[地域] 新宿界隈由縁の人々(6)−6 ゴールデン街

最近の街の様子の様変わり何処へいっても外国人観光客の多いのに驚かされます。特に浅草観音境内は外国のお客様が圧倒的多数派で浴衣や和服姿の人が外国人と知ってビックリ仰天でした。
テレビ放映で新宿の外国人観光スポットにゴールデン街が紹介されて、またまた不思議な感じです。戦後闇市から派生したバラック街の生き残り、西口「思い出横丁」とゴールデン街の二つは新宿名物ではありますが、… 

新宿ゴールデン街
さて、と、いくらか前の事になりますが、私なりの思い出”花園”の残滓ゴールデン街の様子を観察しょうと、休日の朝9時頃ならば安全かと歩きますと、突然二の腕を後ろから掴まれ振り返ると「マツコ」を一回り小さくした様なオカマさんです。目は笑っていない…、好き者高齢者と間違われたのでしょうか?…真昼間”おてんとうさま”など関係の無い街だったのです。……現在のことは判りませんが一昔前の作家、編集者、映画監督、映画俳優、マスコミなど文化人が集る街として一躍有名になったゴールデン街でしたが、その実態とは?…何軒かその様な店もあったが、大部分はゲイバアー、ぶったくりバー、只のバーなどで、文化人の来る限られた有名店には文学志望の若者などが、実物の売れっ子小説家に触れようと集り、狭い店内は賑わったようです。

田中小実昌さんも行った店「ナベサン」
数多存在するゴールデン街関連有名人で私の記憶に残る画像などで、田中小実昌野坂昭如たこ八郎のお三方はドランカータレントの様な魅力がありました。特に”小実昌さん”と”たこ八郎さん”は愛される酔っ払いタイプでしたが、元ボクサーで日本チャンピオンの”たこさん”は試合の後遺症パンチドランカーの症状が確実に進行していたと云われています。
…そこで、ゴールデン街と言えばこの人「田中小実昌」さんの文章から往時のゴールデン街を推察いたします。……「ポクポク小馬」より…(オトコの気持ち)日本経済新聞社、昭和60年
…………新宿ゴールデン街にも、ゲイのおにいさん、おねえさんはたくさんいるが、こんなふうにマジメではない。ぼくが新宿ゴールデン街でよく飲むのは、マジメでないのが、ぼくの性にあってるためかもしれない。ぼくが、いいかげんな男だからだ。
………「お金ちょうだい」と真っ赤にマニキュアした、ごつい手をだした。「ね、千円ちょうだい。はやく、はやく、わたしいそがしんだから」
ゲイバーのなかではない。ぼくは、だだゴールデン街の路地をあるいていただけだ。それに、ぼくはこのゲイさんの店で飲んだことがあっただろうか。「千円ないよ」ぼくはこたえた。「どうして?」 ゲイさんは、女の子がオシッコがしたいみたいに、でかい図体でぴょんぴょんとびあがっている。 「一万円しかない」「マン札だっていいわ。お釣りもってくる」ぼくはポケットからマン札をだし、ゲイさんはひったくるように、それをとり、どこかにはしっていった。自分の店ではない。そして、息をきらして、もどってきて、ぼくのてのひらに千円札を九枚のせた。「はい、九千円のお釣り。わたし、正直でしょ」…………正直かもしれないが、マジメではない。ただ路地をあるいているだけの男から、千円のチップをとって、九千円のお釣りをもってくるなんて、ド真面目なニンゲンのやることではない。 …………つい二、三日前、新宿ゴールデン街のあるバーにいったら、鍵がかかっており、路地のななめ向こうのゲイバーのゲイさんが、「おっかあはおフロにいったよ」とおしえてくれた。銀座あたりでは、いや、ほかでも、バーのママを、おっかあなんてよぶところはない。 …………新宿ゴールデン街は、この都電の線路に抱きこまれたかたちで、もういっぽうは、花園神社の裏で、四谷第五小学校の裏ての一部になっている。もう腰がまがった栄子さんは、どこに住んでるかだれも知らなかったが、毎晩、新田裏あたりにひょいとあらわれ、四谷第五小学校の裏壁に立ち小便してから、ゴールデン街の路地にはいってきた。栄子さんはたいへんに高齢だから立ち小便をするようになったが、オカマの立ち小便というのは、ほんとにめずらしい。 …………ゴールデン街にしては紳士があつまる「花の木」「ナベさん」。この路地には「薔薇館」もあった。おキヨがママで……あのころ、おキヨはいくつだったのだろう?…………おキヨともキヨい仲、なんてつまらないことを言って、やたらさわいで飲んだり。「薔薇館」のサンキチ(も女のコ)が、ある夜、ぼくがはいっていくと、くっくっわらった。「昨夜(ゆんべ)ね、オジちゃん、カウンターごしに、わたしに三回キスして、ケッコンしょう、と二度言ったわ」「へえ、そんで、おまえは、なんて返事した?」「オーケーって……」「ほんじゃ、今夜、ケッコンしよう」「今夜はダメ。オーケーは、昨夜(ゆんべ)のこと」たあいないもんですよ。…………「まえだ」ここのおっかさんがおそろしいのは有名で、ちいさな店なので、混んでくると、立って飲んでる人がいるのもめずらしくない。…………ゴールデン街のマジメではないバーや飲み屋などで、ぼくがはいってくと、若い人が席をゆずって、自分は立って飲んだりする。こんな若い人は、礼儀なんて言えばわらうだろう。ただ、ココロがやさしいのだ。…………

この文で田中小実昌さんがその他に名前が出したゴールデン街の店名は、……お和、奈々津、プーサン、クララ、桂、しの、あんよ、あり。等です。
と、云う事で昭和32年の売春禁止法成立以前の盛り場新宿では新宿二丁目、花園と東京屈指の赤線、青線を抱え通常の性風俗が圧倒的でありましたが、売禁法執行後は青線花園の跡ゴールデン街は格好のゲイ風俗の培養地となり、以後ゲイ風俗は旧赤線跡の新宿二丁目にも拡大根付いて行きました。
ま、ゴールデン街は新宿ゲイ文化? の発祥に重要な街でもあったのでしょう。この新宿名物バラック飲食街の「思い出横丁」と「ゴールデン街」の土地は細分化され更に不在地主、不明権利者などで地主、借地人、店舗権利、など貸借譲渡なども不透明取引が絡み合って、司法、行政などに頼る現実性すらないとされます。 一時大流行した強引な地上げ業者さえも撥ね返された迷宮地帯と云われ、更なる老朽化と街の将来像など分かりませんが、新宿名物のネームバリュで生き延びるのかも。……前回へ戻る

《新宿界隈由縁の人々》
(6) ゴールデン街
(5) 内藤新宿宿場と芥川龍之介
(4) 内藤新宿宿場と夏目漱石
(3) 内藤新宿宿場の有名人
(2) 赤線青線街の成立
(1) 闇市バラック街備忘録