[地域] 横浜今昔(1)−6 消えたセンチメンタル

東京都に次ぐ日本第二の都市人口を抱える現代の横浜市のイメージは4〜50年前とは可なり変化し、その昔はイノシシが出たと言う長津田青葉台付近まで広大な住宅街を構成しております。 恐らく横浜市住民の大半は”港ヨコハマ”と乖離したニュータウン横浜市のイメージしかお持ちでないかと思います。……と云う事で私のヨコハマは横浜港周辺の限られた地域のお話に絞られますが、この地域の変化も激しく、今や横浜市の顔である「港みらい地区」や旧新港埠頭の赤レンガ倉庫商業地域、大桟橋(メリケン波止場)。シーサイド山下公園南京町、この一帯のヒンターランドが旧来のビジネス街と輪郭は変わりませんが日本第二の都市らしく近代的で清潔快適、非日常的な貴重な観光資源を存分に提供しております。……

大桟橋(メリケン波止場)の観光船ま、……話は分かったから、つべこべ言わずに早く喋ったらどうだ!……ハイ、ハイ、ハイのお馬さん、と云う事で、では始めます。
どなた様も同じ事だと思いますが、年齢とは皮肉なことに記憶の錯誤、アナクロニズムの根源です、今の若いお方には素晴らしい横浜シーサイドですが、私の愛着したイメージは彼方に消え去って行きました。……淡谷のり子の唄った「別れのブルース」、スリーサンズの「ハーバーライト」、マーロンブランドの映画「波止場」、フランス映画ジヤンギャバン「望郷」、更に古い「商船テイナッシティー」などの世界が過っての港町ヨコハマにも在ったのです。

大桟橋係船のNYK飛鳥
では私の知っている港ヨコハマとの相違から……今の横浜港は高層ビル、ベイブリッジに囲まれた大きなプールの様なもの、貨物船など一隻も見当たりません。……往時の港は埠頭岸壁やブイ係留で無数の貨物船が停泊、バージに囲まれ、それぞれウインチ、デリックのブームがキシミ昼夜兼行の荷役で活気に満ちておりました。港外には入港待ちの船舶が順番待ちの錨泊でした。また、騒音も活況する港の象徴です。タグポートの鋭い汽笛、入港船の投錨鎖の轟音、出港船の楊錨鎖の一定のリズム音、ウインドラスの唸り、本船の汽笛、沖取りバージを数隻曳航する曳き船や交通艇、パイロットランチの排気音や汽笛などが遠く近く輻湊しているのです。特に横浜港は現在の港みらい地区にあった三菱横浜造船所が操業し、リベット音やら船体鋼鈑をカシメ音などが聞こえておりました。……
朝夕はステべ(Stevedore)沖仲仕と呼ばれる船舶荷役労働者が交通艇に満載して日中組、夜業組が上陸や出航して沖のブイ係留船荷役に向かいますので、最寄の岸壁や河岸のポンツーンが賑わいます。この人達は貨物船船倉とバージに別れ積荷をモッコに乗せ本船デリックで積み下ろし船倉積み込み作業です。デリックを操作するウインチマンや積荷検数員などもおります。……

新港埠頭 赤レンガ倉庫
早朝や夕方の灯燈し頃、野毛山下や最寄の酒屋は立ち飲み屋に早替わり、仕事明けの沖仲仕で溢れ、喧騒の夜は更けてゆくのです。…この沖仲仕が寝泊りするする地域の中区は寿町界隈を中心として住民の最大多数が港湾関係者だったのです。が、この人達の生業は或る日突然、あっさり奪われてしまう事態となります。……
さて、それでは横浜がヨコハマでなくなった決定的事態とは、…昔から横浜港はノースピア(瑞穂桟橋)、センターピア(新港埠頭)、サースピア(大桟橋)と戦後新設された横浜一の大岸壁と云える山下埠頭があります。しかし現在はノウスピアはUS、ARMYの専用、大桟橋は観光船の専用バースで、新港埠頭は赤レンガ商業地区に変身、残る新設の山下埠頭は昭和38年(1963)竣工の多数の係船突堤と大倉庫群を運用繁忙しますが、現在は係船貨物船一隻すら見掛ず、”無用の長物”あたかも前世紀港湾施設の保存文化財の如き存在になっております。……
…今では、毎年末の大晦日24時には港内外の無数の停泊船が一斉に汽笛を吹鳴して新年を祝った仕来りも空しい記憶なのかも知れません…
何が?…港ヨコハマを一変させたのか……変哲も無い只の…鉄の箱”「コンテナ」”の出現が途方も無いロジステック革命をもたらし、”港ヨコハマ”の文化も消滅させてゆきました。 ……先へつづく

《港ヨコハマ》
(6) 横浜市の裏窓を覗く
(5) ネイティブ横浜 黄金町 真金町 永楽町
(4) 横浜の下町 中区の今昔
(3) コンテナ革命と街の現象
(2) 時代は終わった!激変メカニズム
(1) 消えたセンチメンタル