[人物] 東京歴史人脈帳 浅草界隈(5)−10  永井荷風 その2

荷風日記「断腸亭日乗」の昭和24年3月27日によれば……日曜日。午前小川氏來話。午後より雨。独(ひとり)浅草大都座に往く。女優由美子「停電」上演記念にとて短冊に請ひければ  ”停電の夜はふけ易し虫の声”  ”窓にほす襦袢(じゅばん)なまめく日永(ひなが)哉
と当時の軽演劇ブームに乗り荷風の軽妙な作品が多数上演され、彼の戦時、戦後の隠棲生活から開放され若い踊り子さん目当てに浅草六区の劇場楽屋に日参するようになります。気難しいので有名な永井荷風さんも踊り子さんに”にふうさん”とか”にかぜさん”などと呼ばれてもニコニコするばかりだった様子です。……更に興が乗れば舞台の通行人役で出演するのです。

6月4日。晴。「鳩の町」初日。午前十時弁当を携へて大都劇場に至る。寺島町カフェー組合より男女俳優に贈りし幟七流ほど立てられたり。「鳩の町」第二場のところへ余通行人に扮し女優純子と共に出でて景気を添えたり。三十年前有楽座にて清元一枝会開催の時床に上り「落人」を語りしむかしを思出でて覚えず失笑す。…… ……。
昭和24年、この時期、荷風さんは71歳になりますが、”来し方”は遊里の女性遍歴と女性像を細やかに観察し作品に反映して、その描写は文学芸術へと高めましたが、気力と体力喪失と相まってか?…「断腸亭日乗」に作家生活の総括の言葉を吐露しております。孤高の人の口から…弱気と言うか、自虐的な表現は初めて読んだような気がいたしました。……以下…
6月15日 晴。午前木戸氏來話。夕刻より浅草。仏蘭西映画 La Grande I11usionを見る。帰途地下鉄入口にて柳島行電車を待つ。マッチにて煙草に火をつけんとすれども川風吹き來りて容易につかず。傍らに佇立みいたる街娼の一人わたくしがつけて上げましょう。 あなた。永井先生でせうといふ。どうして知っているのだと問返すに新聞や何かに写真が出ているじゃないの。「鳩の町」も昨夜よんだわ。わたしこの間まで亀有にいたのです。暫く問答する中電車来りたれば煙草の空箱に百円札参枚入れたるを与へて別れたり。
6月18日。晴。夕刻いつもの如く大都劇場に至る。終演後高杉由美子らと福島喫茶店に小憩し地下鉄入口にて別れ独(ひとり)電車を待つ時三日前の夜祝儀若干を与えたる街娼に逢ふ。その経歴をきかむと思ひ吾妻橋上につれ行き暗き川面を眺めつつ問答すること暫くなり。今宵も参百円ほど与えしに何もしないのにそんなに貰っちゃわるいわよと辞退するを無理に強ひて受取らせ今度早い時ゆっくり遊ぼうと言ひて別れぬ。年は廿一、二なるべし。その悪ずれせざる様子の可憐なることそぞろに惻隠の情を催さしむ。不幸なる女の身上を探聞し小説の種にして稿料を貪らむとするわが心底こそ売春の行為よりもかへって浅間しき限りと言うべきなれ。

荷風さんには老後の充実した浅草六区の劇場楽屋通いがつづきます。戦災後の敗戦直前関西疎開先などでも色々と気を使ってもらった谷崎潤一郎と戦後も時々会ったりしています。…谷崎潤一郎永井荷風さんにその才能を見出され大家に成った方で荷風さんとは師弟の関係と云えるのでしょう。奇しくもお二方ともに享年79歳でしたが、”瘋癲老人日記”や”鍵”などを著した谷崎潤一郎の老年期の耽美生活ぶりは可なりなもので弟子が師を越えていたようです。
昭和25年3月31日 晴。午後四時銀座千疋屋にて谷崎氏と会見の約あり。途上新橋駅にて偶然もとロック座女優戸川まゆみに逢ふ。相携へて千疋屋に至る。谷崎君佐藤観氏と共にあり。一同導かれて江戸見坂下谷崎君の旅館に至り晩餐を馳走せらる。この旅館もと俳優片岡仁左衛門邸宅の跡なりといふ。快談十時に至る。
4月3日 晴。燈刻ロック座楽屋。「渡り鳥いつかえる」五月中旬上演の相談をなす。中川堤の桜ひらく。
日記の筋から当分はロック座楽屋通いが日常になります。…更に11月には「春情鳩の町」が上演され年も明けた昭和26年の4月にはアメリカ占領軍総司令官マッカーサー元帥の朝鮮戦争拡大作戦を危惧するトルーマン大統領による罷免で帰米します。この頃より断腸亭日乗の記載が簡単になり4月18日 晴。夜浅草。 9月19日 雨午後に歇む。夜浅草。 9月27日 晴。夜浅草。 翌昭和27年になりますと人生の毀誉褒貶、最大の名誉と思える文化勲章受章が待っておりました。その人生を通じて権力に馴染まず妥協しなかったお方ですからどうなる事かと興味がありましたが、…あっさり受賞!…ま、年金をくれると云うのだ、金は邪魔にはならないから貰っておくか?、…とは不明です。
昭和27年正月元旦。旧十二月五日。晴。暖。夜浅草。公園興行物去年夏頃より女剣劇流行。花月劇場大江美智子一座。ロック座筑波澄子。天龍座不二峯子。公園劇場大倉千代子。松竹演芸館大利根純子。浅香光代の看板を出したり。 ……若い頃は映画など観ないと云っておりますがこの頃は盛んに映画鑑賞をしております。
6月3日。晴。燈刻銀座。不二アイスに飯し東京劇場に音楽映画「歌劇王エンリコ・カルゾオ」をきく。余が紐育オペラハウスにて幾度となくカルゾオの歌をききたるは千九百七、八年の頃なりき。四十余年の昔を思返して涙に暮れぬ。
10月21日。晴。午後毎日新聞記者小山氏来り今朝文化勲章拝受者決定。その中に余の名も見ゆる由を告ぐ。東京新聞読売新聞経済新報その他の新聞記者も來り写真を撮影す。夕方出でて京成電車に乗らむとする途上中央公論社島中氏高梨氏宇野氏自動車にて来るに会ふ。宇野氏は文部省社会教育局芸術課長なり。一同浅草公園に至り天竹にて晩餐を喫す。
10月25日。陰。正午島中氏高梨氏來話。島中氏洋服モーニングを持ち來りて貸さる。来月三日余が宮中にて勲章拝受の際着用すべき洋服を持たざるを以ってなり。 ……前へ戻る…  
……次回へつづく

《東京歴史人脈帳》
(10) 皮革製造業の状況(3)高度技術の行方は
(9) 皮革製造業の状況(2) 近代化日本を支えた産業
(8) 現代皮革製造業の状況(1)
(7) 皮革産業と弾直樹、西村勝三
(6) 永井荷風 その3
(5) 永井荷風 その2
(4) 浅草界隈 永井荷風 その1
(3) 浅草界隈 水戸光圀
(2) 浅草界隈 ”武家”
(1) 武家