危うさが露呈しますが、 その前に、沖縄県仲井知事が県外移転を終始主張していた普天間飛行場に関して一転、辺野古沿岸埋め立て承認を電撃的に決定しました。 なぜか?、…

[将軍家] 将軍家霊廟増上寺 (4)−5 狭山不動寺の将軍家甕棺は何方のか…。

南北朝の話に拘って参りましたが一寸一服、アットランダムを発揮して今回は西武球場前の狭山不動寺の参詣です。 photo…二代将軍徳川秀忠、台徳院霊廟に在った勅額門、後水尾天皇書このお寺の由来は昭和20年の東京大空襲で焼失した芝増上寺徳川将軍家霊廟の…

[天皇公家][歴史] 南北朝(4)−4 鎌倉幕府北条氏宰領下の天皇は。

今回は暴走、後醍醐天皇の出現が必至であったバックグラウンド鎌倉時代を調べて、その原因を探る事が可能と判断いたしました。 古代は詳細さへ確かめようがない天皇家ですが、有史飛鳥時代以後の歴代天皇の中で時には突出した天皇が出現します。 即ち後醍醐…

[歴史][天皇公家] 南北朝(3)−4 有史最大 朝廷と武家の”ゴッチャ混ぜ”闘争

最近は政治の世界で……「歴史と伝統」などと口当たりの良いコピーで戦前社会に先祖がえりを目論む党派か?、社会には更なる黒幕が存在するのか?、 ……、では本題に戻りますが、室町時代は何故天皇家内部の相克が激化したのでしょう?、原因は天皇家の財政逼迫…

[歴史][天皇公家] 南北朝(2)−4 後醍醐天皇即位、天皇家秩序崩壊

後醍醐天皇photo:wikipedia 清浄光寺蔵 足利尊氏の武蔵野合戦、前回は足利氏始祖の地、足利市でしたが、そもそも清和源氏同祖足利、新田氏の骨肉の争いの根源たる南北朝天皇家について今回は歴史音痴を省みず考えてみました。悪しからず…… …興味を持った概要…

[歴史][探訪] 南北朝(1)−4 足利氏始祖地 足利市鑁阿寺

東京近辺に在住の方々には北関東の足利市、大田市などはなぜか縁遠い場所と感じていませんか?、 お江戸は別として関八州で鎌倉にも匹敵する歴史の宝庫が、僅か80km圏にあるのです。 上)太鼓橋楼門 下)本堂と中御堂 足利市と云えば足利尊氏父祖の地で…

[歴史][地域] 隅田川と戦国武将(2)−2 浅草の石浜城と神話天岩戸

今回も浅草附近隅田川岸を構成していた石浜の丘陵真土山(待乳山)に拘わる推理と南北朝時代の風雲児足利尊氏伝聞です。…… つらつら考えるのですが、歴史とは講談師さんのお話し程度のものなのか? 南北朝の争いも太平記という物語をベースに考えたり致しま…

[時事] 安倍総理大臣さま(1)−6 大丈夫? 総理大臣選出方法

管、野田と民主党総理の余りの無能と特に管元総理の欠落した人格、野田氏の政治的洞察力の不足で民主党崩壊となりました。…消費増税で自民党と手を組んだ結果、約束した筈の財政規律どころか自民党支持勢力へのばら撒き財源の補完に利用される事になりました…

[地域][探訪]  隅田川と戦国武将(1)−2

前回に引き続き隅田川に因んだお話し、戦国武将とこの川の係わりを調べる事に致しましょう。 源義家(八幡太郎義家)江戸絵 先ずは平安時代後期、朝廷に隷属する形で勃興した新興武士集団の源義家(八幡太郎義家)は陸奥の豪族安倍氏懲罰の為に朝廷から陸奥…

[地域][歴史] 築地 月島 (6)−6 勝どき橋界隈

それでは歌舞伎座前の晴海通りを月島方面へ、隅田川の勝どき橋があります。以前は東京名所の巨大開閉橋でした。 まさに万歳をした様に橋の中央部分が開くのです。 私は昭和24,5年頃魚河岸の岸壁から眺めておりましたが当時は午前と午後の二回開閉で、た…

[地域][探訪] 築地 月島 (5)−6 築地居留地界隈探索

先ずは聞いて下さい。 ”夢淡き東京” <JASRAC関係作詞を削除> 旧聖路加病院とエンブレム ”夢淡き東京” サトウハチロウ/古関裕而/藤山一郎さん。…何もゼネレーションで差別をしようと考えている訳では御座いませんが懐かしいと思われるお方は限られているの…

[寺社][地域] 築地 月島 (4)−6 築地本願寺

現代の東京は昔日を偲ぶよすがを見つけるのは難しくなりました。 今回は銀座のお隣築地界隈を好奇心をかき立てて歩いた結果です。 そもそも築地とは本願寺建立の為に埋め立て造成からなった地名だそうで、築地の発祥、本願寺さまのお話から始めます。…… 親鸞…

[敗戦][天皇公家]  敗戦後の裏話(5)−5 昭和天皇の変身

出来上がった概念を大切にして真実の歴史から目を背ける方々も存在するのが社会の現実ですが、大多数は事実、真実を歴史に求めております。 以下は私なりに決着した敗戦直後の歴史観です。…… …マッカーサー元帥の率いるアメリカ軍の進駐で8月15日を境に日本…

[敗戦][天皇公家] 敗戦後の裏話(4)−5 終戦に至る昭和天皇の動向

毎日続くこの暑さ!、弛緩した不調の頭で、つらつら考えるのですが、世界規模での異常気象は地球環境の激変兆候ではと心配になります。…福島原発事故以来の化石燃料回帰でCO2問題への思考停止の世情から、即ち環境破壊の危機が加速、必然の結末として農産…

[敗戦][天皇公家] 敗戦後の裏話(3)−5 昭和天皇の試練、極東国際軍事裁判

Hideki Tojyo "Death by hanging" ……私はスーパーヘテロダイン受信機(ラシ゛オ)に噛り付き極東国際軍事裁判の判決を聞いておりました。…… 昭和23年(1948)11月12日市ケ谷旧陸軍大本営講堂(士官学校講堂)に開設された軍事法廷からのA級戦犯諸氏に…

[敗戦][経済] 敗戦後の裏話(2)−5 飢餓とハイパーインフレの教訓

今日の飽食日本国で飢餓体験をした人は既に限られた高齢者しか居りません。 あの凄まじいハイパーインフレを知る人も同じ年代に限られるのでしょう。……昭和20年(1945)敗戦後の都会生活者にとって飢餓、食料欠乏は生存さえ脅かす重大問題でした。 当時…

[敗戦][世情] 敗戦後の裏話(1)−5 逆転社会の到来

今年も暑い夏がやって参りました。 毎年この季節に思い出すのは昭和20年8月15日に昭和天皇が連合国軍によるポッツダム宣言を受諾、大日本帝国の無条件降伏の勅語を自ら「ラチ゛オ放送」した日なのです。… 予め国民には天皇の重大放送が行なわれる事が周知さ…

[時事] それでも民主党を支持しない!

日本国の右傾化、戦前思想への先祖返りが危惧され、国家財政規律は何処へ?、またまた企業、団体へのバラ撒き復活で人気を煽る自民党は安倍総理の好景気→インフレーションの図式を逆転取り違えた迷走から日銀を抱き込んだ小手先ファイナンス政策の破綻は想像…

[江戸][天災] 東京都市災害 (6)−6 日本堤はお江戸の防災拠点

前回の浅草車善七と吉原遊廓の話の中で日本堤を取り崩し、跡地を土手通りと呼ばれる道路にいたしました。 吉原大門へのメイン道路ですが、昭和2年(1927)までは土手が残って居たのです。 現在も吉原大門交差点脇に有名な”見返り柳”の何代目か?、か細い柳が…

[交通流通][事件事故] 海難(2)−6 MOL COMFORT(コンフォート)沈没

前回記事は6月17日コンテナ船MOL COMFORT(コンフォート)がアラビア海で破断後、船体前後部が二分して漂流中迄でした。 その後もウオッチしておりましたが、ブリッジのある後部が6月27日沈没、…主機エンジン、補機、プロペラシャフト、プロペラと船体重量…

[江戸][不条理] 浅草裏の寄場 (2)−2  車善七役所と吉原遊廓跡

浅草非人頭車善七さんのおはなしで、なぜ新吉原遊廓が出てくるのか?、とお考えの方も居られると思いますが、…… 江戸切絵図で吉原遊廓を見ますと必ず遊廓の羅生門河岸の水道尻に腰巾着の如くピッタリと車善七役所と手下の住居、預かり女囚人の溜の場所が描か…

[江戸][不条理] 浅草裏の寄場 (1)−2 冥界の狭間を歩く 非人寄場 (1)

例えば、一般的に浅草裏と称するのは北へ南千住隅田川畔附近までの地域と仮定いたしますと、お江戸の暗黒、天国と地獄、様々な遺構が集約されて存在するのが見えてまいります。 そもそも歴史とは流れ去って行った人々の記録ですから冥界のお話として、その狭…

[交通流通][事件事故] 海難(1)−6 商船三井コンテナ船 船体破断

当ブログのバックナンバーでも鉱石運搬船ボリバー丸とカリフォルニア丸の破断沈没の海難事故を取り上げてまいりましたが、全く類似した海難が発生しました。 今回は商船三井の大型コンテナ船MOLコンフォート8000TEU型(20フィートコンテナ800…

[歴史] [地域]  築地 月島 (3)−6 築地と帝国海軍発祥の地

今回は隅田川の河口右岸に開けた埋立地、その名も築地と帝国海軍の話に特化してみます。 明治時代初頭、帝国海軍発祥の地です。 即ち海軍本省、海軍兵学寮(兵学校)、海軍軍医学校、海軍省水路部、などが設置され、後には海軍大学校、海軍経理学校が加わり…

[探訪][地域] 月島 築地 (2)−6 江戸遺構 佃島、石川島の今昔

今を去ること1400年前、日本国の年号も定まらない628年(西暦)隅田川の河口浅草で漁師の檜前浜成、武成の兄弟の網に一寸八分の黄金の聖観音像がかかり海中より現れたのが浅草寺の御本尊と云われますが、徳川家康公が江戸に入府した天正時代1590…

[地域]  月島 築地 (1)−6 月島佃島歩行案内

隅田川を遡る話ではありますが、河口から流頭荒川岩淵水門までの両岸の歩行探索記です。 川の流れが大都会誕生の原点にありますが、お江戸東京も隅田川(旧荒川)河畔が経済文化の中心地でした。 昨今は東京の文化は内陸へとシフトして隅田川両岸は細々とお…

[幕末][事件事故] 水戸天狗党 (4)−6  水戸藩2足の草鞋で悲惨へ

水戸藩9代藩主徳川斉昭の七男一ツ橋公慶喜が天狗党追討軍総大将として…『流言、浮説にまどうことなく無二念(容赦なく)追討鏖殺(みなごろし)いたし候様』と下知して待ち構へております。そこへ神君と仰ぐ徳川斉昭位牌の神輿を伴ない慶喜公を一縷の燭光と…

[幕末][事件事故] 水戸天狗党 (3)−6  自滅 飛んで火にいる夏の虫 

私は一時那珂湊に寄留した事があり水戸の街にも立寄った記憶では千波湖や偕楽園周辺は風光明媚、文化財も魅力のある場所です。 天狗党事件を切っ掛けに幕末の水戸藩内が二分して血みどろの殺戮合戦に終始した事実に、なぜか?、口をつぐむ水戸の人が不思議に…

[歴史][幕末]  水戸天狗党 (2)−6  尊王水戸藩の真実

水戸天狗党事件の本因である水戸藩の尊皇攘夷を一寸覗いてみましょう。 二代藩主徳川光圀に始る尊王思想への傾注歴史観の史記編纂が藩の仕事として代々受継がれますが、江戸末期の9代藩主徳川斉昭の就任で尊王と過激な攘夷思想が水戸藩を席巻します。 即ち…

[幕末][事件事故] 水戸天狗党 (1)−6  天網恢恢 田中愿蔵始末記

前回は浮浪凶徒尊攘派水戸天狗党追討に幕府は遠州相良藩主、幕府若年寄田沼玄蕃頭を追討軍総括に任じ幕府軍一万余で水戸天狗党追討隊を編成常陸に進出します。 一方、水戸藩主徳川慶篤に名代を任じられた支藩宍戸藩主松平頼徳の水戸城沈静隊「大発勢」…、と…