寺社

戦前日本が見えてくる(11) 神社御神体 究極土俗神

この雨続きで気分は塞込んでおり…戦中、戦前派にはお馴染みの…淡谷のり子さんの歌で ”雨のブルース”を思い出しております。 ♪…雨よ降れ降れ、悩みを流すまで、どうせ涙に濡れつつ 夜ごと嘆く身は あゝ かえり来ぬ 心の青空 すすり泣く 夜の雨よ…♪ 昔は世相を…

[歴史] 戦前日本が見えてくる(10) 御祭神 仏教神社

前回迄のお話で既に明白になった、仏教と切っても切れない由縁の御祭神の神社さまに八幡さまと天王さまがあります。 即ち全国の八幡神社の御本社宇佐八幡宮の主祭神は15代応神天皇(400年AD頃か)とされ、宇佐八幡御託宣集によると「我は誉田天皇広幡八幡麻…

戦前日本が見えてくる(9)神社主祭神 神さまになった人々

人物仏教にしろ神道にしろ宗教の本質は可なり複雑で、それぞれ専門の大学が存在する程です。……社会の中で見たり、聞いたりする程度の知識の私がブログに書くのは無作法のようですが、一方その様な立場の者が、其れなりの思いを語るのも民主主義社会の必然か…

戦前日本が見えてくる(8) 神社いろいろ 神さまの実態

ある年代を超えると高齢者は明らかに年毎に身体能力の上限が低下してくる事が身に沁みてまいります。……陽気が暑いから…、少し寒気を感じる季候になれば夢中で歩けるのでは、と一縷の望みを掛けております。 昔から”困ったときの神頼み”とか言い伝えられ、確…

戦前日本が見えてくる(7) 絶縁される神社本庁とは?…

……引き続き神社本庁の本質を簡単に表現すれば、薩長公家が建国した大日本帝国の思想残滓と云えそうです。……即ち明治政府の神祇官(後の神祇院)が強行した宗教改革の思想が「神国日本」の敗戦までの国粋思想の根幹となってまいりました。敗戦時の内務省神祇…

戦前日本が見えてくる(6) 遂に富岡八幡宮が絶縁…神社本庁

私の小学校新入学の学級記念写真は富岡八幡の拝殿前石段に並んで写っております。八幡様の真裏に在る数矢(かずや)小学校の事でした。…昭和13年(1938)頃のお話、その後、四谷、世田谷と転居したのですが、門前仲町と八幡様、お不動様など、下町独特の街の…

戦前日本が見えてくる(5)高麗神社と高麗聖天院

前回の埼玉古墳群をたずね出土品なども見学した暇人の私は俄然古代史に興味がわいてまいりました。………なにぶん戦時小学生時代の神話を歴史に組み込んだ歪曲国史教育をされた被害者でしたから。 律令(701年)により国、郡制度の発足で武蔵国さき玉郡が出来た…

[歴史][地域] 足利氏と新田氏(6)−6 足利市鑁阿寺、足利学校

栃木県足利市は太平記の里、足利氏始祖の地として歴史遺構が大切に保存された文化観光都市として活況しております。 清和源氏の嫡流源義家(八幡太郎義家)は陸奥の安倍氏討伐以来東山道の要衝足利には縁がありましたが、彼の孫に当たる足利義康がこの地を荘…

[歴史][地域] 足利氏と新田氏(4)−6 家康公の置き土産 群馬県太田市の大光院

上毛地域の太平記歴史遺構にかかわる街、太田市と足利市は南北朝にそれぞれ組して戦った新田義貞と足利尊氏の各始祖の地、新田荘と足利荘が存在した遺構が残されております。今回は新田荘、太田市を歩いてみた印象から話を始めます。 大光院本堂 街の中心市…

[将軍家][地域]  足利氏と新田氏(3)−6 世良田新田荘と初代日光東照宮社殿

清和源氏の嫡流新田氏を祖と仰ぐ徳川家康公に関わる遺構が辺鄙な世良田に集約されております。中でも世良田東照宮の建物とは?…元和二年(1616)一月二十一日、駿河の田中に鷹狩りに出かけた家康は、その夜にわかに発病し、自ら死期の迫ったことを悟った…

 [地域][歴史] 江戸六地蔵 (6)ー6 浅草、巣鴨と孝明天皇急死疑惑と旧中山道の因縁

第2番の曹洞宗 東禅寺(台東区東浅草二丁目)宝永7年(1710)建立(奥州街道)は明治通り泪橋交差点を南へ山谷の旧ドヤ街の外れ東浅草2丁目の路地裏の東禅寺門前に鎮座されてます。 普通は人目に付かない下町路地の場所柄で、その昔の事情はともかく現…

[寺社][歴史] 江戸六地蔵 (5)ー6 深川永代寺の廢佛毀釋と破壊の真実

今回は江戸六地蔵の第6番真言宗永代寺(江東区富岡一丁目)に享保5年(1720)建立のお地蔵様が明治初年破壊され寺も廃寺になった経緯を調べてみました。 ……明治新政府の神仏分離令から国家神道こと神国日本思想の実践国家の原理が成立いたしましたが、…

[地域][歴史] 江戸六地蔵 (4)ー6 深川霊厳寺 芭蕉庵と小名木川(二)

霊厳寺の北には江戸時代の遺構小名木川が東西に流れ、銚子漁港の大漁節に唄われた高瀬船が金肥の干鰯を運んで来て水揚げした干鰯場跡の碑が,清洲橋通りに面し(白河1−5)にあります。……銚子大漁節の一部分 一つとせ 一番ずつに積み立てて川口押し込む大矢…

[寺社][地域] 江戸六地蔵 (3)ー6 深川霊巌寺 清澄白河界隈と紀伊国屋文左衛門(一)

江東区白河一丁目、広大な霊巌寺境内の中程に鎮座される地蔵菩薩銅像は第五番目、享保2年建立(1802)です。 街道筋は水戸街道とされておりますが? 今回は最初から一寸つまづきです…、えーと、水戸街道はお江戸日本橋から奥州、日光街道とおなじ道を浅…

[寺社][歴史] 江戸六地蔵 (2)ー6 品川寺 品川松右衛門と投込み寺

京浜急行の青物横丁駅は第一京浜国道と旧東海道に挟まれ、池上通りに面して駅があります。 この旧街道を鈴ケ森方面に歩くと突然、第一番の江戸六地蔵が鎮座し見上げれる御尊顔は紛れもなくお馴染みの仏様で宝永5年(1708)建立以来東海道の旅人の無事を…

 [寺社][歴史] 江戸六地蔵 (1)ー6 新宿太宗寺と界隈

お江戸の痕跡は寺社、江戸城と外郭などに僅かに残る東京ですが、戦火を逃れた巨大な六地蔵が辛うじて余韻を伝えております。 今回は内藤新宿と云われた旧街道宿場にある 浄土宗「太宗寺」のお地蔵様から始めます。ま、物には順序と云う事で、六地蔵建立の経…

[歴史][地域] 豪徳寺(世田谷区)周辺(2)−2 代官屋敷とボロ市

前回のお話、豪徳寺の近くにある東急世田谷線上町駅は昔は玉電上町と呼んでおりましたが、駅の南の高台に今では珍しい茅葺屋根の代官屋敷があります。 photo-世田谷代官屋敷 その代官屋敷前の道が旧大山街道で江戸、明治の時代には秦野の大山雨降山神社(大…

[地域][歴史] 豪徳寺(世田谷区)周辺(1)−2 彦根藩主塋域と井伊直弼

前回の松蔭神社の吉田松陰墓地から西へ僅か900m離れた世田谷2丁目の巨刹豪徳寺には奇しくも「安政の大獄」を指揮して斜陽幕府の回天を計り、凶刃に倒れた井伊直弼の墓があります。 ”去る者は日々に疎し”と云われる世の中ですが、さすが幕末動乱の分岐点…

[歴史][地域] 安政の大獄(5)−5 冥界小塚原刑場と松陰神社の経緯

浅草裏に存在する天国と地獄の極致が南千住の小塚原刑場跡で死者の世界、冥界なのです。 この刑場は徳川家康江戸入府の時、既に存在した日本橋本町4丁目の刑場が移転したもので浅草鳥越橋、浅草聖天町を経て慶安4年(1651)当地に開設され明治6年頃まで…

[寺社] 将軍家霊廟増上寺 (5)−5 増上寺将軍霊廟宝塔の行方と清瀬市長命寺

戦災で荒廃した増上寺将軍霊廟の売却で発生した墓地の宝塔(墓石)の内、 二代将軍徳川秀忠 六代将軍徳川家宣 七代将軍徳川家継 九代将軍徳川家重 十二代将軍徳川家慶 十四代将軍徳川家茂 …将軍の宝塔は増上寺境内に徳川家霊域を新設し移転設置されておりま…

[寺社] 靖国神社の真実

先ず、始めに靖国神社の英霊と云われる大部分の戦死者を出した戦時中の事実を隠蔽し戦後の民主主義社会の如くパラドックスさせて語るのが総理大臣安倍晋三です。……と見えたのですが、軍国主義者と言われる安倍さんは戦後生まれで、私達世代の体験した第二次…

[将軍家] 将軍家霊廟増上寺 (4)−5 狭山不動寺の将軍家甕棺は何方のか…。

南北朝の話に拘って参りましたが一寸一服、アットランダムを発揮して今回は西武球場前の狭山不動寺の参詣です。 photo…二代将軍徳川秀忠、台徳院霊廟に在った勅額門、後水尾天皇書このお寺の由来は昭和20年の東京大空襲で焼失した芝増上寺徳川将軍家霊廟の…

[歴史][探訪] 南北朝(1)−4 足利氏始祖地 足利市鑁阿寺

東京近辺に在住の方々には北関東の足利市、大田市などはなぜか縁遠い場所と感じていませんか?、 お江戸は別として関八州で鎌倉にも匹敵する歴史の宝庫が、僅か80km圏にあるのです。 上)太鼓橋楼門 下)本堂と中御堂 足利市と云えば足利尊氏父祖の地で…

[寺社][地域] 築地 月島 (4)−6 築地本願寺

現代の東京は昔日を偲ぶよすがを見つけるのは難しくなりました。 今回は銀座のお隣築地界隈を好奇心をかき立てて歩いた結果です。 そもそも築地とは本願寺建立の為に埋め立て造成からなった地名だそうで、築地の発祥、本願寺さまのお話から始めます。…… 親鸞…

[地域][寺社] 蔵の街 栃木市(2)−4 惣社町”室の八島”大神神社

二月に入り栃木市散策を思いつき、先ずは大神(おおみわ)神社、歌枕”室の八島”探訪でした。 奥の細道のプロローグを口ずさみ、取るもの手に付かず東武電車に乗りました。……芭蕉さんと曾良の江戸出立は新暦五月九日ですから真冬二月は早すぎた嫌いはあります…

[寺社][天皇公家]  護国寺(4)−4 虚飾公卿と明治維新

今更ながら、赤軍派セクト自滅を再現した虚飾民主党政権は日本国沈滞に拍車をかけ、資質の伴なわない口舌の宰相には辟易いたしました。……新生自民党内閣?、再生安倍政権の顔触れは、ほぼ自民党壊滅時のメンバーさんです。何か背筋の寒い感覚が過ぎりますが…

[寺社][人物]  護国寺(3)−4 塋域(墓地)からの物語

この塋域(えいいき)に睡る人々から寺の事、宗教の事、その他、特に明治維新と大日本帝国に至る歴史の疑義がクローズアップしてまいります。 今更ながら歴史遺構の持つ迫真力を再認識いたしました。……護国寺塋域の人々、松平不昧公、高橋義雄、大隈重信、山…

[寺社][天皇公家]  護国寺(2)−4 墓地は明治の天皇家外史

前回までのお話で護国寺は五代将軍徳川綱吉の建立により明治維新まで寺領2700石を受領する徳川幕府祈願寺としての任を果たしてまいりました。よって明治までは将軍家霊廟は上野寛永寺、芝増上寺の菩提寺にあり、当寺には歴代住持などを除き一切の霊域墓…

[寺社][歴史]  護国寺(1)−4 江戸元禄の巨刹今昔

池袋や目白台丘陵地の裾、音羽通りの突き当たりに東京唯一の巨刹文化財「護国寺」があります。お江戸東京は徳川将軍家の城下町として名立たる大寺院は沢山ありますが、総て関東大震災、東京大空襲で焼失し音羽の護国寺を除き文化財に価する大建築物は存在い…

[寺社] 日光東照宮(3)−4 家康公霊柩到着と初代東照宮の行方

過ってジャパン アズ ナンバーワンと云ったアメリカのエコノミストが居りましたが、将に当時、ライジングサンがハイヌーンへ、…一転、昨今はサンセットの様相となり、技術、経済の凋落は日本国の転換点となりました。 見透かした様に?、近隣国からの領土侵…