[地域][探訪] 築地 月島 (5)−6 築地居留地界隈探索

先ずは聞いて下さい。
”夢淡き東京” <JASRAC関係作詞を削除> 
 
    
            

旧聖路加病院とエンブレム
”夢淡き東京” サトウハチロウ/古関裕而/藤山一郎さん。…何もゼネレーションで差別をしようと考えている訳では御座いませんが懐かしいと思われるお方は限られているのが現状でしょう。…今回は旧聖路加国際病院界隈です。
いつもながら、多少古くなった世代の気分を発散させて頂けませんと先には進めない事になっております? 悪しからずお願いします。
私にはさして昔とは感じませんが、敗戦後の昭和22年アメリカ占領時代の流行歌です。 当時の東京の実態は焼け跡のバラック生活、社会の方向性さえ立たず闇市、闇商売の時代でした。同時代の歌に東京ブギウギ、フランチェスカの鐘、銀座カンカン娘、星の流れに、など。 この頃は聖路加病院は進駐軍に接収されて居り、銀座通りもアメリカ軍G.Iで溢れ裏通りはバラック建て、歌詞の実態は現実と乖離したセンチメンタルな願望だったのです。…
…戦前の象徴、聖路加病院の現在は旧地より隅田川河畔に移動、超高層の近代建築で東京屈指の先端医療機関ですが、貴重な旧病院は付属施設として奇麗に保存されております。さすがに現代では高層建築乱立で過っての青空にそそり立つ聖路加の十字架も目立たない存在になりましたが。…この界隈は明治の外国人居留地跡です。今では都心部に残された探索スポットでもあります。
先ずは旧聖路加構内と周辺を一周しますと興味深深、色々遺構跡碑などが見つかり探訪者を想像の世界へ導くのです。……旧聖路加病院は外国人が佇めばよく似合いそうな広大なアメリカンの文化財、入り口周辺は公園のような趣で樹林のはざ間には旧牧師館などもあり、更に歴史的な遺構、アメリカ合衆国の公使館(大使館)時代の石のモニュメントの存在です。聖路加病院以前の居留地時代の明治7年(1874)から明治23年(1890)まで米公使館がこの地にありました。以後現在の赤坂へ移転しており、ハリスの下田、東京麻布を経て築地には16年間所在していたのです。
前庭の旧牧師館への道に3基の公使館記念石造モニュメントがあります。閑静な本館前庭園の入り口から外周道路を右回りに一周しましょう。

    
            


上)アメリカ公使館記念エンブレム
下)慶応義塾発祥地記念碑

正面入り口の右のブッシュの中には聖路加の巨大モニュメントと女子学院発祥の記念碑、更に先の交差点右角に福沢諭吉慶応義塾発祥記念の一画があります。 しかし居留地開設前の安政5年中津藩主奥平大膳大夫中屋敷内に諭吉が蘭学塾を開設したもので外国人居留地文化より一時代前の事になりす。 更に周回途中、立教学園の発祥記念碑などがあり、正面真裏では、ゆっくりと建物を観察してください、立派な入り口が在った事が窺え、その昔十字架塔屋裏が聖公会の礼拝堂入口であった事が分りました。
一周最後の附近には忠臣蔵で有名な赤穂藩浅野家上屋敷芥川龍之介の生家跡の記念碑があり、何んと龍之介の生家はこの地で酪農牧場を経営していたそうです。!……
その他周辺は多数のミッション系学校の発祥地でも在り現在も雙葉学園を創始したカソリックの築地大聖堂なども近くです。 特に文明開化の時代に築地居留地のクリスチャン発信の文化は優れた遺産として残されました。 ……英和辞典、ヘボン式ローマ字、指紋識別法、西洋先端医療、近代的子女教育などがあります。
さて、江戸はすでに幕府により開国されておりますが、御一新の明治元年には築地明石町は外国人居留地として発足、幕府勘定方島会所を引き継ぎ東京築地運上所(東京税関)も発足…、が外国商館、外国商社海運など地域経済は発展せず僅か30年で幕を下ろしました。反面外国宗教団体の布教拠点としての絶好のロケーションで世界からキリスト教関係者の在日拠点となり先進文化の発信地となりました。
では、お江戸東京という日本の中枢都市に外国貿易関係者が進出しなかった理由とは?、一見お江戸は穏やかな海と運河を廻らせ物流倉庫(蔵)群などインフラが完備された広大な市場ですが、肝心の外国貿易船は江戸前に入港が出来ないのです。…なぜか?、荒川(隅田川)の運ぶ土砂で水深の浅い海なのでした。 この状態は昭和20年代までつづき、6千トン以上の船舶の東京港での荷役は稀でした。私は当時中型船が潮汐を計り入港して荷役終了後バラストを入れず、浅い喫水で丸出しのプロペラーをパタンパタンと回転させ出港してゆく珍しい光景を目撃しております。…… 港湾都市として発展した神戸、横浜の立地とは違っていたのです。 ……先へつづく… ……前へ戻る

《築地 月島》
(6) 勝どき橋界隈
(5) 築地居留地界隈探索
(4) 築地本願寺
(3) 築地と帝国海軍発祥の地
(2) 江戸遺構 佃島、石川島の今昔
(1) 月島佃島歩行案内