[歴史][地域] 安政の大獄(4)−5 小伝馬町牢の露と消える

小伝馬町牢跡地の遺構は中央区日本橋小伝馬町にあり、十思公園、十思保育園(旧十思小)と大安樂寺、身延山別院など一帯に存在し大安楽寺門前には御椓場(おたくば)こと打首場、更に云えば斬首場跡の石碑が歴史の在りし日を物語って居ります。 この十思公園には牢屋敷跡の遺構としてこの地で斬首された吉田松陰の句碑などもあり略図から牢屋敷のレイアウトなどがイメージできますので、御参照ください。 


なお、この略図は明治生れの女流劇作家長谷川時雨の父で代言人(弁護士)の渓石が書いた牢屋敷図を概念として作成しました。彼はお玉ケ池千葉道場門下の剣士で維新には江戸城管理などの役人だった人ですが、その縁でお上から小伝馬町牢の跡地の一部道筋を割譲するご沙汰を辞退しております。 ……その理由とは、
「あそこはな、不浄場といっていたが、悪い奴ばかりはいなかったのだ。今と違ってどんなに無実の罪で死んだものがあるかもしれやしない。おれは斬罪になる者の号泣を聞いているからいやだ。
逃れよう、逃れようという気が、首を切られてからも、ヒョイと前にでるのだ。 しでえことをしたもんで、後から縄をひっぱっている。前からは、髷をひっぱって、引っぱる。いやでも首を伸す時に、ちょいとやるんだ。まあ、あんな場所はほしくねえな。」……


photo…大安楽寺小伝馬町牢打首場跡石碑


<明治百話 篠田鉱造 岩波文庫より>
…さらに、斬首する側の話を調べますと、明治最後の首斬朝右衛門こと山田朝右衛門八世の吉亮の話では父吉利、七世朝右衛門は安政六年十月七日に当地御椓場で頼三樹三郎を斬り、同月二十七日吉田寅次郎(31歳)を斬首しており、松蔭の辞世「親を思ふ心にまさる親心けふの音信(おとずれ)なんと聞くらむ」をよく父から聞かされたそうです。
朝右衛門八世自身の述懐は……主に明治新政府後の断罪者を斬っているようで、雲井龍雄米沢藩士)に始まり大久保郷襲撃の島田一郎、長連豪など、夜嵐おきぬ、高橋おでん、岩倉具視を討ち損ねた武市熊吉、武市喜久万、島田直高など九名、その他刑事犯など多数に及びます。 
朝右衛門の斬首の作法は……人を斬る呼吸ですな、これはとても一朝一夕にお話は出来ませんし、先祖伝来の秘伝もありますが、もとより万物の霊長の首を斬るのですから、気合呼吸、こいつに真念覚悟という事が何より大事なのです。……引き出された罪人は白紙を半分に折って顔を覆い、荒莚(あらむしろ)の上に座らせ、介錯縄取りの人足三名を使い罪人を左右から押さえる者、後ろからは罪人の足の拇指を握る者…すると首が前に出る……
用意万端が整って、よろしいとなると、いきなり罪人の側へ出まして、ハッタと睨み付け一歩進める。途端に柄(つか)に右手をかけます。…この時涅槃経の四句を心の中で誦むのです。第一柄(つか)に手をかけ、右手の人差指を下ろす時「諸行無常」中指を下す時「是生滅法」無名指(くすりゆび)を下す時「生滅滅巳」小指を下すが早いか「寂滅為樂」という途端に首が落ちるのです。 弟子達が、先生のお斬りになる時は、いつも奇麗すっぱりと斬るが……実をいいますと、始めのうち斬ります時には眼が眩んで四辺(あたり)が真暗になり唯一筋の刃光がキラリとひらめいて斬った時始めて眼が覚めます。…数を重ねて参りますと、今度は四辺もはっきりして、罪人が婦人(おんな)だと後(おく)れ毛が風にゆらいでいるのまでよく見えて来ます。精神作用とでも申しましょうか、これはちょっと不思議です。
…手前や弟子なぞでも人を斬って帰って来ますと、どういうものか顔がボーッと逆(のぼ)せて、大変な疲れを覚えます。一ト口に血に酔う、とでもいうのでしょうか、とにかく妙な気持ちです。そんな時には、父から徹夜(よどうし)の宴(さかもり)を許されるので、若い弟子達は底を抜いて騒いだものです。 これを世間の人が曲解して朝右衛門は怨霊に悩まされて睡れないため、ああして夜通し騒いでいるのだと伝えたものでしょう。……

御椓場の露と消えた人の最後……内務郷大久保利通を襲撃殺害した…島田一郎は愈々刑場に引出された日の扮装(いでたち)は黒紋付の単衣で、三ヶ月間の入牢ゆえ髭は茫々と生えきらきらする眼光は、俗に一癖ありげな人物でした。牢を出る時、大声で「愛国の諸君お先へ」と怒鳴りましたが、これは布で目隠しをされてあるし、共々刑に処せられることを知らなかったからです。……
…島田一郎に向って、「何か申し残す事でもあれば」と、辞世の詩歌か何かあるだろうと思って問いましたが、「この期(ご)に及んで申遺す事はない」とあったのでいかにも無造作に斬って棄てました。 島田も島田でしたが、感心したのは長連豪と云う人、例によって、「何か申遺すことは」といいますと、「北方はどちらでしょう」と問うので、その方角を教えてやると、手前の指差す方に、しきりと三拝九拝して、「北方は故郷で、今尚母上がいられる」というのです。いずれは先立つ不孝を詫びたのでしょうが、心がけには実に感心しました。……
島田一郎一統は明治政府高官の権力専横五罪を告発しています。
【1】国会も憲法も開設せず民権を抑圧している。
【2】法令の朝令暮改が激しく、また官吏の登用に情実・コネが使われている。
【3】不要な土木事業・建築により国費を無駄使いしている。
【4】国を思う志士を排斥して内乱を引き起こした。
【5】外国との条約改正を遂行せず国威を貶めている。 

話しは戻りまして、安政の大獄連座小伝馬町の御椓場(おたくば)で斬首された人物…
吉田松陰………長州毛利大膳家臣、斬罪
橋本左内………越前松平慶永家臣、斬罪
頼三樹三郎……京都町儒者、斬罪
鵜飼吉左衛門水戸藩家臣、斬罪
鵜飼幸吉………水戸藩家臣、獄門
茅根伊予之介…水戸藩士、斬罪
飯泉喜内………元土浦藩士・三条家家来、斬罪

参考資料→「明治百話」篠田鉱造 岩波文庫
       「旧聞日本橋長谷川時雨 岩波文庫

次回は吉田松陰処刑後の経過と松蔭神社  ……先へつづく…  ……前へ戻る

安政の大獄
(5) 冥界小塚原刑場と松陰神社の経緯
(4) 小伝馬町牢の露と消える
(3) 徳川幕府の鉄槌下る
(2) 水戸藩徳川斉昭の画策と将軍継嗣争い
(1) 桜田門外事件起因と過程