地域 東京

[河川][歴史] 古利根川の追跡(8)−8 蛇行デルタの江戸遺構「小菅」から大川へ

前回で埼玉県羽生市上川俣の昔の利根川本流と云われた廃川跡(会の川)の追跡古利根川へ更に中川、遂にはほぼ痕跡が消滅した古隅田川をへて、現在の隅田川へ、…即ち、昔は利根川、荒川、入間川が流れ込んだ隅田川は可なり流水量の多い大河であった事がわかり…

[河川][歴史] 古利根川の追跡(7)−8 謎の大河古隅田川跡と足立区、葛飾区

大正時代以前の中川とは古利根川の下流部分の呼称、…迄が前回の話でしたが、今日はその先、知る人ぞ知る…古隅田川?とは、今回も古利根川いわゆる中世期の利根川本流跡…の追跡になります。…古利根川下流(中川)は元荒川や綾瀬川を呑み、更に南下します。今…

[事件事故] 日本橋界隈の人脈(6)−6 続、続 三越デパートと下山事件

下山事件は67年前の昭和24年(1949)7月ですから戦後派の方々には馴染みの無い話かと思われますが、敗戦後占領軍時代の現代史や生活史のアプローチには可なり格好の事件だったのです。…ま、簡単なWeb検索で、下山事件の客観的記述が多数あります…

[事件事故] 日本橋界隈の人脈(5)−6 続 三越デパートと下山事件

この事件で世論も他殺説と自殺説に分かれ捜査結果としても両説ともに決定的証拠が存在せず混沌となりました。…この迷宮化の根源を作った人物が、即ち東京大学医学部教授の古畑種基氏です。…司法解剖に立会い死後轢断の判定所見が切っ掛けとなり科学的根拠の…

[事件事故] 日本橋界隈の人脈(4)−6 三越デパートと下山事件

米軍占領下の昭和24年(1949)7月に発生した国鉄総裁下山定則氏の轢断死事件を契機に三鷹事件、松川事件と一年以内に次々と起った国鉄の大事故は三大ミステリー事件と云われ、その実態が不明のまま迷宮入りして今日まで語り継がれております。 中でも…

[事件事故] 日本橋界隈の人脈(3)−6 三越デパート、三井本館の事件簿

日本橋の中心と云えば昔も今も三井財閥発祥「越後屋呉服店」の店舗のあった場所、駿河町筋、現在の日本橋三越デパートと三井本館の対面する道かと思います。 江戸日本橋駿河町越後屋呉服店 この伝統の建物で起った二、三の事件は日本国の歴史の一端を象徴す…

[地域] 日本橋界隈の人脈(2)−6 青島幸男 鼠小僧次郎吉 仕立屋銀次

青島幸男さんは元東京都知事で昔で言えば東京の殿様のようなお方ですが、…あとのお二人方は江戸末期、明治初期の盗賊、スリを稼業とした伝説的実在者です。 …お江戸日本橋がお好きな方々には有名な明治生れの女流作家長谷川時雨さんの著書「旧聞日本橋」は明…

[地域] 日本橋界隈の人脈(1)−6 興味津々多士済々

暑いのは当たり前…暑くなければ大変だ!、が…やっぱり暑いですね〜 昔の、その又昔にはお江戸近辺でも日本武尊と云う神様が歩き回ったお話が主に神社さんの由緒で語られておりますが、創作歴史はそちらにお任せして、日本橋界隈は家康公江戸入府の天正18年(1…

[地域] 新宿界隈由縁の人々(6)−6 ゴールデン街

最近の街の様子の様変わり何処へいっても外国人観光客の多いのに驚かされます。特に浅草観音境内は外国のお客様が圧倒的多数派で浴衣や和服姿の人が外国人と知ってビックリ仰天でした。 テレビ放映で新宿の外国人観光スポットにゴールデン街が紹介されて、ま…

[地域] 新宿界隈由縁の人々(5)−6 内藤新宿宿場と芥川龍之介

内藤新宿の宿場遊郭を接点として夏目漱石に続いて今回は芥川龍之介に話を移しますが、このお二方の誕生から青年期にかけて境遇の余りの類似性には驚きでした。…… しかし、つらつら考えるのですが、現代は遊郭どころか赤線さえ御存知ない方が大半なのにも関わ…

[地域] 新宿界隈由縁の人々(4)−6 内藤新宿宿場と夏目漱石

前回よりの続き…養家塩原昌之助一家(元内藤新宿名主)と再び街道宿場新宿に帰ってきた夏目金之助は休業中の貸し座敷(女郎屋)に住む事になります。 では、4,5歳になった幼い金之助の目に映った宿場の様子を自伝小説「道草」からピックアップしてみまし…

[地域] 新宿界隈由縁の人々(3)−6 内藤新宿宿場の有名人

先ずは地名の変遷から、……江戸時代に成立した甲州街道の内藤新宿と呼ばれた宿場からですが、江戸は四谷の新宿町…と云う事で、新宿のルーツは現在の新宿通り大木戸交差点付近から新宿三丁目(追分)交差点、伊勢丹辺り迄が内藤新宿と呼ばれた街道宿場かと考え…

[風俗] 新宿界隈由縁の人々(2)−6 赤線青線街の成立

敗戦後、先ず、新宿駅界隈の強制疎開跡地には闇市が成立、更に進化して組管理のバラック街飲食店に発展、東口、西口駅周辺は賑わいます。 しかし、新宿駅東口にはアメリカ進駐軍の主要施設RTO事務所があり、駅至近の尾津組竜宮マートはアメリカ軍命令で立…

[地域] 新宿界隈由縁の人々(1)−6 闇市バラック街備忘録

敗戦の年、昭和20年春に私は旧制中学1年生に進学しましたが、未曾有の出来事大日本帝国無条件降伏の事態に遭遇、大混乱社会に身を委ねておりました。ところが、この暗黒時代に突然出現したのが新宿駅界隈の闇市成立です。…沈滞した世間を吹き飛ばすエキサ…

[産業] 東京歴史人脈帳 (10)−10 皮革製造業の状況(3)高度技術の行方は

皮革業界や実務の知識も無い素人、即ち私が勝手な事を書いたりしても特に怒られる事もなく、その人なりの考えとして、…日本国の民主主義、言論の自由は有難い事です。 ……しかし日本国総理大臣の安倍さんも可なりいい加減のお方のようで戦争や秘密保持法など…

[産業] 東京歴史人脈帳(9)−10  皮革製造業の状況(2) 近代化日本を支えた産業

都の水源ダムのピンチが報道されております、20年程前は毎年の話でしたが、又これからぶり返しになるのでしょうか、……さて、東京都と云えば舛添知事さんは世間の注目を一身に集めておりますが、つらつら考えるに政治家さんとは皆さんこの様に精神的にもタ…

[人物] 東京歴史人脈帳 (8)−10 現代皮革製造業の状況(1)

御一新、明治時代とは日本近代化の第一歩でしたが、先進工業の燭光が皮革事業だった事は余り知られておりません。明治政府の西洋式軍隊設立の必須であった靴を始めとする軍事装備品調達が皮革産業成立の原点でした。 しかしながら、残念なのは日本旧来の製革…

[人物] 東京歴史人脈帳 浅草界隈 (7)−10 皮革産業と弾直樹、西村勝三

今年も如何やら梅雨の季節が近いようです。…それに付けても都知事舛添さんの蓄財破廉恥行為は修復不可能かも、都議会の推移から解決の鍵は知事を支持した自民党や公明党さんが握っているのでしょう。……しかし両党の曖昧な態度から私が思い出した実話……街中で…

[人物] 東京歴史人脈帳 浅草界隈 (6)−10  永井荷風 その3

前回に引き続き…文化勲章受賞の当日皇居に於ける式典を詳しく荷風日記「断腸亭日乗」の昭和27年11月3日に記しております。 ……晴。朝八時島中氏新に買入れし自動車に乗りて迎ひに来る。朝十時まづ文部省人事課に至りそれより文化勲章拝受までの次第下の…

[人物] 東京歴史人脈帳 浅草界隈(5)−10  永井荷風 その2

荷風日記「断腸亭日乗」の昭和24年3月27日によれば……日曜日。午前小川氏來話。午後より雨。独(ひとり)浅草大都座に往く。女優由美子「停電」上演記念にとて短冊に請ひければ ”停電の夜はふけ易し虫の声” ”窓にほす襦袢(じゅばん)なまめく日永(ひな…

[地域][人物] 東京歴史人脈帳(4)−10  浅草界隈 永井荷風 その1

荷風フアンにとって浅草は彼の行動の始点であり終点で在った様に思われます。女性が人生の大きなテーマであった人に相応しい場所でもあり、時系列で浅草との繋がりを追って見ました。 既に18歳頃から浅草吉原(新吉原)遊郭に登楼、親友の第一高等学校生の…

[地域][人物] 東京歴史人脈帳(3)−10  浅草界隈 水戸光圀

浅草にかかわる武家の話、今回は水戸黄門こと二代水戸藩主徳川光圀です。このお方の怪しげな素行は戦前隠蔽されていたのか?、戦後は史実作家などにより解明され、若年より老境と、生涯ついて回った行為と性癖があります。では順次、素行の実情……先ずは、浅…

[人物][地域] 東京歴史人脈帳(2)−10  浅草界隈 ”武家”

足利尊氏が九死に一生を得た浅草石浜の話のあと浅草寺、三社権現にかかわる時代を更に追いますと、後北条こと小田原北条氏の覇権が関東各地に及び浅草寺の天文4年(1535)の炎上を▲小田原北条氏二代氏綱が天文8年(1539)に再建、更に原亀3年(1…

[人物][地域] 東京歴史人脈帳 浅草界隈(1)−10  ”武家”

前回は移住と云うテーマでした、未だ興味のある場所は多数残っておりますが「銚子」に入れ込み過ぎたので一休み、続きは気分転換後に続けます。…… さて、気分一新して江戸東京の地域と係わる人物を追って見ることにいたしました。先ず東京の象徴的な街”浅草”…

[歴史] 平将門(4)−5江戸東京の将門伝説

だいぶ寄り道して将門伝説の話が中断しておりましたが、やっとの事でお江戸東京の将門公御由緒の場所を訪ねて見ました。 日本国の中心”東京”、そのまた中心の大手町界隈の遺構に平将門首塚があります。最先端の高層ビルオフィス街には可なり異端な存在にみえ…

[歴史] 戦時学童集団疎開(4)−4 東京大空襲 併記、鬼怒川の氾濫

今回の茨城県鬼怒川決壊で石下地区の大水害は迫真のTV画像からも自然災害のもたらす脅威のエネルギーを目の当たりにして、近年多発する地球温暖化による過激な自然災害が日本列島にも忍び寄りつつ在る事が明白になってまいりました。 昔の東京を知る私にとっ…

[歴史] 戦時学童集団疎開(3)−4 東京空襲とB29爆撃機の実態

新潟県の南魚沼地方は豪雪地帯で有名ですが、十月も過ぎますと毎日毎日鉛色の空が雪を降らせ、年末には150cmを軽く超えます、スキーは見よう見真似で滑れるようにはなっておりました。国民学校卒業進学を控えた私達6年生は翌年2月に待望の帰京となり…

[歴史] 戦時学童集団疎開(1)−4 昭和19年戦時小学生(国民学校)

暑い暑いを繰り返すのも能がない話と、殊更口に出さない事にしております…日課のウオーキングも儘ならず…、ま、歩く私が他人様にどう見えるのか分かりませんが、本人は徘徊ではない積もりです。……と云う事で… それではと、古い記憶でも手繰り寄せる事にして…

[時事][事件事故] 甦る記憶 (2)ー8 日本国とアメリカCIAの関係

アメリカのCIAと云えば私の記憶には、昭和26年(1951)プロレタリア作家、鹿地亘氏が在日CIAの岩崎ハウス(本郷三菱岩崎邸)に在ったキャノン機関に拉致監禁されたとされる事件でした。が、…実は彼はCIAのエージェントで二重スパイが発覚し自ら保護を求めて…

 [地域][歴史] 江戸六地蔵 (6)ー6 浅草、巣鴨と孝明天皇急死疑惑と旧中山道の因縁

第2番の曹洞宗 東禅寺(台東区東浅草二丁目)宝永7年(1710)建立(奥州街道)は明治通り泪橋交差点を南へ山谷の旧ドヤ街の外れ東浅草2丁目の路地裏の東禅寺門前に鎮座されてます。 普通は人目に付かない下町路地の場所柄で、その昔の事情はともかく現…