人物

戦前日本が見えてくる(9)神社主祭神 神さまになった人々

人物仏教にしろ神道にしろ宗教の本質は可なり複雑で、それぞれ専門の大学が存在する程です。……社会の中で見たり、聞いたりする程度の知識の私がブログに書くのは無作法のようですが、一方その様な立場の者が、其れなりの思いを語るのも民主主義社会の必然か…

首相公選は必要か(6)共謀罪(テロ等準備罪)の適用は? 加計学園疑惑

法律知識素養が皆無で、心細い私ですが、国民の立場で良い法律、危うい法律の存在くらいは朧げながら分かる心算です。…安倍内閣が加計、森友疑惑に揺れる国会で強行可決した共謀罪は世に云われる一般国民だけがターゲットなのか、或いは総理大臣以下国務大臣…

 首相公選は必要か(5)元日本国総理大臣のCIAエージェントとは

自民党の派閥の力関係から誕生し、選出には国民は関知していない総理大臣が安倍さんと云うお方ですが、この方の実績とは…憲法で保障された国民の平和、人権、自由を奪う危険な法律、安全保障関連法案(安保法案)、特定秘密保護法、共謀罪の法律案を提出、可…

首相公選は必要か(4) 政治家と素質 民進党野田幹事長(元総理)さま

この暑さで高齢者の徘徊も儘ならない有様です。……私も行き倒れが心配なので…外出をセーブ出来るのは認知症では無い証拠かもと勝手に理屈をつけております。……… さて、政界の白熱化進捗は最早不可避の状況を呈し始めましたが、安倍総理大臣さまのお言葉”反省”…

首相公選は必要か(3) ”それを言ったらお仕舞よ”……安倍総理大臣さま

高齢者の悩みは物忘れがあります。……「鶏(にわとり)は3歩あるくと忘れる」…と昔の”たとえ”がありますが……… しかし、鶏(にわとり)は高齢者の私だけではありません!……過って国会で”私は立法府の長です”? と大見得を切った安倍晋三首相ですが、彼の鶏(…

首相公選は必要か(2) 総理大臣劣化の現状

現在の日本国の総理大臣は資質に難点のある人物が何故選ばれるのか?…を解明しようと考えた結果ですが、一寸ぐだぐだ長くなります、悪しからず。…… ………同じ保守本流の自民党の過去の人物を回顧しますと、其れなりの人物である事が分かります。何故でしょうか…

[時事] 首相公選は必要か(1)安倍総理大臣、読売新聞、豊田真由子衆議院議員

安倍総理大臣の巨額国費流用に係わる疑惑として、森友学園、加計学園の問題で政界は波乱混乱状態で国会は会期終了しております。 しかしマスメディアの報道を勘案してみますと、どうやら安倍晋三個人の資質とされる知識教養の低次元から総てが発生している様…

[地域] 日本橋界隈の人脈(2)−6 青島幸男 鼠小僧次郎吉 仕立屋銀次

青島幸男さんは元東京都知事で昔で言えば東京の殿様のようなお方ですが、…あとのお二人方は江戸末期、明治初期の盗賊、スリを稼業とした伝説的実在者です。 …お江戸日本橋がお好きな方々には有名な明治生れの女流作家長谷川時雨さんの著書「旧聞日本橋」は明…

[地域] 日本橋界隈の人脈(1)−6 興味津々多士済々

暑いのは当たり前…暑くなければ大変だ!、が…やっぱり暑いですね〜 昔の、その又昔にはお江戸近辺でも日本武尊と云う神様が歩き回ったお話が主に神社さんの由緒で語られておりますが、創作歴史はそちらにお任せして、日本橋界隈は家康公江戸入府の天正18年(1…

[地域] 新宿界隈由縁の人々(6)−6 ゴールデン街

最近の街の様子の様変わり何処へいっても外国人観光客の多いのに驚かされます。特に浅草観音境内は外国のお客様が圧倒的多数派で浴衣や和服姿の人が外国人と知ってビックリ仰天でした。 テレビ放映で新宿の外国人観光スポットにゴールデン街が紹介されて、ま…

[地域] 新宿界隈由縁の人々(5)−6 内藤新宿宿場と芥川龍之介

内藤新宿の宿場遊郭を接点として夏目漱石に続いて今回は芥川龍之介に話を移しますが、このお二方の誕生から青年期にかけて境遇の余りの類似性には驚きでした。…… しかし、つらつら考えるのですが、現代は遊郭どころか赤線さえ御存知ない方が大半なのにも関わ…

[地域] 新宿界隈由縁の人々(4)−6 内藤新宿宿場と夏目漱石

前回よりの続き…養家塩原昌之助一家(元内藤新宿名主)と再び街道宿場新宿に帰ってきた夏目金之助は休業中の貸し座敷(女郎屋)に住む事になります。 では、4,5歳になった幼い金之助の目に映った宿場の様子を自伝小説「道草」からピックアップしてみまし…

[地域] 新宿界隈由縁の人々(3)−6 内藤新宿宿場の有名人

先ずは地名の変遷から、……江戸時代に成立した甲州街道の内藤新宿と呼ばれた宿場からですが、江戸は四谷の新宿町…と云う事で、新宿のルーツは現在の新宿通り大木戸交差点付近から新宿三丁目(追分)交差点、伊勢丹辺り迄が内藤新宿と呼ばれた街道宿場かと考え…

[人物] 東京歴史人脈帳 浅草界隈 (7)−10 皮革産業と弾直樹、西村勝三

今年も如何やら梅雨の季節が近いようです。…それに付けても都知事舛添さんの蓄財破廉恥行為は修復不可能かも、都議会の推移から解決の鍵は知事を支持した自民党や公明党さんが握っているのでしょう。……しかし両党の曖昧な態度から私が思い出した実話……街中で…

[人物] 東京歴史人脈帳 浅草界隈 (6)−10  永井荷風 その3

前回に引き続き…文化勲章受賞の当日皇居に於ける式典を詳しく荷風日記「断腸亭日乗」の昭和27年11月3日に記しております。 ……晴。朝八時島中氏新に買入れし自動車に乗りて迎ひに来る。朝十時まづ文部省人事課に至りそれより文化勲章拝受までの次第下の…

[人物] 東京歴史人脈帳 浅草界隈(5)−10  永井荷風 その2

荷風日記「断腸亭日乗」の昭和24年3月27日によれば……日曜日。午前小川氏來話。午後より雨。独(ひとり)浅草大都座に往く。女優由美子「停電」上演記念にとて短冊に請ひければ ”停電の夜はふけ易し虫の声” ”窓にほす襦袢(じゅばん)なまめく日永(ひな…

[地域][人物] 東京歴史人脈帳(4)−10  浅草界隈 永井荷風 その1

荷風フアンにとって浅草は彼の行動の始点であり終点で在った様に思われます。女性が人生の大きなテーマであった人に相応しい場所でもあり、時系列で浅草との繋がりを追って見ました。 既に18歳頃から浅草吉原(新吉原)遊郭に登楼、親友の第一高等学校生の…

[地域][人物] 東京歴史人脈帳(3)−10  浅草界隈 水戸光圀

浅草にかかわる武家の話、今回は水戸黄門こと二代水戸藩主徳川光圀です。このお方の怪しげな素行は戦前隠蔽されていたのか?、戦後は史実作家などにより解明され、若年より老境と、生涯ついて回った行為と性癖があります。では順次、素行の実情……先ずは、浅…

[人物][地域] 東京歴史人脈帳(2)−10  浅草界隈 ”武家”

足利尊氏が九死に一生を得た浅草石浜の話のあと浅草寺、三社権現にかかわる時代を更に追いますと、後北条こと小田原北条氏の覇権が関東各地に及び浅草寺の天文4年(1535)の炎上を▲小田原北条氏二代氏綱が天文8年(1539)に再建、更に原亀3年(1…

[人物][地域] 東京歴史人脈帳 浅草界隈(1)−10  ”武家”

前回は移住と云うテーマでした、未だ興味のある場所は多数残っておりますが「銚子」に入れ込み過ぎたので一休み、続きは気分転換後に続けます。…… さて、気分一新して江戸東京の地域と係わる人物を追って見ることにいたしました。先ず東京の象徴的な街”浅草”…

[歴史] 平将門(5)−5 相馬中村藩と相馬野馬追い、足尾銅山

日本歴史ページの一枚…平安時代「天慶の乱」を起こして坂東の新皇を称し、関八州を支配した平将門でしたが、武運拙く敢え無く戦死いたしますが、現在に至るまで関東各地に多くの史跡伝説が残されております。前回は将門に関る成田山新勝寺のお話でした。お不…

[歴史] 平将門(4)−5江戸東京の将門伝説

だいぶ寄り道して将門伝説の話が中断しておりましたが、やっとの事でお江戸東京の将門公御由緒の場所を訪ねて見ました。 日本国の中心”東京”、そのまた中心の大手町界隈の遺構に平将門首塚があります。最先端の高層ビルオフィス街には可なり異端な存在にみえ…

[地域][歴史] 平将門(3)−5取手宿本陣、高瀬舟河岸(川湊)

長禅寺境内を辞し山門石段下公園の立札には幕末から昭和にかけて名を残した人達で取手に縁の文人などが記してあります。当地に寄留したり利根川や取手界隈に関る作品を残した人々です。小川芋銭、菊池幽芳、正岡子規、高村光太郎、平塚らいちょう、坂口安吾……

[地域][歴史] 平将門(2)−5 平将門と取手市風土記

将門の郷とされる坂東市を前回探訪いたしました。将門が天慶3年(940)2月14日藤原秀郷と平貞盛連合軍を相手に合戦、流れ矢を額に受け戦死の地に在る国王神社(こくおう神社)とは…彼の三女、如蔵尼により創建され、将門を大明神として祀たものです。 Photo……

[地域][歴史] 平将門(1)−5 ゆかりの坂東、取手と岩井探訪

今回は平安中期とかなり古い話で遺構も大規模豪華のものではなく質素であり、大筋は伝説的な歴史探索と思われますので、ゆっくりとアプローチから入ります。…… …この時期、今年は比較的低温で好都合と意を決して、平将門の本拠地である岩井市を訪ねました。…

[歴史][地域] 足利氏と新田氏(6)−6 足利市鑁阿寺、足利学校

栃木県足利市は太平記の里、足利氏始祖の地として歴史遺構が大切に保存された文化観光都市として活況しております。 清和源氏の嫡流源義家(八幡太郎義家)は陸奥の安倍氏討伐以来東山道の要衝足利には縁がありましたが、彼の孫に当たる足利義康がこの地を荘…

[歴史][地域] 足利氏と新田氏(5)−6 足利荘の成立と武家嫡流、 

武家の棟梁”源義家(八幡太郎義家)”と足利との係り、当時の世情は朝廷の権威が持続していた時代を前提に始めます。父親の源頼義が勅命による陸奥安倍氏の討伐戦に義家も参戦した「前九年の役」や「後三年の役」(永承6年、1051〜寛治1年、1087)の間にし…

[歴史][地域] 足利氏と新田氏(4)−6 家康公の置き土産 群馬県太田市の大光院

上毛地域の太平記歴史遺構にかかわる街、太田市と足利市は南北朝にそれぞれ組して戦った新田義貞と足利尊氏の各始祖の地、新田荘と足利荘が存在した遺構が残されております。今回は新田荘、太田市を歩いてみた印象から話を始めます。 大光院本堂 街の中心市…

[将軍家][地域]  足利氏と新田氏(3)−6 世良田新田荘と初代日光東照宮社殿

清和源氏の嫡流新田氏を祖と仰ぐ徳川家康公に関わる遺構が辺鄙な世良田に集約されております。中でも世良田東照宮の建物とは?…元和二年(1616)一月二十一日、駿河の田中に鷹狩りに出かけた家康は、その夜にわかに発病し、自ら死期の迫ったことを悟った…

[歴史] 足利氏と新田氏(2)−6 新田氏後裔徳川家康公の経緯           

前回の経過は…清和源氏の嫡流から新田氏、足利氏が成立して新田荘、足利荘に定着しそれぞれ新田、足利姓を名乗ります。今回の主題部分として…新田氏(義重)は更に嫡流と普系に分かれ、その一つが徳川(得川)郷の徳川姓を名乗る世良田義季こと徳川義季に辿り…