[歴史] 安政の大獄(1)−5 桜田門外事件起因と過程
秋雨のおかげで炎暑を逃れ一息つきました。早い秋の訪れならば気に為る歴史遺構の探訪に出かけたいのです…が、他人様からば高齢者の徘徊ではと見られるかも? …それも仕方ない事、区別はつかないと思われますから。 ……
…今回のテーマは幕末最大のターニンポイントとなった過激事件として今でも語られていますが、その正義はどちらの側にあるのか?、戦前思想では、安政の大獄の要因、水戸藩とその尊王主義を支援する雄藩の行動、またこの件の幕府決着への報復テロである桜田門外事件などは尊王の志士の義挙と賞しておりました。…一方舟橋聖一さんの小説『花の生涯』などとか、戦前思想の影響のない方々には日本開国、近代化の功労を指摘する向きも居られるでしょう。 私自身は国粋神国日本の学校教育を受けましたが、戦後になり余りにもひどい歴史や宗教の改ざん、捏造を色々な場面で知る事になり、お上は信頼できず、おこがましくとも歴史は自分なりに勝手に考える事にしております。……
さて、歴史事件の発端とは、かなり遡ったところに根源が存在しそうです、今回も水戸藩の行動、思想や、それを規制した幕府側は統治の根幹に法度があり単刀直入バッサリと決着は無理、話は長引くかも知れません。 悪しからず……
どちらに与して考えるかで事件の判断が変わる典型的なケースでしょう。 先ず幕府大老井伊直弼の行動規範は徳川家康公制定の幕府の憲法”武家諸法度”、”禁中並公家法度”の忠実な執行です。一方、神祖家康公の差し置かれた官位封土を頂戴して俗恩する水戸や尾張藩及び雄藩側の行動が尊王思想に頼り将軍に反抗する事態となったのは、なぜか?…三代将軍徳川家光就任時の『有名宣言』が御三家の尾張徳川家と水戸徳川家などを刺激し将軍家と対立する根源的な切っ掛け、また江戸期隆盛した国学者の影響が見えるのかも知れません。
では三代将軍家光就任の宣言とは…
<三田村鳶魚著 ”お家騒動” 三田村鳶魚全集4> 中央公論より
「大猷院(家光)御治世ノ初メニ、国主ノ面々ヲ悉ク呼バセ玉ヒ仰セ渡サレ候、大権現(家康)様天下ノ草創ハ各ガ助力ヲ以テ平均シ玉ヒ、台徳院(秀忠)様ニモ同ジク、昔は各傍輩ニテ御アシラヒ客分ニテ丁寧ニナサレ、参勤ノ刻ハ品川千住迄、上使ヲ遺ハサレシ事ナリ、然ルニ我代ニ及ビテハ、生レナガラノ天下ニテ、今迄二代ノ格式ニ替リ、向後ハ各モ譜代ノ大名ニ同ジク某(それがし)ガ家臣ナリ。コレニ因テ諸事アシラヒ、家臣同然ノ趣タルベク間、此段相心得ラルベシ。 若又会得セザル事ナラバ、如何様トモ了簡アルベシ、在所ヘ帰国ノ節、三年迄ハ罷在テ苦シカラズ、其間ニ徳ト勘へ思ヒ立ツコトアラバ、勝手次第タルベシ、但シ此参府交代ノ節ハ、屋敷迄ニ上使ヲ遺シ候ベシト仰セラル、各アット平伏セリ。」(責而者草)
と織田信長を髣髴させる処断で徳川将軍家の御三家、分家の国主に対し主従の関係たる将軍家臣としての分限を明確にしました。
しかし、父家康に従い関が原を戦い覇権を共にした叔父の尾張藩主徳川義直は家光への怨念は激し、公然と幕府に叛旗を翻し家訓の遺言「徳川義直の口伝”円覚院様御伝十五箇条”」を子孫に残しました。その中の核心一部分が以下です。
……一天下の武士は皆公方家を主君の如くにあがめかしずけども、実は左にあらず、既に大名にも国大名といふは、小身にても公方の家来あしらひにてなし、又御譜代大名は全く家来なり、三家の者は全く公方の家来にてなし。今日の位官は朝廷より任じ下され、従三位中納言源朝臣と称するからは、是は朝廷の臣なり、然れば水戸の西山(光圀)殿は、我等が主君は今上皇帝なり、公方は旗頭なりと宣ひし由、然ればいかなる不測の変ありて、保元、平治、承元、元弘の如き事出来て、官兵を催さるる事ある時は、いつとても官軍に属すべし、一門の好(よしみ)を思うて、仮にも朝廷に向うて弓を引くことあるべからず、……
一方、水戸徳川家始祖徳川頼房は家康の十一男ですが、正室を持たず子作りに忙しい方で十一男十五女を生し、更に明確に言えば側室が懐妊すれば”水にせよ”が口癖で側室久子の光圀懐妊でも、家来が密かに出産させたものです。この二代藩主徳川光圀の将軍家への怨念『我等が主君は今上皇帝なり、公方は旗頭なり』とは何が言わせたのか?…、御三家や外様雄藩に比べ最低の石高、官位の待遇です。
【御三家】
尾張徳川家 61万石 大納言
紀伊徳川家 55万石 大納言
水戸徳川家 25万石 中納言
【外様大名】
加賀前田家 100万石 中納言
薩摩島津家 77万石 中納言
仙台伊達家 60万石 中納言
当然将軍家継嗣候補選択の場合は圏外の立場ですし尊王に走る根源とも考えられます。…家康が熟慮した将軍補佐役の御三家創設は紀州家を除き尾張、水戸家は徳川幕府獅子身中の虫と化したのです。 この二藩の頼みとした将軍揺さぶりの道具が”尊王論”で各場面でイヤガラセをしました。… が、二藩が超えられない重しの役目が「武家諸法度」「禁中並公家法度」の二大法度(憲法)です。各代将軍就任の儀では藩主諸侯を集め読み聞かせておりました。……既にお気付きかも知れませんが、事件の主役幕府大老井伊直弼の行動規範になっており、よく言われる安政の大獄は感情的、報復的のみで行なわれたとは一概には云えないと思います。 次回は更に深みへ…
……先につづく…
《安政の大獄》
(5) 冥界小塚原刑場と松陰神社の経緯
(4) 小伝馬町牢の露と消える
(3) 徳川幕府の鉄槌下る
(2) 水戸藩徳川斉昭の画策と将軍継嗣争い
(1) 桜田門外事件起因と過程