事件事故

 [レーダー照射事件危機の実例] 自衛艦”ゆうぎり”の米軍機撃墜事故

CIWS機関砲(レーダードームが一体化) ★自衛 艦”ゆうぎり”の射撃管制レーダーによる米軍機撃墜事故 平成8年(1996)環太平洋合同演習(RIMPAC)に参加中の舞鶴の第2護衛隊群47護衛隊”ゆうぎり”はハワイ沖2400kmの西太平洋上で射撃訓練を実施中の6…

[事件事故] 日本橋界隈の人脈(6)−6 続、続 三越デパートと下山事件

下山事件は67年前の昭和24年(1949)7月ですから戦後派の方々には馴染みの無い話かと思われますが、敗戦後占領軍時代の現代史や生活史のアプローチには可なり格好の事件だったのです。…ま、簡単なWeb検索で、下山事件の客観的記述が多数あります…

[事件事故] 日本橋界隈の人脈(5)−6 続 三越デパートと下山事件

この事件で世論も他殺説と自殺説に分かれ捜査結果としても両説ともに決定的証拠が存在せず混沌となりました。…この迷宮化の根源を作った人物が、即ち東京大学医学部教授の古畑種基氏です。…司法解剖に立会い死後轢断の判定所見が切っ掛けとなり科学的根拠の…

[事件事故] 日本橋界隈の人脈(4)−6 三越デパートと下山事件

米軍占領下の昭和24年(1949)7月に発生した国鉄総裁下山定則氏の轢断死事件を契機に三鷹事件、松川事件と一年以内に次々と起った国鉄の大事故は三大ミステリー事件と云われ、その実態が不明のまま迷宮入りして今日まで語り継がれております。 中でも…

[事件事故] 日本橋界隈の人脈(3)−6 三越デパート、三井本館の事件簿

日本橋の中心と云えば昔も今も三井財閥発祥「越後屋呉服店」の店舗のあった場所、駿河町筋、現在の日本橋三越デパートと三井本館の対面する道かと思います。 江戸日本橋駿河町越後屋呉服店 この伝統の建物で起った二、三の事件は日本国の歴史の一端を象徴す…

[時事][事件事故] 甦る記憶 (2)ー8 日本国とアメリカCIAの関係

アメリカのCIAと云えば私の記憶には、昭和26年(1951)プロレタリア作家、鹿地亘氏が在日CIAの岩崎ハウス(本郷三菱岩崎邸)に在ったキャノン機関に拉致監禁されたとされる事件でした。が、…実は彼はCIAのエージェントで二重スパイが発覚し自ら保護を求めて…

[事件事故] 海難(5)−6  史上最大洞爺丸沈没事故と船長

この件は昭和29年(1954)9月26日台風15号(洞爺丸台風)が北海道南部に接近し青函連絡船洞爺丸など多数の船舶の海難事故で記録的多数の犠牲者が発生いたしました。 しかし当時の気象観測、通報、船舶、機材などシステムや科学技術の環境が現代と…

[歴史][地域] 安政の大獄(5)−5 冥界小塚原刑場と松陰神社の経緯

浅草裏に存在する天国と地獄の極致が南千住の小塚原刑場跡で死者の世界、冥界なのです。 この刑場は徳川家康江戸入府の時、既に存在した日本橋本町4丁目の刑場が移転したもので浅草鳥越橋、浅草聖天町を経て慶安4年(1651)当地に開設され明治6年頃まで…

[歴史][地域] 安政の大獄(4)−5 小伝馬町牢の露と消える

小伝馬町牢跡地の遺構は中央区日本橋小伝馬町にあり、十思公園、十思保育園(旧十思小)と大安樂寺、身延山別院など一帯に存在し大安楽寺門前には御椓場(おたくば)こと打首場、更に云えば斬首場跡の石碑が歴史の在りし日を物語って居ります。 この十思公園…

[歴史][事件事故] 安政の大獄(3)−5 徳川幕府の鉄槌下る

じゃぶじゃぶの金融漬けや急激な円安の進行で安倍総理の云う景気回復が実現するのでしょうか、腹痛が再発する前にせめてTPP妥結実現だけでも置き土産にしてくださいまし… 一方、野党民主党では季節はずれの「啓蟄」現象がおきて、民主党政権を潰した面々が地…

[歴史][事件事故] 安政の大獄(2)−5 水戸藩徳川斉昭の画策と将軍継嗣争い

前回では水戸と尾張藩の両家が御三家の夢、将軍継嗣輩出でお家繁栄の願いに水差す事件がありました。…有名な徳川家光三代将軍就任宣言です。御三家尾張、紀州、水戸藩主に対して「……、向後ハ各モ譜代ノ大名ニ同ジク某(それがし)ガ家臣ナリ。コレニ因テ諸事…

[歴史] 安政の大獄(1)−5 桜田門外事件起因と過程

秋雨のおかげで炎暑を逃れ一息つきました。早い秋の訪れならば気に為る歴史遺構の探訪に出かけたいのです…が、他人様からば高齢者の徘徊ではと見られるかも? …それも仕方ない事、区別はつかないと思われますから。 ………今回のテーマは幕末最大のターニンポイ…

[地域][事件事故] 水戸天狗党 (6)−6 栃木宿 凶行の経緯 

栃木市は蔵の街とも云われ巴波川(うずまがわ)舟運でお江戸や関東各地と物資交流で繋がり江戸時代屈指の商都で日光東照宮造営にも関連して、技能職人が多数定着していた文化都市でもありました。例幣使街道の道筋や江戸近代の蔵、木造洋館など多数の建築物…

[地域][歴史] 水戸天狗党 (5)−6  栃木市の痕跡 太平山 

寒さも遁れた陽春4月、新緑のお山から下界を一望しようと発念、馬齢を重ねた身体に鞭打って峻嶽踏破?…を心差し標高なんと341mのハイキングコース栃木の太平山を徘徊しました。 大平山信玄平の展望 6月になると賑う場所が、咲き乱れるアジサイ坂で山頂…

[交通流通][事件事故] 海難(2)−6 MOL COMFORT(コンフォート)沈没

前回記事は6月17日コンテナ船MOL COMFORT(コンフォート)がアラビア海で破断後、船体前後部が二分して漂流中迄でした。 その後もウオッチしておりましたが、ブリッジのある後部が6月27日沈没、…主機エンジン、補機、プロペラシャフト、プロペラと船体重量…

[交通流通][事件事故] 海難(1)−6 商船三井コンテナ船 船体破断

当ブログのバックナンバーでも鉱石運搬船ボリバー丸とカリフォルニア丸の破断沈没の海難事故を取り上げてまいりましたが、全く類似した海難が発生しました。 今回は商船三井の大型コンテナ船MOLコンフォート8000TEU型(20フィートコンテナ800…

[幕末][事件事故] 水戸天狗党 (4)−6  水戸藩2足の草鞋で悲惨へ

水戸藩9代藩主徳川斉昭の七男一ツ橋公慶喜が天狗党追討軍総大将として…『流言、浮説にまどうことなく無二念(容赦なく)追討鏖殺(みなごろし)いたし候様』と下知して待ち構へております。そこへ神君と仰ぐ徳川斉昭位牌の神輿を伴ない慶喜公を一縷の燭光と…

[幕末][事件事故] 水戸天狗党 (3)−6  自滅 飛んで火にいる夏の虫 

私は一時那珂湊に寄留した事があり水戸の街にも立寄った記憶では千波湖や偕楽園周辺は風光明媚、文化財も魅力のある場所です。 天狗党事件を切っ掛けに幕末の水戸藩内が二分して血みどろの殺戮合戦に終始した事実に、なぜか?、口をつぐむ水戸の人が不思議に…

[歴史][幕末]  水戸天狗党 (2)−6  尊王水戸藩の真実

水戸天狗党事件の本因である水戸藩の尊皇攘夷を一寸覗いてみましょう。 二代藩主徳川光圀に始る尊王思想への傾注歴史観の史記編纂が藩の仕事として代々受継がれますが、江戸末期の9代藩主徳川斉昭の就任で尊王と過激な攘夷思想が水戸藩を席巻します。 即ち…

[幕末][事件事故] 水戸天狗党 (1)−6  天網恢恢 田中愿蔵始末記

前回は浮浪凶徒尊攘派水戸天狗党追討に幕府は遠州相良藩主、幕府若年寄田沼玄蕃頭を追討軍総括に任じ幕府軍一万余で水戸天狗党追討隊を編成常陸に進出します。 一方、水戸藩主徳川慶篤に名代を任じられた支藩宍戸藩主松平頼徳の水戸城沈静隊「大発勢」…、と…

[地域][幕末][事件事故] 蔵の街 栃木市(4)−4 急襲水戸天狗党の放火殺戮

江戸の後期、豊な商人の街栃木宿を放火殺戮した水戸天狗党とは何者か、なぜ栃木宿を襲ったのか?、……あ〜じれってえ!、こちとら江戸っ子だい、栃木宿で何が起こったのか、ぽんぽんと、早いとこ喋りやがれ……とは言っても、物事には多少の筋道が必要で御座い…

[地域][天皇公家] 蔵の街 栃木市(3)−4 例幣使事件と公家の実体

初めに…今回は例幣使街道に係わる話から、前々回の護国寺の三条、岩倉に続いて、序でと云えば恐縮ですが徳川統治時代の形骸化した公家社会の実体の総括としてHP内の重複記事になりますが、整理してみました。悪しからず御願い致します。…… 栃木市例幣使街道…

[交通流通][事件事故] 海難(4)−6  大型貨物船カリフォルニア丸沈没と船長退船拒否

暑いですねー、この猛暑では高齢者は外出もできない…つい、PCの前に座る…仕方がないので?、ブログでも書く…と、悪循環で、多分に八つ当たり部分も御座いますが悪しからず。…今回はカリフォルニア丸です。…… この件も前回のボリバア丸沈没をコピーしたよう…

[交通流通][事件事故] 海難(3)−6 大型貨物船遭難ボリバア丸31名遭難とヒューマンエラー

福島原発事故原因が国会事故調の発表で人為的過失と断定され、大きな問題を示唆しておりますが、今日の急激な技術革新に潜むヒューマンエラーは常に潜在しており、今回の話も福島原発事故原因と共有部分が在るかも知れません。 冬季の日本列島東方海上は季節…

[人物][事件事故]  福島原発事故と管元総理

7月5日の国会事故調査委員会の黒川清委員長の発表で福島原発事故原因は人的過失と断定する発表がありました。 原子力発電という先端技術に対し一般人では理解が難しいのですが、これの調査、安全、設計、設置、の段階から実働に至る、組織、教育、応急、緊…

[事件事故] 鉄道大事故 (2)−2 CIA本郷岩崎邸と国鉄三大ミステリー事故秘話

旧跡本郷岩崎邸は不忍池を挟んで上野の山の対岸に在った越後高田藩江戸屋敷跡を岩崎家当主弥太郎が購入、明治十八年にこの地で生涯を終えております。その後長男の久弥により明治二十九年に現存の洋館を含む広大な屋敷を建築して敗戦後のアメリカ占領軍接収…

[地域][事件事故]  再び福島原発事故とヒューマンエラー

最近の気象の変化による自然災害は世界的にも激増し、今後も大きな災害を伴なって顕著になる方向と思へます。 太平洋上のリーフに存在する小さな国々の水没が現実問題になっており、地球温暖化の弊害は間近かな10年、100年単位で地球環境の激変を示唆し…

[人物][事件事故] 足尾銅山鉱毒事件(3)−3 政治家田中正造と鉱毒事件

既に足尾銅山は閉山されておりますが、過去を見渡しますと、この山の所有者は徳川幕府と古河鉱山会社の二つに大別されます。幕府の207年間に対し古河鉱山は96年と半分にも満たない年月だったのです。…… 明治21年足尾銅山坑内夫。古河市兵衛専属写真師…

[地域] 足尾銅山鉱毒事件 (2)−3 幕府公儀御用山から明治まで

かーちゃん ”おあし”頂だい! 紙芝居が来ると子供が家に駆け込み母親に銭(ぜに)をねだる姿などは昔の東京下町で見慣れた光景でした。 銭(ぜに)を”お足”と呼んだり、何処で覚えたのか”おぜぜ”と云う 言葉も記憶に残っております。 一寸それますが、下町生…

[事件事故] 足尾銅山鉱毒事件 (1)−3 その経緯

前回に引続き、今回は足尾銅山操業の発端から追跡してみます。 明治の御一新で西洋文明を立国、国家経営の道具として、がむしゃらに取り入れた時代でした。軍国主義は例外として一定の近代化の成功は確かでしょう。 しかし私達戦中派にとっては公害という語…