2016-12-01から1ヶ月間の記事一覧
大正時代以前の中川とは古利根川の下流部分の呼称、…迄が前回の話でしたが、今日はその先、知る人ぞ知る…古隅田川?とは、今回も古利根川いわゆる中世期の利根川本流跡…の追跡になります。…古利根川下流(中川)は元荒川や綾瀬川を呑み、更に南下します。今…
前回は首都外郭放水路へ寄り道しましたが、この設備の最南端の越流堰のある春日部市の古利根川から更に下流へ追跡です。…… 古利根川松伏溜堰既にお気付きの事と思いますが、中世よりの河川名の探求は基準など全く無く、土地土地で勝手に呼んでいました。昔の…
今回は流路探索の視点を一旦変えて古利根川、元荒川、中川流域地帯の重大な問題点を探って見ようと思います。………日本一の関東平野の北部山岳を水源とする大河川利根川はその昔、現在の荒川と江戸川に囲まれた御盆の様な低地帯に流れ込み自由気ままに、水路は…
前回から引き続きまして……とにかく煩雑なのは河川の名前です。加須市街からの会の川が東北自動車道加須インターチェンジ先で北側用水路と合流し、その流路は加須市川口に達しております。この北側用水路とは葛西用水路とも云われ江戸時代の万治3年(1660)…
前回の探索は加須市内の会の川を地図上で遡行し”会の川”流頭の利根川締め切り地点の様子を観察いたしましたが、今回は羽生、加須市に残る中世期の利根川本流とされる会の川の堆積物の自然堤防、砂丘など内陸では珍しい形成経過など調べてみます。 但し、イメ…