[地域][事件事故] 水戸天狗党 (6)−6 栃木宿 凶行の経緯 

栃木市は蔵の街とも云われ巴波川(うずまがわ)舟運でお江戸や関東各地と物資交流で繋がり江戸時代屈指の商都日光東照宮造営にも関連して、技能職人が多数定着していた文化都市でもありました。例幣使街道の道筋や江戸近代の蔵、木造洋館など多数の建築物もたのしめます。 結構広い街ですからその魅力を知るとリピーターに為る可能性もあります。……
       

上)巴波川川筋、下)天狗党総師田丸稲之衛門、総裁藤田小四郎宿泊の定願寺


私はこの街一番の災厄、天狗党の愿蔵火事を現地の人の口から真実を探ろうと考えましたが、芳しい情報は殆ど得られません、郷土資料関係者の方の説明では、明治以来、天狗党凶徒集団も勤皇の志士とされ…「口にしない」「忘れる」、のが最良と考えられていたから。と……。 また茨城県水戸市では文明開化の鉄道開通、蒸気船運行、富岡製糸場開業後の明治8年に至っても公家三条実美発行の勅許を片手に天狗残党が中東アルカイダのテロ同然に手当たり次第の殺戮が横行した異常も、土地の人は口にしません。……もっとも水戸は今でも黄門さまと徳川斉昭藤田東湖天狗党さえも観光資源になっておりますから……。
ま、余計な事を云っていないで話を進めます。……
前回の続き天狗党中隊総長田中愿蔵が再び栃木宿を急襲軍用金強奪に失敗栃木宿に放火殺戮蹂躙の顛末へ……元治元年5月30日大平山から旗揚げの地、筑波山に再転進の天狗党一統は隊員の慰労で栃木宿に一泊、山中立てこもりの水食料など生活品運搬の使役面倒を街の協力を得た礼金なども支払い6月1日出立しました。翌日結城藩城下町に宿泊、早速城代家老を脅し藩士天狗党一統への差出加盟を強要、不服とあらば街並みに放火し城下街壊滅と恐喝、人員を補充しております。更に隣接壬生藩への恐喝は護りが固く失敗、残るは油断させ温存して置いた栃木宿から行き掛けの駄賃に大量軍資金強奪計画が中軍田中愿蔵総裁率いる天狗党隊員に課せられ急襲が6月5〜6日に実行されました。

足利藩栃木陣屋跡(裁判所西隣り)
6月5日栃木宿東木戸(現、栃木市文化会館北と栃木簡易裁判所南の道筋)に天狗党中隊総長愿蔵が現れ、法螺貝、陣太鼓、鐘を打ち鳴らし侵入します。先ずは冷酷取立て集団のアピールとして町民の無礼討ち、商家に侵入、娘を殺戮血祭りにあげます。商都は一変恐怖の巷となり、一報を受けた栃木陣屋(足利藩)は近隣吹上藩から50名の藩士の応援と猟師鉄砲隊を編成で防備を固めます。…料理屋、宿屋に上がった隊員はひと際酒宴で騒ぎ深夜丑三つに突然隊員は豪商宅を叩き起こし家々に数百両から数千両の軍用金を強要明朝までに持参を命じます。 また大平山立て籠もりで目星を付けていた山田村の名主宅を急襲500両を恐喝しております。しかし翌朝約束の金子持参の栃木宿商人は居りません…そこで田中愿蔵は考えた!、個々の商人相手では時間の無駄、陣屋役人を呼び出し軍用金一万五千両差出を命じますが、回答に現れた役人は何んと鉄砲、槍で武装吹上藩士に護られ、暫くの御猶予をと、繰り返すばかりで引き揚げて行きます。 無力の筈の栃木陣屋の戦力増強を知り、従来処々での恐喝パタン、街へ放火壊滅の実行を決意し道筋に篝火を焚かせ家々には薪を積み油を用意して最後通告一万両まで値下げ徴集の提案をしますが一蹴され、逆上した隊員は抜刀切りかかります。遂には陣屋の門が開き大砲の発射と藩士、猟師の鉄砲射撃を見舞われた田中愿蔵は放火を開始し更に消火する者の切捨てを命じ例幣使街道上町、中町、下町は全焼させて、凶徒天狗党田中愿蔵一味は小山方面に去ってゆきました。 凶行跡は蔵にも火が入り切捨てられた人々が散乱していといわれます。……

現在の栃木市のメインロードの旧街道は近代的な広い道で、私などは区画整理の結果と考えておりましたが、江戸期より栃木宿例幣使街道は当初は道の両側に用水路、その後街道中央に一本の用水路を流しており、既に広い道だったようです。
その後、天狗党の軍用金徴集強行が世情の恐怖と非難の的になると天狗党一番の敏腕徴集人田中愿蔵は天狗一統の悪行総てを背負わされトカゲの尻尾切りよろしく除名されました。 一転、逃亡資金強奪を目的に愿蔵隊は安易な金集め行脚?、放火殺戮を繰り返して最後は、現在の日立市役所の南、浜街道”助川”の小さな海防城に難なく入城を果たしたのも束の間、幕府軍の追討きびしく助川城に放火脱出、放浪し、赤沢銅山(日立鉱山の事)に現れ資金強奪に失敗、設備に放火し山中に逃げ込みました。
道無き山中を放浪、驟雨、露滴、疾風に耐える過酷な逃亡者田中愿蔵隊200名は久慈川上流茨城県の最北端八満山に逃れ観音堂に立て籠もりますが、遂に窮し隊の分散逃亡を選び下山、結末は…その殆どが捕縛壊滅します。田中愿蔵は真名畑村に逃れ、捕縛され塙(花輪)陣屋に送られ獄門逆磔に果てました。
《田中愿蔵仕置きの捨札》概要
田中愿蔵と申者十月三日四日両日獄門……放火家財奪取人々を斬殺剩公家人数え敵対致候等の始末人道を失ひ大逆無道依而右罪守生に候へば上下町中引渡晒の上逆磔に可申付処打取り候もの也。  
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《水戸天狗党
(6) 栃木宿 凶行の経緯
(5) 栃木市の痕跡 太平山
(4) 水戸藩2足の草鞋で悲惨へ
(3) 自滅 飛んで火にいる夏の虫
(2) 尊王水戸藩の真実
(1) 天網恢恢 田中愿蔵始末記