将軍家

埼玉県行田市(3)久能山から日光へ家康公霊柩遷座と行田

本題の前に、毎週ドラマ「陸王」を楽しんでいるてまえ、足袋に係わる思い出を手繰ってみました。………昭和も十年代、東京のちょっとした商店街には必ず足袋屋さんが商いをしており、子供心の記憶に残る店内はカラフルな子供用別珍の足袋やら、白足袋、黒足袋な…

[将軍家] 将軍家霊廟増上寺 (4)−5 狭山不動寺の将軍家甕棺は何方のか…。

南北朝の話に拘って参りましたが一寸一服、アットランダムを発揮して今回は西武球場前の狭山不動寺の参詣です。 photo…二代将軍徳川秀忠、台徳院霊廟に在った勅額門、後水尾天皇書このお寺の由来は昭和20年の東京大空襲で焼失した芝増上寺徳川将軍家霊廟の…

[寺社] 日光東照宮(3)−4 家康公霊柩到着と初代東照宮の行方

過ってジャパン アズ ナンバーワンと云ったアメリカのエコノミストが居りましたが、将に当時、ライジングサンがハイヌーンへ、…一転、昨今はサンセットの様相となり、技術、経済の凋落は日本国の転換点となりました。 見透かした様に?、近隣国からの領土侵…

[将軍家][寺社]  日光東照宮(2)−4 家康公霊柩遷座の行程

徳川家康公の霊柩が久能山東照宮から日光山座禅院に安置までの行程をみますと、久能山から東海道二宮までは将軍引退後の居城駿府から江戸往還に使用した御成御殿、お茶屋御殿と小田原の城内に宿泊、二宮から北上し日光までの行程宿泊地の主要地点として天海…

[寺社] 日光東照宮 (1)−4 建立 なぜ日光なのか。

先ず、二代将軍徳川秀忠により東照宮が日光に建立された経緯から、始めます。 <日光東照宮の謎 高藤晴俊 講談社現代新書より> ……元和二年(1616)一月二十一日、駿河の田中に鷹狩りに出かけた家康は、その夜にわかに発病し、同月二十五日駿府に帰城し…

[地域][将軍家]  幻の将軍徳川昭武と松戸市 

私の感覚では松戸の町に”過ぎたる物が一つある”と云えるのが、千葉県松戸市の戸定邸と云う国指定重要文化財があります。 この建物は15代将軍徳川慶喜の弟、徳川昭武が明治維新後の明治17年(1884)に建て生母秋庭と住んでいた屋敷で、16代将軍に擬…

[将軍家][寺社] 小江戸川越(2)−2 徳川三代《家康、秀忠、家光》と川越喜多院

明治維新の戊辰戦争のおり、お江戸では彰義隊の上野戦争が勃発、東叡山寛永寺の堂塔伽藍は戦火で焼失します。 広大な跡地は名勝上野公園となり、東京屈指の文化ゾーンとなりました。 現在も公園内には川越喜多院天海僧上の寛永寺開山両大師堂と天海僧正遺髪…

[将軍家] 日光東照宮 (4)−4 徳川家康公の世襲の誤算

中近世日本を支配した武家政治徳川幕府が潰え去ってから144年になります。 曲がりなりにも二百七、八十年、15代に亙る世襲将軍家でありましたが、家康、秀忠、家光の初期三代の隆盛をピークに、あとはお世継ぎにエネルギーを費やすばかりで衰退して往き…

[寺社] 将軍家霊廟増上寺 (3)−5 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その3

寛永3年(1626)崇源院お江与の方霊廟建立で始った増上寺徳川将軍霊廟は明治10年(1877)皇女和宮静寛院が逝去、宮内省の手で14代将軍家茂宝塔に並べて葬られる迄の251年間利用された事になります。昭和20年の東京空襲で焼失、昭和33年…

[寺社] 将軍家霊廟増上寺 (2)−5 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その2

三代将軍家光と大御所さま秀忠が京都二条城に上洛中の寛永3年9月15日お江与の方は江戸城西の丸で亡くなります。遺骸は9月18日増上寺におくられ、程近い麻布我善坊谷で盛大な荼毘に付し増上寺境内に巨大な宝篋印塔を建て胴中に遺骨は葬られました。…人…

[寺社] 将軍家霊廟増上寺 (1)−5 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その1

増上寺に係わる話しでは、複雑な歴史経緯からも簡単に終らないのが常でございますが、”江”と”秀忠”の眠る場所でもあり今回は取り上げる事にいたしました。 私は最近書くブログのテーマがお寺さんとか人物の生死に係わる話しが多いのを気に留めておりました。…

[将軍家][人物][歴史]  家康公逝去と日光移葬

”茶茶、初、江”の浅井三姉妹は織田信長の家臣であった秀吉や家康とはかなり接点が在った様に考えられております。特に”江”は秀忠に嫁するまで四度の婚姻も秀吉の采配にようるもので、徳川秀忠正室となって将軍家光を生し、女児和子は後水尾天皇の中宮として…

[将軍家] 崇源院お江与の方 (6)−7 軌跡の接点 母娘お江与と千姫

東京小石川の伝通院境内、…古びた石柵の奥深くに聳え立つ宝篋印塔(ほうきょういんとう)は将軍秀忠、お江与の方の長女”千姫”の墓所です。 このお寺の境内、徳川将軍家霊域には徳川家康、生母”於大の方”の墓や、三代家光正室、その他将軍家子女の石塔が乱立…

[将軍家][地域] 崇源院お江与の方 (5)−7 大奥御殿、家光御出生の間

戦国の世に幸運、奇跡の女性と云われる”江”崇源院お江与の方の集大成自己実現は二代将軍秀忠正室になった、お江戸の地で完結しております。 何と云いましても徳川各代将軍正室として稀有唯一の存在とは…、「生まれながらの将軍」と自負し、家康公の江戸城整…

[将軍家][歴史][人物] 崇源院お江与の方 (4)−7 お楽しみの切り口春日の局。

前回までは遺構に入れ込んでまいりましたが、…人の世は何処も同じ人間関係があります。 天下の将軍正室”お江与の方”の世に知られる挫折のお話。 その前にいつもの様に回り道、戦国人物物語の切り口のキーワードはその人物の名前から人間関係も読み取れるので…

[将軍家][歴史][人物]  崇源院お江与の方 (3)−7 今に残る霊牌所と各地重要文化財群。

歴史に遺構は付き物です、なにが読み取れるのかが楽しみです!。 今回は鎌倉建長寺に現存する芝増上寺崇源院霊牌所の話しから始めます。この巨大建築物には多くの史実が織り込まれている筈ですから。 その前に、先ずは”お江与の方”崇源院に係る国重要文化財…

[将軍家][人物] 崇源院お江与の方 (2)−7 ”江”幸運奇跡の生涯

前回に続き、東京近郊各地に多数存在する崇源院お江与の方の遺構は歴史そのものと云えるでしょう。 興味のある事には、そこから歴史の一端、徳川将軍家の家格顕示の指向を覗く事が出来るのです。端的な例から始めます。… ”江”は将軍秀忠に嫁しましたが、世嗣…

[将軍家][人物]  崇源院お江与の方 (1)−7 幸運奇跡の生涯

NHK大河ドラマが”江”と呼ばれる女性の話しとして始る紹介番組を何気なく眺めて、崇源院お江与の方の事と気付きます。 実はあのドラマチックな人物のクローズアップは遅きに失した感さえ抱きました。… 昭和20年の東京大空襲により被災廃墟と化した増上寺徳…