[事件事故] 日本橋界隈の人脈(5)−6 続 三越デパートと下山事件

この事件で世論も他殺説と自殺説に分かれ捜査結果としても両説ともに決定的証拠が存在せず混沌となりました。…この迷宮化の根源を作った人物が、即ち東京大学医学部教授の古畑種基氏です。…司法解剖に立会い死後轢断の判定所見が切っ掛けとなり科学的根拠の他殺論が浮上しました。…となると、リスクが少なく可なり奔放な他殺推理推測も可能な良ネタ「下山事件」と、ジャーナリズムが判断したのかも知れません。
早速、地道な事件報道を逸脱してスリラー紛いの推理創作さえ横行し、乗せられた世間は探偵ポピュリズム化して活況したとしか観えません。しかし罪なのは…科学的な死後轢断所見(他殺)とされた、キーマン東大医学部教授古畑種基氏の関わった重大事件の司法鑑定の実態が俎上に乗せられと下山事件の死後轢断の鑑定結果の信頼が崩れる事態となりました。


photo−轢断事故を起こしたD51蒸気機関車貨物列車編成の検証…読売新聞旧出版物より
……日本の法医学の創始貢献者として文化勲章も受章した有名人士です。が…その実務の司法事件に関与した鑑定結果が大問題となったのです。岩波書店は出版物の「法医学の話」を急遽絶版にしております。……即ち日本四大冤罪死刑判決の内、古畑種基氏の鑑定結果で有罪死刑の一審判決が真犯人逮捕で再審無罪判決へ逆転した多数の事件があります。…免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の四大冤罪判決の中、免田事件を除く3件で古畑種基鑑定結果を覆す真犯人逮捕で司法を揺るがした失態事件となったのです。当然、下山事件死後轢断(他殺)の鑑定結果の信頼が揺らいでいるのですが、事件直後の現場検証をした東京都監察医務院監察医八十島信之助氏は轢死体の検視経験から、既に現場検証の段階で自殺と判断しており、東大法医学部古畑種基氏の司法解剖所見「死後轢断」……現場、轢断遺体(生活反応)に血液が殆ど確認できない、局部に生活反応が存在する、等から生前局部の蹴り上げなど暴行を受けていた、失血死していた遺体の轢断との所見……に対し八十島監察医は特定部位の内出血などの「生活反応」は、轢死体では頻繁に生じる事象である。現場、遺体の血液反応が僅少なのは前日來の豪雨による流失によるもので他殺の根拠にはなり得ないと主張した。
また、慶応大学医学部中舘久平教授も東大医学部古畑種基氏の司法解剖所見「死後轢断」に反論「生体轢断(自殺)」を主張しました。………
なお、更にご留意頂く事として、この事件の報道、出版等のベースは捜査関係の内部文書が雑誌などへリークされたと称する「下山事件白書」記述をトレースしたもので、当局の公的な出版物ではありません。……このブログも同じソースです。
では、洗足池近く池上の自宅を8時15分に総裁専属車に乗車、9時30分日本橋三越デパートに入る迄の1時間15分間の行動を時系列で追ってゆきます。……但し下山国鉄総裁は出社後、前日発表した第一次指名解雇者3万名の事後、重要な国鉄局長会議開始の9時に出席予定があり、行方不明までの行動を追うキーである事に御留意ください。……走行ルートは中原街道、五反田、旧ソニー本社、品川八つ山橋第一京浜国道田町駅前、三田、増上寺、西新橋(田村町)、日比谷、和田蔵門交差点手前で時刻は8時45分頃下山総裁は大西運転手に「買い物がしたいから三越にいってくれ」と指示します。本来は和田蔵門を右折し東京駅前を経て2、3分で国鉄本社玄関なのですが、この日も総裁秘書が出迎えに待機していたのです…大西運転手は交差点を直進し大手町交差点を右折永代通り日本橋方面に向かいます。車がJR呉服橋ガードに差し掛かると、総裁は「白木屋でもよいから真っ直ぐに」と行き先を変更します。
…が、白木屋は開店前で、更に三越正面玄関前で時刻は8時50分頃、開店時間は9時30分なので国鉄本社へ向うものと大西運転手は常盤橋附近まで来ると、今度は「神田駅へと」云われ駅では降りる訳でもなく通勤者の人波を眺めただけで、丸の内千代田銀行(現三菱UFJ銀行)本店へと行き先が変わり迷走します。……国鉄本社前を走行中「もう少し速く走れないか」と指示され9時頃千代田(現三菱UFJ)銀行到着、銀行に25分程度滞在します。後の調査では行内貸金庫を利用したのです。……再び乗車し三越デパート南口に9時30分に到着し店内に向かいますが、2,3歩あるいてから戻り大西運転手に「ちょっと5分程度だから待っていてくれ」と頼みデパートに入って行きました。だが、再び現れず何も知らない大西運転手は夕刻5時頃まで待機していたのですが、ラジオニュースでは下山国鉄総裁は専用車大西運転手共に行方不明の事態と報道していたのです。………
昭和24年7月5日朝自宅を定刻出勤した下山氏が専用車運転手大西氏ともに行方不明の事態が国鉄よりの通報で警視庁は午後2時頃より捜査を開始しますが足取りは掴めず、日が変わった翌6日の0時25分松戸行き最終電車の運転士が綾瀬の東武線立体交差ガード下附近現場通過時に轢断死体を目撃通報し、下山国鉄総裁の遺体と判明したものです。事故は0時20分頃に通過した下り貨物列車機関車D51651により轢断されたことが判明します。……事故日時現場は風雨が激しく早朝5時過ぎに豪雨も止み現場検証が地検、警視庁鑑識、東京都監察医務院八十島信之助監察医により行われ、それまでの轢死体の検視経験から、現場検証の結果を自殺と判断しています。次回は自他殺に分派した各分野の詳細と下山氏とおぼしき人との対話者、目撃者の話…つづく……
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……次回へつづく… 

日本橋界隈の人脈》
(6) 続、続 三越デパートと下山事件 
(5) 続 三越デパートと下山事件 
(4) 三越デパートと下山事件 
(3) 三越デパート、三井本館の事件簿 
(2) 青島幸男 鼠小僧次郎吉 仕立屋銀次 
(1) 興味津々多士済々