2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

[寺社] 将軍家霊廟増上寺 (3)−5 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その3

寛永3年(1626)崇源院お江与の方霊廟建立で始った増上寺徳川将軍霊廟は明治10年(1877)皇女和宮静寛院が逝去、宮内省の手で14代将軍家茂宝塔に並べて葬られる迄の251年間利用された事になります。昭和20年の東京空襲で焼失、昭和33年…

[時事]  国会VS大新聞社、

管首相の浜岡原発即時停止要請に始まり、ストレステスト、とどのつまりが脱原発の発言と矢継ぎ早の放言に国会は為すすべもなく機能しておりません。…私のようなお江戸探索が趣味の人間にとって思い当たったのが、幕末慶応三年まで毎年四月十五日の日光東照宮…

[寺社] 将軍家霊廟増上寺 (2)−5 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その2

三代将軍家光と大御所さま秀忠が京都二条城に上洛中の寛永3年9月15日お江与の方は江戸城西の丸で亡くなります。遺骸は9月18日増上寺におくられ、程近い麻布我善坊谷で盛大な荼毘に付し増上寺境内に巨大な宝篋印塔を建て胴中に遺骨は葬られました。…人…

[寺社] 将軍家霊廟増上寺 (1)−5 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その1

増上寺に係わる話しでは、複雑な歴史経緯からも簡単に終らないのが常でございますが、”江”と”秀忠”の眠る場所でもあり今回は取り上げる事にいたしました。 私は最近書くブログのテーマがお寺さんとか人物の生死に係わる話しが多いのを気に留めておりました。…

[幕末][歴史]  小伝馬町牢、小塚原刑場と市ケ谷因獄の実体

驚きました。先日小塚原延命院の首切り地蔵が蓮の台(うてな)を残し忽然と消滅した光景に出逢いました。実は東日本大震災で左腕が落下し倒壊の危険から解体修復工事を始めたのです。花崗岩27個を積み上げ寛保元年(1741)に建立された、このお地蔵様…