2015-01-01から1年間の記事一覧

[地域]  港ヨコハマ(4)−6 横浜の下町 中区の今昔

横浜市を構成する庶民の町に寿町があります。前時代の港湾荷役に係わる横浜市の重要な労働者の住む街で、寿町は更に中区の街々の象徴的な存在でもありました。即ち、過っての横浜という大港湾都市の住民のネイティブランド的雰囲気が中区の存在感かと思いま…

[地域] 港ヨコハマ(3)−6 コンテナ革命と街の現象

海運のコンテナ革命が起る以前の横浜旧市街は上陸した船員の憩いの街として酒と女性の歓待場所のバーなど夜の飲食店が繁盛し港町の風情がありました。昭和30年代には海運界を席捲したギリシャ系船主所有のギリシャ船の入港が多くギリシャ人船員相手のバーが…

[地域] 港ヨコハマ(2)−6 時代は終わった!激変メカニズム

その昔の横浜港はかなり狭く現在の瑞穂埠頭(ノースピア)と山下埠頭の内側を結ぶ線上の沖合いに内防波堤とその先端に赤灯台、白灯台があり、沖取りブイ係留の貨物船(カーゴ)の林立するデリックの垣間に望見できました。この一帯が前時代の港で、現在の横…

[地域] 横浜今昔(1)−6 消えたセンチメンタル

東京都に次ぐ日本第二の都市人口を抱える現代の横浜市のイメージは4〜50年前とは可なり変化し、その昔はイノシシが出たと言う長津田、青葉台付近まで広大な住宅街を構成しております。 恐らく横浜市住民の大半は”港ヨコハマ”と乖離したニュータウン横浜市の…

[時事] 農業と農地法(8)−8 日本農業と中身の結末

今回のTPP加盟の大筋合意を受けて早速政府自民党は農業者補償と云う補助金のバラ撒きを公言しておりますが、何も驚く事はなく、過って、自民政権凋落の地方選挙区惨敗のショック体験の再来は真っ平御免なのでしょう。…… さて、今回迄、私の散歩時目撃した…

[時事] 農業と農地法(7)−8 日本農業の誤魔化し

私達が農業の実態を知りたいと思う端緒は常に社会問題としてクローズアップしております。現実の食生活に関連して主食とされるお米は当然として、食生活の主流を占める輸入食品が政治家と農水省、関連団体の餌食とされ政治的利権化は庶民の生活を苦しめてお…

[時事] 農業と農地法(6)−8 日本農業の中身を知ろう

最早伏魔殿と化した農業と云う産業ですが、その総てが政治勢力の関与が農政の利権絡み体質として底抜けの誤魔化し、脱法が社会生活上にも平然と罷り通っています。郊外地帯のウオーキングで目に付く”はてな?”は顕在化するばかりです。……相変わらず、ぐだぐ…

[時事]  農業と農地法(5)−8 ボタンの掛け違いは農地解放

農地解放、財閥解体と云う資本主義社会、いわゆる自由主義社会では、先ず実現不可能な政策が敗戦という異常事態で占領軍の命令で実現し、日本軍国主義をも凌駕するGHQマッカーサー元帥のインパクトに驚愕したはずです。 だが、この農地開放政策は戦前の軍…

[時事]  農業と農地法(4)−8 無責任農業政策の相関

明治維新以来の日本国の無責任体制は昨今、更に顕著に為って行く傾向にあります。日本国の新旧憲法を一寸ながめれば、誰でも分かる事実が存在いたします。 先ずは明治憲法の最大の無責任国家体制が敗戦後に行われた連合国軍による極東国際軍事裁判の東京法廷…

[時事]  農業と農地法(3)−8  日本国の飢餓(きが)て、なんだ!

私達日本人にとって、江戸時代に度々起った飢饉(ききん)の歴史は可なり悲惨な話として記録されております。古いお寺さんに詣でると必ず墓地には、飢餓横死者の供養塔なども見かけます。私自身戦中派に属し戦中戦後昭和19年から22年に掛けての飢餓(き…

[時事] 農業と農地法(2)−8 日本国の農地法ってなんだ?

気候も温順になり、ウオーキングには最適なシーズンになりました。高齢者にとっては有難い季節です。 …一般的に人間が人間らしく過ごす根源は移動行動の自由。それを保障する足が丈夫でなくては話しになりません。又、聞くところによれば足は第二の脳とも云…

[時事] 一億総活躍社会担当相  <キャッチコピー大臣誕生>

驚きました! 新設の一億総活躍担当大臣は…人気低落を挽回するキャッチフレーズが先行して具体的政策は何も決まっていないと言うのです。普通ならば、このような子供じみた話が通用する筈がありません。…… ……新設された『一億総活躍社会担当大臣』に就任した…

[歴史] 平将門(5)−5 相馬中村藩と相馬野馬追い、足尾銅山

日本歴史ページの一枚…平安時代「天慶の乱」を起こして坂東の新皇を称し、関八州を支配した平将門でしたが、武運拙く敢え無く戦死いたしますが、現在に至るまで関東各地に多くの史跡伝説が残されております。前回は将門に関る成田山新勝寺のお話でした。お不…

[歴史] 平将門(4)−5江戸東京の将門伝説

だいぶ寄り道して将門伝説の話が中断しておりましたが、やっとの事でお江戸東京の将門公御由緒の場所を訪ねて見ました。 日本国の中心”東京”、そのまた中心の大手町界隈の遺構に平将門首塚があります。最先端の高層ビルオフィス街には可なり異端な存在にみえ…

[歴史] 戦時学童集団疎開(4)−4 東京大空襲 併記、鬼怒川の氾濫

今回の茨城県鬼怒川決壊で石下地区の大水害は迫真のTV画像からも自然災害のもたらす脅威のエネルギーを目の当たりにして、近年多発する地球温暖化による過激な自然災害が日本列島にも忍び寄りつつ在る事が明白になってまいりました。 昔の東京を知る私にとっ…

[歴史] 戦時学童集団疎開(3)−4 東京空襲とB29爆撃機の実態

新潟県の南魚沼地方は豪雪地帯で有名ですが、十月も過ぎますと毎日毎日鉛色の空が雪を降らせ、年末には150cmを軽く超えます、スキーは見よう見真似で滑れるようにはなっておりました。国民学校卒業進学を控えた私達6年生は翌年2月に待望の帰京となり…

[歴史] 戦時学童集団疎開(2)−4 戦時の小学生 

……引き続き学童疎開の実態ですが、前回同様社会、世情を勘案して話しを進めますが、……私は昭和の一桁、満州事変直後の生まれです。……日清、日露戦争の勝利後、韓国併合で大陸の半島に足場を築いた大日本帝国は日本本土防備の手段とした大陸進出を目論み19…

[歴史] 戦時学童集団疎開(1)−4 昭和19年戦時小学生(国民学校)

暑い暑いを繰り返すのも能がない話と、殊更口に出さない事にしております…日課のウオーキングも儘ならず…、ま、歩く私が他人様にどう見えるのか分かりませんが、本人は徘徊ではない積もりです。……と云う事で… それではと、古い記憶でも手繰り寄せる事にして…

[時事] 日本国憲法(3)−3 安倍総理大臣さま 自衛隊員にも人権があります!

防衛庁創設以来自衛隊員は総て入隊時に以下の宣誓に署名して任務についている筈です。…… 『私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、…

[時事] 日本国憲法(2)−3 元総理大臣中曽根康弘氏と安倍晋三総理では大違い!

今回は警察予備隊、即ち自衛隊の前身から海上自衛艦隊創設期の秘話に迫る予定でしたが、急遽変更して……… 先日は広島、長崎の原爆被災地での平和祈念式典が今年も行われましたが、安保法案と云う戦争指向の安部総理が平然と参加しておりました。また8月15…

[時事][歴史] 日本国憲法(1)−3 日本国とGHQ(連合国軍総司令部)

安倍総理大臣が就任してから俄かに日本国が戦前回帰を目指す運動が目に付き始めました。特に日本国の根幹、憲法を「GHQ憲法」と呼び、改正を叫びますが、その理由とは日本人の発想による物ではないの一点なのだそうです。 …GHQ(General Headquarters)…

[河川][歴史][交通物流] 江戸舟運(2)ー2 文明開化の”あだ花”外輪蒸気船と利根運河

話は”ついで”と今回もお江戸を支えた物流利根川舟運の終末期の状況を、毎度大雑把ながら調べてみました。明治の初期、利根川の主役高瀬船に併せて外輪蒸気船が導入され東京を基点に関東各地に航路を開設して交通物流路を構築しておりました。可なり高度なシ…

[河川][地域][歴史] 江戸舟運(1)ー2 キーストン 取手宿小堀河岸

平将門から一寸目先を換えて、今回は過っての取手井野村小堀河岸に特化してみました。…関東地方の大河川は江戸以来人工的な改修が営々と続き既に自然の流路を保つ川筋は皆無と云えます。利根川東遷事業と呼ばれる江戸時代の可なり興味をそそる大事業が成就し…

[地域][歴史] 平将門(3)−5取手宿本陣、高瀬舟河岸(川湊)

長禅寺境内を辞し山門石段下公園の立札には幕末から昭和にかけて名を残した人達で取手に縁の文人などが記してあります。当地に寄留したり利根川や取手界隈に関る作品を残した人々です。小川芋銭、菊池幽芳、正岡子規、高村光太郎、平塚らいちょう、坂口安吾……

[地域][歴史] 平将門(2)−5 平将門と取手市風土記

将門の郷とされる坂東市を前回探訪いたしました。将門が天慶3年(940)2月14日藤原秀郷と平貞盛連合軍を相手に合戦、流れ矢を額に受け戦死の地に在る国王神社(こくおう神社)とは…彼の三女、如蔵尼により創建され、将門を大明神として祀たものです。 Photo……

[地域][歴史] 平将門(1)−5 ゆかりの坂東、取手と岩井探訪

今回は平安中期とかなり古い話で遺構も大規模豪華のものではなく質素であり、大筋は伝説的な歴史探索と思われますので、ゆっくりとアプローチから入ります。…… …この時期、今年は比較的低温で好都合と意を決して、平将門の本拠地である岩井市を訪ねました。…

[歴史][地域] 足利氏と新田氏(6)−6 足利市鑁阿寺、足利学校

栃木県足利市は太平記の里、足利氏始祖の地として歴史遺構が大切に保存された文化観光都市として活況しております。 清和源氏の嫡流源義家(八幡太郎義家)は陸奥の安倍氏討伐以来東山道の要衝足利には縁がありましたが、彼の孫に当たる足利義康がこの地を荘…

[歴史][地域] 足利氏と新田氏(5)−6 足利荘の成立と武家嫡流、 

武家の棟梁”源義家(八幡太郎義家)”と足利との係り、当時の世情は朝廷の権威が持続していた時代を前提に始めます。父親の源頼義が勅命による陸奥安倍氏の討伐戦に義家も参戦した「前九年の役」や「後三年の役」(永承6年、1051〜寛治1年、1087)の間にし…

[歴史][地域] 足利氏と新田氏(4)−6 家康公の置き土産 群馬県太田市の大光院

上毛地域の太平記歴史遺構にかかわる街、太田市と足利市は南北朝にそれぞれ組して戦った新田義貞と足利尊氏の各始祖の地、新田荘と足利荘が存在した遺構が残されております。今回は新田荘、太田市を歩いてみた印象から話を始めます。 大光院本堂 街の中心市…

[将軍家][地域]  足利氏と新田氏(3)−6 世良田新田荘と初代日光東照宮社殿

清和源氏の嫡流新田氏を祖と仰ぐ徳川家康公に関わる遺構が辺鄙な世良田に集約されております。中でも世良田東照宮の建物とは?…元和二年(1616)一月二十一日、駿河の田中に鷹狩りに出かけた家康は、その夜にわかに発病し、自ら死期の迫ったことを悟った…