[天皇公家][歴史] 南北朝(4)−4 鎌倉幕府北条氏宰領下の天皇は。

今回は暴走、後醍醐天皇の出現が必至であったバックグラウンド鎌倉時代を調べて、その原因を探る事が可能と判断いたしました。
古代は詳細さへ確かめようがない天皇家ですが、有史飛鳥時代以後の歴代天皇の中で時には突出した天皇が出現します。 即ち後醍醐天皇です。 この方は南北朝に分かれた皇統の世嗣争いを更に拡大させ乱世の火つけ役です。

後鳥羽天皇の陵 仏教に帰依出家した方の墓に鳥居を立てる宮内庁
…確かに古代日本に覇権を樹立し、統一を果たした天皇家の子孫としては、武士階級の勃興以来、名ばかりの地位に押込められて支配者の得るべき富をも阻害され自立さえ不可能な立場を押し付けられておりました。では……後醍醐天皇暴走の理由とはなにか?、……時代にながされる各代天皇の越し方に不満を持っていた。更に本来君臨すべき立場の天皇を武力で宰領する武家政権の横暴に最大の不満があったのかも。 しかし足利尊氏の前に野望は打ち砕かれ失意のすえ、吉野の山中で亡くなったのです。 
では、鎌倉時代武家統治下の各代天皇の危うげな立場を見て頂きます。…
……平家を破った鎌倉幕府征夷大将軍源頼朝の没後、妻女北條政子の辣腕で御家人北条氏が幕府執権として君臨、以後北条氏の天下が続き後醍醐天皇の幕府追討の成就まで、執権北条氏の天皇処遇をクローズアップしてまいります。 また、天皇家がらみの葛藤相克はややこしい皇統世襲の手練手管の繰り返しですから内容は省略しますが、各代天皇の命運が真実の歴史を露呈しているのが面白いと思います。……
鎌倉時代の各代天皇》の命運。…上皇法皇時代も含む。
第82代 後鳥羽天皇 在位1183-1198   59歳没 法皇 仏教、帰依出家 ………上皇時代の北条義時追討の院宣で「承久の乱」を起こし失敗、隠岐島流罪18年没。この承久の乱以後の朝廷は幕府に屈服し朝廷内諸事も尽く報告、皇統相続も幕府が介入する事になる。
第83代 土御門天皇 在位1198-1210   35歳没 上皇 仏教、帰依出家 ………上皇時代、父後鳥羽院政の「承久の乱」に連座自ら申し出て土佐に流罪。  
第84代 順徳天皇   在位1210-1221   45歳没 上皇。………上皇時代、父後鳥羽院政の「承久の乱連座佐渡島流罪21年没。 
第85代 仲恭天皇  在位1221  16歳没 ………後鳥羽天皇の血統者として即位後、幕府から退位させられた。
第86代 後堀河天皇 在位1221-1232  22歳没 ………鎌倉幕府北條氏は後鳥羽天皇の血統をすべて排除し、安徳天皇の血筋として後堀河天皇を即位させた。
第87代 四条天皇  在位1232-1242  11歳没  事故死。
第88代 後嵯峨天皇 在位1242-1246  52歳没  法皇、仏教、帰依出家 ………鎌倉幕府北条氏の執権政治が安定し天皇とも連携した。 但し後嵯峨上皇南北朝の相克大乱の根源を作った人。…即ち、自らの皇子89代後深草天皇とその弟90代亀山天皇の長幼の序を崩し亀山天皇を敢えて皇統と指名し後深草、亀山両天皇が確執し南北朝皇統争いに武家を巻き込み骨肉の争いに発展した。
第89代 後深草天皇 在位1246-1259   62歳没 上皇、 仏教、帰依出家 ………父後嵯峨上皇の要請で17歳で弟、亀山天皇に譲位し更に皇統も奪われる、父上皇の裁決に不満を抱き、弟亀山天皇と相克激しく幕府が介入、宰領して両統の皇位順番制を敷く、この内容は両統10年毎に天皇が順番に代わる制度でした。 持明院統の血統原点の天皇。  
第90代 亀山天皇 在位1259-1274  56歳没 法皇  仏教、帰依出家 大覚寺統………兄後深草天皇との皇統世襲争い激化。上皇時代に2回の蒙古襲来。南朝大覚寺統の血統原点。 
第91代 後宇多天皇 在位1274-1287   57歳没 上皇 仏教 落飾出家 大覚寺統………天皇在位時代に2回の蒙古襲来。 幕府裁定に従い持明院統92代伏見天皇に譲位。その後の経過では94代後二条天皇、96代後醍醐天皇が即位共に大覚寺統後宇多上皇の皇子。しかし、またまた皇統世襲問題で大覚寺統は分裂する。即ち……後宇多上皇は皇統として後二条天皇の皇子を決定したが幼少の為ピンンチヒッターに皇統傍系の皇子を起用、後醍醐天皇とし即位させたが、父上皇の意に反して後醍醐天皇は居座り自らを皇統継承者とし上皇と争う。
第92代 伏見天皇 在位1287-1298  52歳没 上皇 持明院統。………幕府裁定により大覚寺統から譲位されたが幕府裁定に反し、更に皇子を93代後伏見天皇とした経過から、大覚寺統と係争、御所が襲撃され暗殺未遂事件が起きる。 大覚寺統亀山上皇の画策、三条実盛の関与の疑惑。…歴史は繰り返すか?、…幕末、孝明天皇毒殺疑惑の渦中の人物も公家三条実美でした。
第93代 後伏見天皇 在位1298-1301  48歳没 上皇 帰依出家。 持明院統。………幕府の裁定、順番天皇制(両統迭立)を朝廷の既決事項として両統安定化を計るが失敗。上皇院政中に幕府に逆らい逮捕される。
第94代 後二条天皇1301-1308   23歳没 大覚寺統………幕府裁定により持明院統後伏見天皇から譲位。
第95代 花園天皇 在位1308-1318   51歳没  帰依出家   持明院統。………幕府裁定により大覚寺統後二条天皇から譲位。 文人天皇。  
第96代 後醍醐天皇 在位1318-1339   51歳没 大覚寺統………幕府裁定により持明院統花園天皇から譲位。 南朝第一代天皇 このお方は在位中に二度天皇をやめており、当然二度天皇に復帰しています。 討幕計画発覚逃亡により幕府が天皇廃位にした。 二度目は倒幕後足利尊氏の離反交戦で比叡山に逃れ和睦し退位します。…その度毎にいずれも逃亡により復権し最後は吉野に自前の朝廷を開設京都(北朝)吉野(南朝)と完全な南北朝が形成されましたが、後醍醐天皇の云う吉野朝廷の正当性根拠とは……尊氏と和睦し三種の神器北朝に渡したが、あれは騙しの偽物、本物は自らに在り吉野朝廷こそが正統天皇家なりと主張しました。 ただし後年の争乱では南朝勢が北朝から偽物三種の神器を奪還する不思議があります。?… 
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南北朝天皇家
(4) 鎌倉幕府北条氏宰領下の天皇は…
(3) 有史最大 朝廷と武家の”ゴッチャ混ぜ”闘争
(2) 後醍醐天皇即位、天皇家秩序崩壊
(1) 足利氏始祖地 足利市鑁阿寺