[歴史] 昭和は日々に疎し(5)−7 敗戦後の 国民を裸にした…新円、預金封鎖、財産税法、

前回に引き続き、昭和21年(1946)2月の金融緊急措置令による新紙幣発行による預金の封鎖と3月3日以降は旧紙幣の無効と新円発行が始まりますが、毎月世帯主300円、世帯員は1人各100円を限度として預金引き出しが許可されました。…即ち国民の財産は一時、国により差し押さえられ支出も制限されたのです。…国民各自の財産データを政府が掌握いたしました。…政府の意図する最大の目的は臨時税としての財産税徴収でした。
では、ハイパーインフレを加味した高額課税で国民の財産が合法的に収奪される過程に入ります。…即ち国の借金を国民に肩代わりさせる手段とは、…昭和27年(1947)11月には財産税法を公布し,10万円以上の財産を保有する個人に課税されることになりました。 ……以下がその課税率です
10万円超→11万円以下 25%          30万円超→50万円以下 60%
11万円超→12万円以下 30%          50万円超→100万円以下 65%
12万円超→13万円以下 35%          100万円超→150万円以下 70%
13万円超→15万円以下 40%          150万円超→300万円以下 75%
15万円超→17万円以下 45%          300万円超→500万円以下 80%
17万円超→20万円以下 50%          500万円超→1,500万円以下 85%
20万円超→30万円以下 55%          1,500万円超→90%

それでは具体的な話へ、…当時の10万円(現、換算額4000万円)が3年後の昭和23年(1948)預金封鎖は解除されましたが、この大金が持ち主の手許に返って来たのでしょうか?……
解りやすく実在した有名人の実話を御紹介いたします。………

ご年配のお方は先刻御承知の短歌の歌人、青山脳病院長で有名な斉藤茂吉の次男斉藤宗吉ことペンネーム「北杜夫」さんの軽妙洒脱な著書「ドクトルマンボウ青春期」に敗戦直後の父茂吉像を述懐した記事があります………以下…… インフレはますます激しくなり、なにより預金封鎖のため、本当はまずまず金に困らぬ身分であったはずの私の家も、月々定められたわずかな引き出し額で暮らさねばならなくなった。
父はもっと単純であった。元来が彼は貧乏性で金銭に無知で、病院も家も焼けたため、相当の金を持っているくせに、今にも一家が路頭に迷うかのような幻想を抱いていた。………隠し持った金だの稿料だのを疎開先の押入れの布団の下にぎっしりと押しこみ、貧乏の涯のごとく暗澹とした顔をしていた。そこへ新円切りかえで、このままにしておけば旧円は使えなくなるというニュースである。彼はおそるおそる布団の下の札束を数えてみた。十万円もあった。………

茂吉はタンス預金が紙屑になるのを避ける為に仕方なく銀行に預金するわけで、疎開先から東京の銀行へ10万円の運び役にマンボウ氏がなっています。
………その10万円の札束をしっかりと胴巻きに納め、東京まで運ぶ役割をした。周囲の人間がすべて盗賊に見えた。………首尾よく銀行口座へ預金し、旧紙幣の紙屑化を逃れましたが、お上にとっては秘匿していた個人の財産が確認出来たのです。………臨時徴収の財産税を課税いたしました。……上記課税率表を参照しますと10万円超→11万円以下 25%です。…が、第二封鎖預金は昭和23年(1948)7月に封鎖解除されたので納税する訳ですが、その時点でハイパーインフレ進捗による通貨価値の下落を勘案する事になります。…インフレ指数……昭和21年(1946)1.6 倍  昭和22年(1947)10 倍  昭和23年(1948)32 倍 が示され、封鎖期間の3年足らずのインフレ率概算を約40倍と致しますと、……納税後手許に残った75.000円の通貨価値は1/40の実質1.875円の購買力しかありません。
………因みに 100万円の預金は税率70%ですから300.000円へ、インフレ指数40倍として納税後は7.500円の購買力しか残りません。如何でしょうか……その間政府はハイパーインフレの恩恵で国の借金は1/40に実質軽減しているのです。
このハイパーインフレ下の一連の操作で国の負債は国民が負担し、裸同然になったのですが、流通紙幣の減少と更なる購買力の低下でハイパーインフレは一時沈静化したのです。が?………パイパーインフレに味を占め、自信をもった政府はまたまた財政裏付けの無い日銀券を増刷しばら撒き始めます、 ま…戦後復興という工業、農業、インフラ整備の資金源ですが、再びハイパーインフレの猛威は復活しました。

昭和20年(1945)1 倍を基準  昭和24年(1949)73.6 倍  昭和25年(1950)88.3 倍 昭和26年(1951)114.8 倍
また、端的なな視点としては昭和21年の臨時税の財政税法は旧憲法下の社会体制崩壊を一気に加速させ、民主主義と自由主義経済体制を確立する目に見えない力となっているのです。

…即ち、この金融緊急措置令には民主主義を標榜するGHQマッカーサー司令部の経済政策(戦時利得の除去及び国家財政の再編成に関する覚書)の実践が背後に見えてまいります。……国の主権者で神聖だった昭和天皇から何と、一般国民と同様に財産税(臨時税)昭和21年の税額…33億4268万円が徴収され納税しており、皇族の臣籍降下華族の凋落やプリンスホテルチェーンの出現、財閥解体へ相乗的ダメージなど、数知れない影響を社会へ与えております。   ……以後の経緯は次回になります。…
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《昭和は日々に疎し》(7)−7 歴史は繰り返す。財産税法とナンバー制度   
(6)−7 財産税法(新円発行、預金封鎖)社会へのリアクション
(5)−7 敗戦後の 国民を裸にした…新円、預金封鎖、財産税法、   
(4)−7 敗戦後の生活、新円発行と銀行預金の封鎖で…
(3)−7 敗戦後の生活と経済
(2)−7 昭和は日々に疎し 家庭の生活
(1)−7 日本国と覚せい剤