[交通流通][事件事故] 海難(4)−6  大型貨物船カリフォルニア丸沈没と船長退船拒否

暑いですねー、この猛暑では高齢者は外出もできない…つい、PCの前に座る…仕方がないので?、ブログでも書く…と、悪循環で、多分に八つ当たり部分も御座いますが悪しからず。…今回はカリフォルニア丸です。……
この件も前回のボリバア丸沈没をコピーしたような海難事件で、その一年後の昭和45年(1970)に同じ海域千葉県野島崎東方洋上で同じ冬季の荒天時に発生したものです。
   
カリフォルニア丸5万6千屯(D/W) photo: HP、20次計画造船から引用させて頂きました。
カリフォルニア丸は当時の第20次計画造船と云う国の指針により日本開発銀行(現、日本政策投資銀行)の特別融資により建造された5万6千トン級(D/W)の鉱石運搬船で、ボリバア丸とは云わば姉妹船でした。…船舶関係者が「三横」と呼んでいた、過っての三菱重工横浜造船所、現在の港みらい地区にあった有名造船所でNK(日本船級)取得の船だったのです。 話は飛びますが、千葉県銚子市の観光で有名なポートタワーから鹿島の住友金属製鉄所沖を遠望しますと、鉱石運搬船が常に2、3隻沖合い錨泊し、荒天時も平然とパース待ちして居ります。 巨大船は沈まないのが常識ですが!、……
……救難艇を見届け『みんな行ってくれ、わしは残るわ…』と淡々と云いブリッジウイングで手を振り、船と運命を共にした船長の存在は奇しくも、海運合理化の一環、日本人外航船員壊滅のプロローグでした。 分りやすい人件費の指数は冷酷なものがあります。 
2008年(平成20年)日本船主協会データ
<日本海支配下外航船標準23名配乗一年間の人件費>
     幹部船員日本人4名、他外国人19名 ……196万$
     船長以下23名全員外国人(フィリピン他) …… 87万$
    
野上隼夫画 N.Y.K 貨客船 氷川丸1万1千6百22屯 横浜港係留記念船
更に明確な話として、部員と云われる外航船職種のボースン(甲板長)、ナンバン(操機長)、クオーターマスター(操舵手)などと、その配下の外航船普通船員は極言すれば日本人は一人も居ない徹底した状態です。 職員の船長、航海士、機関長、機関士も特別意義のある船舶以外日本人は皆無、最新鋭の高速コンテナ船といえどもフィリピン人船長指揮下の外国人乗員で運航し国際競争の極限状態にあります。
一面グローバル企業として世界規模で存在する日本の海運界は「企業は常に発展成長を目指す」王道を行くように見えます。グローバル化を目指して再生する課題が、特に製造業に望まれる所以です。 このまま、すべてを失うか、グローバル企業として世界に生き残るか、日本国への情念を断ち、ビジネスライクな選択決断が迫られております。
更に云えば日本連邦国提唱政治家さんが待たれます。 沖縄、北海道、東北の地方色、首都圏、関西圏、四国、山陽、九州北部、九州南部など地方の自主自立が国是となれば、各地自立の為には発展を阻害している世襲農業問題など垂れ流し国費の既得権者は淘汰せざるを得ず、また沖縄の基地問題は経済的自立をベースに自らが考えて活路を開き、北海道の大自然の活用など期待されます。……国家予算の莫大な垂れ流し部分を摘み取り、各地域に分配し更に助成して各地方が発展を競い、地域に潜む優秀な人材を活用するレボリューション的改革が必要です。 …自民党政治家などの口癖、「歴史と伝統」など最悪、”何時か来た道”復活の企み、悪知恵に過ぎません。日本のガラバコス列島化は御免です。……などと言いたい事を思いつきで言う人の昼寝の夢でした。……
…本題に戻ります。カリフォルニア丸沈没の客観的条件はほぼボリバア丸事件と同一ですから前回ブログを御参照頂く事にして沈没に至る情況を海難審判の裁決文から一部引用しました。
……昭和45年2月9日、正午(船内時刻)二等航海士は、航海当直に立ち、針路を野島埼沖に向く266度として進行し、まもなく甲板員が操舵の練習をするため昇橋してきたので、自動操舵を手動に切り替えて当直の終わりごろまで練習させた。そのころの高層天気図によるとシベリア大陸の上空から寒気団が南東方へ張り出し、日本列島上空がしだいに寒冷となり、同日午後3時半(船内時刻)北緯35.2度東経145.5度の本船付近では観測によると風速が40ノットに増勢し、気圧は999ミリバールに、気温は15度にいずれも下がり、風浪の有義波高は6メートルに高まった。また、同時刻におけるアジア太平洋天気図によると、北海道西部の低気圧から東方へのびた不連続線上で北緯42度東経147度付近に低気圧が発生して990ミリバールに発達し、その中心から寒冷前線が南西方に延びていたが、同4時半(船内時刻)ごろ本船は北緯35.2度東経145度のところで季節冬期帯域から夏期帯域にはいるとともにこの寒冷前線を通過し、その影響により同6時半(船内時刻)の本船付近では、観測によると半晴れで、風向250度、風速42ノット気圧999ミリバール、気温13度、水温18度、風浪の有義波高6.5メートル、うねりの方向250度及び有義波高10メートルとなり、午後3時半ごろよりも風速と風浪の波高とがいずれも増大し、気温は下がり、船体が動揺しはじめたが、運航に不安を感じなかったので、自動操舵のまま続航した。
 同8時(船内時刻)三等航海士は、前直者の一等航海士と交替して航海当直に立ち、当時の天気は、しゅう雨で、40ノットばかりの西寄りの風が吹き、気圧は999.5ミリバールで、海上模様は左舷船首10度ばかりから有義波高約10メートルのうねりがあり、しぶきが甲板上にときどき打ち上がっていたが、特に激しいローリングやピッチングはなく、針路は266度、主機の回転数は毎分約98、速力は7ノットばかりであった。
 同9時(船内時刻)少し過ぎ船長は、気象庁発表の当日午後3時の地上天気図を持って昇橋し、これを海図室において三等航海士に見せ、その後平素と変わることなく操舵室にはいり、当直員と雑談をかわし、やがて下橋した。
 その後風、波ともにやや増大し、波浪のしぶきが船首楼甲板に打ち上がったが、さる1日及び6日の荒天時のように自動操舵を手動に切り替えるほどのこともなく、その後2、3回船首楼上にしぶきが打ち上がる程度の波を受けたが、ウオーターハンマーのようなものを感じないまま航行中、同10時30分(船内時刻)少し前三等航海士は、見張りを操舵手に命じ、海図室にはいってまもなく、同操舵手が二つの大波を見て発した大声を聞き操舵室に出たところ、左舷船首に異常な大波を認め、なんら処置をとるいとまもなくものすごい衝撃を感じ、同時30分(船内時刻)本船は、北緯35度10分東経143度55分の地点において、原針路のまま左舷船首10度ばかりの方向から来たこの異常な大波と出会い、たまたまこの出会いにより、一大破壊力をもつ外力を左舷船首部に受け、左舷1番バラストタンク外板に破口を生じて浸水した。
 また、操舵手は、肉眼で前方を見張っていたところ、左舷船首5度ないし10度方向にあたり300メートルないし400メートルのところに白く砕けながら続いて来る二つの大波を認め、手前の大波が船首前方100メートルばかりに接近したとき突然これらが今までの2倍ぐらいの異常な大波に盛り上がったので、恐怖を感じて思わず「大きいな」と叫び、その直後本船の船首が、手前の大波に乗り、この波が船首楼甲板に打ち上がり、揚錨機を洗いながら1番倉口上に散った。
 まもなくこの波の峰が、船側を後方に移動するにつれ、船首が左舷に傾斜しながら次の波との谷間に向かって下がって行き、一つ目の波の峰が船体後部の船橋楼付近に来て船首がやや上がりかけた同時30分(船内時刻)本船は、二つ目の大波(この波頭を本船船橋から見たときの模様は、船首楼甲板のブルワークよりも3、4メートル高かった。)を左舷船首部に受け、この瞬間操舵手は、今までに経験したことのないものすごい衝撃(ぐ、ぐっと船の速力が止められるような衝撃)と形容しがたいドスンという異様な音(これは船首側面から波があたったときアンカーが船側をたたく音に似ていた)とを聞き、その直後この大波が青波のまま船首楼上に打ち込み、1番倉口上をも覆い、甲板上を船橋楼前面まで流れて来るのを認め、急いで船橋の左舷ウイングに出て見たところ、船首の方は水浸しであったため何も見えなかったが、蒸気が噴き出すような「シュー」という音が左舷船首部付近から聞こえ、船体が左舷に傾きはじめるのを感じた。
 三等航海士は、事故発生後直ちに船長及び各士官にこのことを知らせ、昇橋した船長は、各航海士にそれぞれ作業の指示をして事後の措置にあたった。
 10日午前4時(船内時刻)ごろニュージーランド国籍のオーテアロア(以下、オ号と略称する。)が救助のため本船付近に到着したが、暗いうえに霧雨のため視界が悪く、作業上の危険性を考え日の出を待って救助してもらうことにしたものの、本船はしだいに左舷傾斜が増加しながら船首から沈んで行く状況となったので、船長は、午前5時30分(船内時刻)ごろオ号に救助を依頼し、二等航海士は、負傷者から先に乗艇させるため作成した名簿順に退船するよう乗組員に伝えたのち、船長にオ号の救命艇に移乗するよう進言したがききいれられず、やむを得ず同時50分(船内時刻)ごろ三等航海士とともに最後に移乗し、同7時(船内時刻)ごろ同救命艇は離舷した。このとき船長は右舷のウイングで手を振って別れを告げており、本船は船首から3番ハッチ付近まで海水につかっていた。
 本船が沈没した際には、乗組員のうち7人が行方不明となっていたが、のち2人はえくあどる丸に救助され、残りの船長ほか4人の捜索が続けられたが、なんら手がかりがなく、のち死亡と認定された。……先へつづく…  ……前へ戻る

《海難》
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