[河川][歴史] 古利根川の追跡(7)−8 謎の大河古隅田川跡と足立区、葛飾区

大正時代以前の中川とは古利根川下流部分の呼称、…迄が前回の話でしたが、今日はその先、知る人ぞ知る…古隅田川?とは、今回も古利根川いわゆる中世期の利根川本流跡…の追跡になります。…古利根川下流(中川)は元荒川や綾瀬川を呑み、更に南下します。今回もGoogle mapを基本に話を進めます。

中川の対岸旧古利根川呑み口附近を望む更に中川を南下追跡、中川の流れ中央部には足立区と葛飾区の境界線が走っています、……この境界線は常磐線鉄橋(亀有、金町間)の先で中川右岸(都心側)へ切り上がります。……即ちこの両区境界線の隅田川までが大化の改新以後、武蔵と下総の国の境界を画する目安ですが、これに利用されたのが、即ち古隅田川なのです。
中川は、この古隅田川の呑み口で更に南下する流れと二分流しましたが、ここの地点の対岸(左岸)に…金町水元公園に残る小合溜から古代の流路跡があったと考えられます。仮定の話ですが、こちらが昔の本流的流れと考えると古隅田川への呑み口形成が自然の形態でスムーズに見えてまいります。
《足立、葛飾区境界の点線は判別しにくいですが追跡をお願いします》

photo…古隅田川跡水路  先ずは古隅田川流路の場所の特定から始めます。中川(古利根川)よりの流入口部分は昭和初期の地図でも大きな入り江になっておりますが、この辺りに大正二年日本製紙が創業、工場が近年までありました。 跡地には現在”アリオ亀有”の大ショッピングセンターとなり中川の近代的護岸と相俟って、古隅田川への入路は葛飾、足立両区の地図上の境界線から推理するしかありません。即ち中川の常磐線鉄橋下流中川橋上流付近から流路跡は暗渠化した路地、駐輪場、道路などそれぞれ変化し、転用時には時代差があるように見えます。 


小菅東京拘置所脇までまさにクネクネと古代からの河川跡が続いておりますが、その状態の一部として現在も姿を留める場所が東武伊勢崎線小菅駅近くの小菅東京拘置所に沿った裏門堰親水水路があり、足立、葛飾両区により整備された静かな歴史プロムナードは穴場的スポットかもしれません。更に東京拘置所の南をはしる旧陸前浜街道水戸街道(起点、日光街道千住宿)の綾瀬川に架かる水戸橋を渡り、わずか上流辺りから親水公園として古隅田川の流路跡が約600mほど残されており、昔日の大河を偲ぶよすがはありませんが時代の経過を語りかけております。
photo…隅田川鐘ヶ淵の切り絵図には古スミタ川の文字が見える (右)小菅刑務所


流路跡は荒川を横切り(荒川は当時存在しない、近代に開削された人工河川) 更に北千住駅東の柳原の道路をカーブしながら東に移り最後は隅田川の水神(隅田川神社)上流からは現在の隅田川となります。……ところで隅田川への流入部分ですが江戸大絵図須賀屋版から”御殿場”南に”古スミ田川”と書かれた入り江が在ることから水神(現在の隅田川神社)の北側と云えるのでしょう。
………ここで、昔日の隅田川上流とは……即ち鐘淵で合流した古隅田川跡の事で、現在の隅田川上流、赤羽岩淵、北千住の流れは…その昔{入間川」が隅田川流入した水路なのです。
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古利根川の追跡》 
(9) 昭和22年カスリーン台風大洪水の追跡
(8) 蛇行デルタの江戸遺構「小菅」から大川へ
(7) 謎の大河古隅田川跡と足立区、葛飾区
(6) 中川合流から古隅田川へ
(5) 大洪水デルタ地帯の河川、古利根川と中川
(4) 旧利根川跡を流れる葛西、北側用水路の実態
(3) 羽生、加須市 会の川は悪水落し
(2) 近世初期の会の川
(1) 会の川締切り以前の利根川