[事件事故] 日本橋界隈の人脈(6)−6 続、続 三越デパートと下山事件

下山事件は67年前の昭和24年(1949)7月ですから戦後派の方々には馴染みの無い話かと思われますが、敗戦後占領軍時代の現代史や生活史のアプローチには可なり格好の事件だったのです。…ま、簡単なWeb検索で、下山事件の客観的記述が多数ありますので大要を掴むのには便利です。更に決定的な司法解剖所見のキーマン東大古畑教授や疑義を表明した法医学者慶大中館教授、名古屋医大小宮教授が衆議院参考人で意見聴取を受けた赤裸々な全容が国会議事録にあり、事件解明の第一歩です。……衆議院会議録情報以下、
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/005/0488/00508300488035c.html
この段階で概要が理解できますので、後は有名な松本清張さんの「日本の黒い霧」や捜査関係者やジャーナリスト、創作作家の多数な出版物があり、可なり奥深い関心が期待でき、更に推理は御自分の感性、第六感に合わせ他殺、自殺の創作結論さえ導き出せるかも知れません。 

昔よく言っていた ”ミイラ取りがミイラになる”こんな言い方は今では通用しないかも知れませんが、…下山事件を改めて調べるうちにアメリカ占領下の複雑な権力機構で起った事件の興味に引き込まれてしまいました。
今回は推理が白熱する部分となります。なお、事件発生後の占領下では小説「日本の黒い霧」の様な占領軍批判の米国諜報組織陰謀論は存在し得ない環境です。 先ずは
(A)他殺と推定判断、示唆した組織●日本国吉田内閣 ●GHQ ●東大古畑鑑定に賭けた新聞、雑誌、文筆者、●警視庁捜査二課 ●東大法医学部古畑教授………「日本国吉田内閣」の官房長官増田氏は共産主義勢力の疑惑に言及し、下山事件特別捜査本部の自殺見通し発表に圧力をかけていた。「GHQ]労働界を席捲する先鋭共産主義思想と占領軍は対峙していた。「新聞、雑誌、文筆者」官公庁の大量解雇で先鋭化する革新勢力と9月革命説が巷間語られる世情やニュースバリュウを勘案したのか?。「警視庁捜査二課」捜査の結果。「東大法医学部古畑教授」司法解剖で死後轢断の所見。
(B)『自殺と推定判断、示唆した組織』
●東京都監察医務院八十島監察医 ●慶大学法医学中舘教授、元名古屋医科大学小宮教授 ●一部ジャーナリズム ●警視庁捜査一課。………「東京都監察医務院八十島監察医」事故現場検証結果自殺の判定。「慶大学法医学中舘教授、元名古屋医科大学小宮教授」司法解剖東大教授古畑所見に疑義。「警視庁捜査一課」捜査の結果。  
所見として死後轢断(他殺)を発表した古畑鑑定を基準とする推理は官公庁、大企業労働組合ストライキや人民管理など、先鋭化した社会状況から、一般的には先鋭革新思想者への疑念が広まったようです。 しかし、日本独立の昭和27年(1952)4月28日後は一挙に推理創作化し、鉾先も転じます、即ち共産主義勢力による犯行へ偽装した米国諜報機関の謀略殺人説に発展、文筆者も参戦して輻輳しますが、肝心要の警視庁下山事件特別捜査本部は昭和24年12月解散、翌昭和25年には捜査二課も縮小打ち切りと事件発生から僅か6ケ月間の捜査活動でした。理由は”事件性の希薄”でしょう。本来は公表で一件落着の筈なのですが、権力者(GHQ,吉田内閣)の意向(謀略的利用)もあり、警視庁内部資料(通称”下山白書”)が雑誌などにリークの形で公表に換えたのでは?…内容は当然自殺示唆なのです。……梯子を外された形の一流新聞社数社など他殺説を展開するジャーナリズムは猛反発して下山白書の内容は虚偽デッチアゲと激しいキャンペーを開始、事件複雑化へと転化するのです。
では下山国鉄総裁が7月5日の9時30分頃三越デパートへ入り、常磐線綾瀬附近下り線路で翌6日0時20分通過貨物列車に轢断される迄の下山氏らしき人物の目撃者と会話者が多数存在します。通称「下山白書」から要点のみ……
9時30分過ぎの三越デパート売り場店員は似た人物が一人で歩くのを目撃……一階化粧品売場店員の次に一階履物売場店員、更に10時15分頃一階案内所店員は地下階段を下るのを目撃、関係不明の二、三人の男も後ろから同方向は下る。……10時30分三越デパート附近の路上でライター修理の露店アルバイトがジッポーに注油を頼まれる。
12時頃地下鉄銀座線車中で接触……この人は末広町駅附近でつり革の男に足を強く踏まれる、男は考え事をしていたのか、座席が空いても座らず、つり革にぶら下って浅草方面に行つた……12時過ぎ地下鉄浅草駅の靴磨きが似ている紳士を目撃したが靴は磨かせて貰えなかった。……
ここからは事故現場常磐線綾瀬附近の下山氏に似た人物と対話、目撃者の証言です。 13時45分頃、東武鉄道五反野駅員は13時43分到着の西新井大師行き電車降客の改札口で良く似た客から近くの旅館を尋ねられ末広旅館を教える。下山氏とは断言はできない。……14時から17時30分頃まで末広旅館の休憩客として滞在、接待した女将は客に六時頃まで休ませてくれと言われた。宿帳記載は勘弁してくれと断られる。17時20分頃支払いとチップを置いて立ち去る。…女将は7月7日に下山氏に似た人物として西新井警察に届け出る。
この後18時から事故直前の23時30分頃迄の間に常磐線事故現場付近で下山氏らしき人の目撃届出は15件に及び当時は全くの辺鄙な場所柄から見慣れぬ紳士が立ち止ったり、ぶらぶらしたり、酔っ払いの如き素振りで線路上を歩いたり、しゃがみこんで雑草を千切っている、…状態を目撃されており、場所に似つかわしくない紳士の高級な服装、靴、など目撃者は丹念に観察しているのでした。………その目撃者のなかで可なり重要な証言とは……18時40分常磐線の上を交差する東武線ガード下附近で目撃した女性(43歳)…自宅への帰途、……一人の紳士が線路際の畠に立って居るのに気がつきました。こんな夕方あんな人は百姓をしているのはおかしいので、私はヂット其の人の方を見て居りましたら其の人も見ていたが、私が動かないで見て居るのを気まづくなったのか下向にかがんで「草の葉」を取っていじって居りました。私はなお見て居りましたが其の人が歩き出して線路を登ってガードを潜って行きました……其の人はダラダラ坂を考え事でもして居る様な格好で下ってブラブラ歩いて行きました。年齢四十六、七歳位、丈は高い方で色白で鼻が高く肥った顔で眼鏡はかけて居たかどうか記憶が有りません。そしで無帽で鼠色の洋服にチョコレート色の上等の靴で上品なので、或いは下山さんではないかと私の方から駐在所に届出たのです。……この証言の重みは捜査一課の金井岩雄刑事が事故現場に散乱した下山氏の衣服ポケットの中から烏麦を発見した事で目撃証言にある無意識に千切っていた雑草烏麦以外に整合性のある事実は考え難く、その人物と下山氏は同一の可能性が非常に高いと考えられます。………
捜査本部は届け出た目撃者、対話者などに対して複雑な写真を提示して下山氏を選ばせるテストなどでは可なりな正確度があったそうです。なお事故現場の捜査では早朝までの豪雨などでルミノール反応など自他殺決定の有力資料は出ておりません。なお、目撃者情報の詳細は「下山白書」がベースですが、手っ取り早く知りたいお方にはWeb上の「全研究下山事件」の目撃者証言には詳しく丁寧に記載されております。  http://shimoyamacase.com/index.html
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日本橋界隈の人脈》
(6) 続、続 三越デパートと下山事件 
(5) 続 三越デパートと下山事件 
(4) 三越デパートと下山事件 
(3) 三越デパート、三井本館の事件簿 
(2) 青島幸男 鼠小僧次郎吉 仕立屋銀次 
(1) 興味津々多士済々