[事件事故] 日本橋界隈の人脈(4)−6 三越デパートと下山事件

米軍占領下の昭和24年(1949)7月に発生した国鉄総裁下山定則氏の轢断死事件を契機に三鷹事件松川事件と一年以内に次々と起った国鉄の大事故は三大ミステリー事件と云われ、その実態が不明のまま迷宮入りして今日まで語り継がれております。
中でも下山氏の常磐線綾瀬附近で発見された轢断遺体の事件は…発端が三越開店時に客として入店しそのまま行方不明となった現職国鉄総裁だけに、自殺説、他殺説と公的機関、マスメディア、世論、言論界を巻き込みましたが、自他殺と意見が二分したまま迷宮化し、その真相は遥か年月の彼方に流されて行きました。


米軍占領下船舶の日本国旗掲揚禁止の代替国旗SCAJAP(スキャジャップ)旗

この問題が迷宮事件となった背景の主たる原因は昭和20年無条件降伏した日本は米軍占領下にあり、日本国名、大日本帝国は占領下日本国「OCCUPIED JAPAN」と改称され、商品にもMADE IN OCCPIED JAPANと表示され、船舶なども国旗使用は禁止されSCAJAP(スキャジャップ shiping control authority for japanese marchant marine)を表す旗は国際信号旗のE旗に切り込みを入れたもの…”スキャジャップ旗”を掲揚していたのです。象徴的な話で占領下という厳しい実態を垣間見ていただけたと思います。
しかし、第二次大戦後の米ソ冷戦下にアメリカは近い将来の日本国独立を想定、ハイパーインフレで疲弊した日本国の経済自立を計り、占領軍総司令部GHQは経済顧問としてデトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジを招聘して昭和23年(1948)12月に経済安定策のドッジラインを立案、勧告したのですが、…その項目の一つに「歳出を削減し、歳入を拡大することで、均衡予算を達成する」…この歳出削減に該当したのが最大の赤字発生組織国家公務員の人員合理化で約28万名と国鉄職員約10万名の解雇が日本政府吉田茂内閣の決断でした。
この一連の方針のバックアップとしてGHQより国鉄組織を従来の運輸省営鉄道から「公共企業体」への改革の示唆があり日本国有鉄道が 昭和24年(1949)6月に公共企業体として独立し、初代総裁に下山定則氏(前運輸省事務次官)が就任しました。云わば国鉄職員9万5千名の大量解雇のお膳立てが完成したのです。
このドッジライン実施の影響で政府は”予算支出縮小””融資引き締め”と更に”歳入増大策”を実施し景気の低迷と倒産失業は増大します。また敗戦開放のリアクションとして官公庁、大企業の労働組合活動の先鋭化は全国に及び可なりの実力行動が多発通常化、占領下と云う現実を忘失した九月革命説まで流布される有様だったのです。……
このドッジラインの方針は昭和25年政府国会答弁にも反映され、時の大蔵大臣池田勇人参院予算委員会で………私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります。 …と、答弁して、マスメディアは早速「貧乏人は麦を喰え」と報道し世論が沸きました。
と云う時代の昭和24年7月4日国鉄総裁下山定則氏は国鉄職員3万人の第一次指名解雇者通告を発表します。遂に事件の引き金か、翌日5日下山総裁は出勤すべく洗足池近くの池上の自宅を8時15分迎えの自家用車で出発します。………


下山国鉄総裁追悼碑 小菅側の常磐線事故現場
この後三越デパートで開店時間の9時30分入店するまでの『約1時間15分間』下山定則氏の行動は総裁専用車の運転手大西氏の証言で確認できただけで迷宮化した事件です。この事件は松本清張の「日本の黒い霧」で話題になりましたが、占領下ではGHQに及ぶ発言はなく昭和27年(1952)4月28日の日本国独立発効を期して事件の多岐にわたる真相論議が活発になった経過があり、人それぞれの立場、思想などで推理か、予断か判然としない混迷した記述が多くますます事件の不透明性を増幅し迷宮化した一端があると思います。
……では、自宅出発から三越デパートに入る1時間15分間の行動を時系列で追い、不明後下山氏の目撃、本人と対話した証言者、司法解剖、大学法医学部、警視庁捜査一、二課、新聞社、出版物、をチェックし自殺説、他殺説に分類した結果は次回で……
……次回へつづく… 
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日本橋界隈の人脈》
(6) 続、続 三越デパートと下山事件 
(5) 続 三越デパートと下山事件 
(4) 三越デパートと下山事件 
(3) 三越デパート、三井本館の事件簿 
(2) 青島幸男 鼠小僧次郎吉 仕立屋銀次 
(1) 興味津々多士済々