[地域][天皇公家] 蔵の街 栃木市(3)−4 例幣使事件と公家の実体

初めに…今回は例幣使街道に係わる話から、前々回の護国寺の三条、岩倉に続いて、序でと云えば恐縮ですが徳川統治時代の形骸化した公家社会の実体の総括としてHP内の重複記事になりますが、整理してみました。悪しからず御願い致します。……
     
栃木市例幣使街道


江戸時代商都として繁栄し、町民文化を育てた街の災厄は毎年日光東照大権現の例祭に必ず栃木宿の例幣使街道を通過する天皇の使者、公家の行列がありました。金紙の御幣を徳川家康公神前に奉納する役目ですが、これが零落した公家の生態を露呈し中山道、例幣使街道の路筋で強請、たかり、祈祷、販売、運搬を兼ねた迷惑集団ですが、片手に菊の御紋、更に一方は葵の御紋をかざし大名行列も道を譲る天下御免の行列だったのです。
宇都宮の中山道”倉賀野”から別れ今市迄の間道が例幣使街道と呼ばれ各宿場にはこの公家行列の実態記録が今日まで残され解明され易い歴史事件なのです。 では、……道中、助郷農民の担ぐ駕籠に乗ったお公家さんが突如みずから駕籠を執拗に揺すり始め揚げ句の果ては駕籠から転げ落ちたりも演出します。 大騒ぎの末は「報告せい」が口癖です。 農民人足から宿場役人に報告させて粗相の揉み消し金を包ませる常套手段なのでした。 この200年余の慣習はたちまち”ユスリ→強請”と名誉ある日本語となりました。 長の道中でホコリだらけの公家が”ぞろっと”した衣装で駕籠を揺ったり、落っこちる仕草はユーモラスでありますが、当時は深刻な迷惑行為なのでしょう。!!
では、一財産出来たと云われる例幣使公家の金儲け手段の記録から。
●御供米…出発前菊の紋章付き袋に少量の米をいれ各地で病気の特効薬として販売する。(用意数量8万袋程度)
●長持ち潜り…天皇の奉納御幣を入れた長持ちの下を潜らせ厄除けと称して奉納金を集める。
●宿場毎の御祝儀集め…難題を掛けられない為に人数分の御祝儀を各宿場から渡す。
●古い金弊を刻んで配る…前年の御幣を裁断して各藩江戸藩邸に持ち込み、家康公御神体として配り奉納金を集める。
●長持ち等の大量運搬…荷物運びの馬、人足の数を幕府に過大申告して上方商人の下り(江戸行き)荷物を内緒で運搬収益を得る。
●幕府から過分の例幣使手当が公家に支給される。
…なお”藤原定家”のえにし冷泉家は例幣使就任回数でトップクラスでした。また岩倉具視の養家先祖、十代岩倉具集も例幣使を務めた記録があります。
京都から日光へ《例弊使コース、日程》
毎年4月1日 京都出発、中山道経由で宇都宮の先、倉賀野(例幣使街道入り口)より玉村−五料−芝−木崎−大田−八木−梁田−天明−富田−栃木−合戦場−渝木−今市(例幣使街道出口)−4月15日に日光東照宮到着です。
帰路は中山道経由、江戸に立ち寄り一商売後に東海道経由で京都に帰っております。総日数は約30日。……
では、更に江戸初期の重大事件へ…、既に疲弊した朝廷の生活は一万石程度の大名並だったと云われ、殿上人の風紀は乱れに乱れ、天皇といえども安閑として居られませんでした。 後宮女官と公家の密通事件が多発する有様で象徴的事件として慶長12年(1607)歴史上も有名な《猪熊事件》が発覚します。 その概要を、かい摘んでみましょう。……主犯格の公家、左近衛少将猪熊教利は立派な官位を持つた天下一品の美男子ですが、多くの公家仲間を誘い天皇後宮女官達と密通を繰り返したとされる事件です。……
激怒した後陽成天皇は猪熊を京都から追放しますが密かに舞い戻り、巷間ささやかれた公家仲間の話を耳にします。 左近衛少将花山院忠長が何んと後陽成天皇の寵愛する女官広橋局(武家伝奏・大納言広橋兼勝の娘)と密通して居る話を聞き及び、されば吾らもと公家仲間と示し合せ再び後宮女官との乱交をエスカレートします。
悪事千里を走る!! ここに至り、猪熊の仕業は天皇の耳に達します。気配を察知した左近衛少将、猪熊教利は九州へ逐電し行方を晦ましました。
遂に後陽成天皇は関係者の逮捕、死罪を徳川幕府に要請し大御所徳川家康に報告が上がりますが、余りの多人数が係わる事件の全貌から、全員死罪を求めた天皇の要望は入れられず、幕府の決定は死罪2名、遠島島流し10名、罷免2名で決着させ朝廷の混乱拡大を防いでおります。 猪熊教利も逮捕され死罪に処せられ、遠島組は硫黄島、新島、蝦夷松前隠岐への流島でした。 この事件は徳川政権の「禁中並公家法度」立法以前の話で、急遽幕府に公家法度を急がせた一因でもあります。 結果は日本史上初めて天皇、公家の職掌行動などが武家政権の統治下に置かれる事に成りました。
この猪熊事件から38年後の正保2年から始った例幣使での公家の素行は、色欲から金銭欲に転化し、街道宿場宿場で下劣な社会悪を実践して見せるのです。 優雅太平の殿上人の生態は一変、「貧すれば鈍する」…平安貴族も清少納言紫式部も真っ青なお話でした。
猪熊事件詳細は→wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AA%E7%86%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6
    次回は栃木の災厄火付け殺戮「天狗党火災」…… 先へつづく… ……前へ戻る

《蔵の街栃木市
(4) 急襲水戸天狗党の放火殺戮 
(3) 例幣使事件と公家の実体 
(2) 惣社町”室の八島”大神神社 
(1) お江戸の時代と蔵の街