[歴史] 日本国(2)−7 昭和は日々に疎し 家庭の生活

今年の寒さは一入身に沁みます。外出も侭ならず、遥か来し方戦前戦後の昭和の回想に耽ってみました。先ず子供の頃に在った家庭用品、備品、衣類、など身近だった物が既に姿を消したか、…稀な存在の品々を思いだす儘にピックアップして見ました。……昭和は遠くになりにけり。…

靴箱の中、玄関や勝手口に脱捨てられていた履物………下駄、草履,足駄(雨天などに履く薄い歯の高下駄で付け替えが出来る、婦人などは爪先に爪皮と云うカバーを掛けて使用した)旧制高校生や若い男の学生などは高下駄の歯が厚い朴歯(ホウバ)を常用する者も多かった。その他に日和下駄(ひよりげた)とは足駄の歯が低く日常でも履いた。永井荷風の傑作随筆で散歩のバイブルとも云われた「日和下駄」の冒頭には……人並みはずれて丈が高い上にわたしはいつも日和下駄をはき蝙蝠傘を持って歩く。いかに好く晴れた日でも日和下駄と蝙蝠傘がなければ安心がならぬ。……
座敷を見回すと………火鉢、中の灰には五徳と呼ぶ金属製の鉄瓶置きが在ったりする。時計は振り子式の柱時計(ボンボン時計)が定番、電灯笠には 二股ソケット松下幸之助さん発明の大小電球併用)、真空管ラヂオは五球スーパーヘテロダインや、四球再生式は増幅するとピーピー発振したりした、古いものはスピーカーの無いラッパ型の拡声器を付けたもがあった。家庭用の蓄音機は手動式ポータブル蓄音機が普通。夏になると団扇(ウチワ)は座敷の備品、夜は蚊帳(麻糸の粗織り布で四畳半から八畳用など)座敷いっぱいに吊り四隅で留め、蚊帳の中に寝具を敷き団扇など使いながら就寝した。座敷の掃除は座敷箒で柄の長いもの、短いもの、埃落しにはハタキ(細い竹竿に細長い布の束を付けている)備品の定番は蝿叩き(針金製柄に方形の金属網をセット)などでした。

お食事………茶の間の食卓は折りたたみ式の座卓の家が多数、御飯はで炊き、木製の お櫃に移してある、冬季には保温用に藁を編んだお櫃入れもあった。匂い(臭い)で有名な”くさやの干物”なども特に下町などでは一般的食べ物で良く焼いていた。…特に戦時の権力主義時代は父親を家長などと呼ばせる風潮が高まり、食卓のおかずを特別に付ける家庭もあった、変な思想は大人さへも子供レベルにして仕舞うものか?……尤も”子供総理”と呼はれる総理大臣の国もありますが。……

衣類、持ち物、押入れの中。………現代と違い和服着用者も結構いた、特に大人の下着は子供の頃銭湯で好く見覚えた、”ふんどし”は普通たった、…男の定番は、すぐ外れるので有名な越中褌が多数、成人の兵隊検査時での着用下着でM検やキングストンバルブ検査が敏速便利なのです。中には六尺褌の人も居たが、用をたす時は不便ではないかと今でも考えますが、…女性は言わずと知れた腰巻で普段でも和服の人が多かったと云えます。最近新聞で、デパート売り場で越中褌が女性客に人気とかの記事がありましたが、男には、うっかりすると外れ易い筈の越中(一丁褌)に、なぜ御婦人が目を付けたのか?、詳しい事情は知りません。…子供用下着の人気はコンビネーションと称する上下一体の股われ式が流行っていました。……
衣類入れなどに柳行李や竹、藤の素材の大中行李が押入れを占領し、大きな風呂敷(唐草模様)は色々なものを包める重宝なものでした。一般サイズの風呂敷は子供から大人まで買い物や品物の携行に普段も使われていました。田舎の学校では教科書類を風呂敷包みの児童も多かった。…唐草模様の大風呂敷は泥棒さんのコピーの定番で、「手拭で頬被り(ほっかぶり)盗品を唐草大風呂敷で背負い、地下足袋を履いた姿」が人気だったようです。

台所、洗面、浴室………戦前の新興住宅地世田谷区経堂町附近ではガス、水道インフラがなく、台所の水は井戸水の手押しポンプでした。七輪に木炭で炊事、冷蔵庫は木製氷使用の物で昭和16年頃は氷屋が自転車リヤーカーで配達し2貫目程度を買っていたようです。火起こしには大箱徳用マッチが定番使用で、炊飯はどちらの家庭でも お釜でした。…移転以前に使用していた木製ガス風呂桶は昭和20年代でも使えず、銭湯を利用し木綿手拭を使用していました。
戦時中の中学生以上の男子は巻き脚絆(ゲートル)は必需で学生は軍事教練用、成人は警防団などで必要。主婦は国防婦人会名入りの白地の(タスキ)が箪笥に入っています。…戦後の昭和2、30年代の男性の調髪剤にポマード、チックが主流でした。テカテカにポマードで固めたリーゼントスタイルや七三分けも流行した時代でした。
敗戦前後昭和24,5年頃までの衣類洗濯は木製盥(タライ)と洗濯板、固形洗濯石鹸利用。…現代の家庭生活と比較して私の母親時代の女性の家事負担は可なりの重労働だったように思われました。往時の台所には味噌、塩、糠漬けや塩干類が多く保存用大中小の瀬戸物壷類が可なり多くあり、料理のだしは鰹節で鰹節削り器(大工かんなの刃を上にして箱にセットしてある)が家庭にはあり、子供も手伝った。
当時の郊外新興住宅地の人気モデルの建物は玄関座敷縁側などの和風住宅の玄関脇に小さな洋風建物を併設して応接間などと称し、現代人気アニメのトトロ風住宅が人気だったようです。
……肝心なものが抜けているような気がいたしましが、今回はここまで
……次回へつづく… 
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《昭和は日々に疎し》(7)−7 歴史は繰り返す。財産税法とナンバー制度   
(6)−7 財産税法(新円発行、預金封鎖)社会へのリアクション
(5)−7 敗戦後の 国民を裸にした…新円、預金封鎖、財産税法、   
(4)−7 敗戦後の生活、新円発行と銀行預金の封鎖で…
(3)−7 敗戦後の生活と経済
(2)−7 昭和は日々に疎し 家庭の生活
(1)−7 日本国と覚せい剤