[寺社] 将軍家霊廟増上寺 (1)−5 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その1

増上寺に係わる話しでは、複雑な歴史経緯からも簡単に終らないのが常でございますが、”江”と”秀忠”の眠る場所でもあり今回は取り上げる事にいたしました。
私は最近書くブログのテーマがお寺さんとか人物の生死に係わる話しが多いのを気に留めておりました。高齢者特有の意識?が多少でもあるのかとも考えましたが、明治期以前の時代をリードした人物の生死とは、…即ち自らに従わざる者の生を奪う事が自己実現の手段でもあった事に思い当たりました。特にその墳墓の様子にこそ、その人物を実証し、タイムスリップできる貴重な遺構と考えています。菩提寺参詣が歴史好きの必然パタンかも知れません。
では、二代将軍徳川秀忠正室お江与崇源院墓所増上寺徳川将軍霊域の経緯です。……今も巨大な三門(三解脱門)が象徴する徳川将軍家菩提寺増上寺は昭和二十年(1945)三月九日の東京大空襲によって壮大華麗な将軍霊廟と共にその大半が灰燼と帰します。敗戦後の霊廟廃墟は将軍宝塔(墳墓)、灯篭などが雑草に覆われて空しく佇む姿が続きますが、昭和三十三年(1958)に敷地売却による大改葬が行われ墳墓宝塔は現在位置に集約改葬され、跡地は瀟洒な東京プリンスホテルに一変しております。
増上寺本堂の北裏に在る改葬後の徳川将軍霊域入り口唐門は青銅の鋳抜門で六代将軍家宣廟の焼け跡に在ったものです。樹木につつまれた霊域内は石造、青銅造りの各将軍宝塔が並び正面右側は二代将軍秀忠の宝塔から七代家継、九代家重、十二代家慶です。正面左側は六代家宣宝塔があり、14代家茂、和宮、正側室子女の合祀宝塔が並んでおり総てが旧霊廟からの移築です。 ではお江与崇源院は何処に?……詳細は後程にして、失われた将軍霊廟をイメージして頂くには日光東照宮輪王寺大猷院が適当ではないでしょうか。ありし日の華麗なる霊廟を語り尽くした文章が残されております。
     
東京プりンスホテル入口並びの七代将軍家継(有章院)廟の二天門
永井荷風随筆集(岩波文庫) 霊廟から
……先ず彎曲した屋根を戴き、装飾の多い扉の左右に威嚇的の偶像を安置した門を入ると真直ぐな敷石道が第二の門の階段に達している。
敷石道の左右は驚くほど平かであって、珠の如く滑らかな粒の揃った小石を敷き、正方形に玉垣を以って限られた隅々に銅の燈籠を数え切れぬほど整列さしてある。第二の門内に這入ると地盤が一段高くしてあって第一と同じ形式の唯だ少しく狭い平地は直ぐさま霊廟を戴く更に高い第三の乃ち最後の区劃に接しているのである。
此処にはそれを廻る玉垣の内側が他のものとは違って、悉く回廊の体をなし、霊廟の方から見下ろすとその間に釣燈籠を下げた漆塗の柱の数がいかにも粛々として整列している。
霊廟そのものもまた平地と等しくその床に二段の高低がつけてあるので、もしこれを第三の門際よりして望んだならば、内殿の深さは周囲の装飾と薄暗い光線のために測り知るべくもない。……

霊廟の内部拝殿では……先ず案内の僧侶に導かれるまま、手摺れた古い漆塗りの回廊をすぎ、階段を後ろにして拝殿の堅い畳の上に坐って、正面の奥遥には、金光燦爛たる神壇、近く前方の右と左には金地に唐獅子の壁面、四方の欄間には百種百様の花鳥と波浪の彫刻を望み、金箔の円柱に支えられた網代形の高い天井を仰ぎ見よ。
そして広大なるこの別天地の幽邃なる光線と暗然たる色彩と冷静なる空気とに何か知ら心の奥深く、騒がしい他の場所には決して味われぬ或る感情を誘い出される時、この霊廟の来歴を説明する僧侶のあたかも読経するような低い無表情の声を聞け。 昔は十万石以上の大名がこの殿上に居並び、十万石以下の大名は外なる回廊に参列して礼拝の式をなした。
かく説明する僧侶の音声は(言語の意味からではない。)如何によく過去の時代の壮麗なる式場の光景を眼前に髣髴たらしめるであろうか。……
特に状況描写に長けた永井荷風をしてさえこの霊廟は次のように述懐させております。
……自分の目の前に広がっている世界はあまりにも荘重美麗である。自分はただ断片的なる感想を断片的に記述する事を以って足れりとせねばならぬ。……
文章冒頭の「彎曲した屋根を戴き、装飾の多い扉の左右に威嚇的の偶像を安置した門」とは7歳で夭折した七代将軍家継の有章院廟の二天門で現在も東京プリンスホテル前の日比谷通りにあります。お江与の方は寛永三年(1626)に亡くなり増上寺に初めて徳川廟墓が築かれる事になりますが場所は東京プリンスホテル本館玄関前附近に高さ5,15mの巨大宝篋印塔と霊牌所が設けられました。以後この一帯は増上寺北墓地として上記各将軍、正側室の墳墓、霊牌所が順次建ち並び華麗な建築美をきそっておりました。
では秀忠の墳墓は何処にあったのか?、…現在の東京プリンスパークタワーの敷地が元増上寺南墓地で台徳院宝塔と霊廟があり、空襲で焼失しましたが、増上寺三解脱門の先、田町方向には台徳院廟惣門が残されております。では次回は霊域売却による発掘改葬の様子です。。……次へつづく

徳川将軍家霊廟増上寺》 
(5) 増上寺将軍霊廟宝塔の行方と清瀬市長命寺 
(4) 狭山不動寺の将軍家甕棺は何方のか 
(3) 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その3 
(2) 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その2 
(1) 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その1