[産業][地域] 皮革産業木下川 (2)−6 ピッグスキンの将来は…

昨今の東墨田地区の皮鞣業は盛業時の1/10の規模に衰退し路地に活力はありません。この地域でも過って存在した大規模工場が街を去って行った理由と時期とは、……昭和40年代に入り特に公害に対する規制の強化と地域的なインフラの不整備や、旧態からの路地裏産業とは有機的関係がなく、立地条件の良い地方への移転などが原因と思われます。更に不安定な身分保障の零細工場求人難や、景気の浮沈と密集地での発展に見切りをつける小規模工場も転廃業が加速し今日の衰退を招く事になります。 東墨田の路地に住居兼工場が建て込む古典的な地場産業の限界なのかも知れません。
それでも現在国内80%の豚革(ピッグスキン)を当地で生産されて居る不思議の理由とは?…その原因は多様な先端技術繊維と合成皮革に対しピッグスキンの商品力の脆弱が国内需要の減退を招き、国内ピッグスキン需要量が、今の東墨田の生産量と一致した現象、昔も今もシェアーは同じ事と云うのでしょう。
……昔は武士、農民の弊牛馬から皮革を製造しておりましたから東墨田の当初は当然牛馬の皮鞣しを家業として発展したと思われますが、現在当地ではほぼピックスキン製造に特化しております。
特に戦後は食の洋風化が顕著で豚肉需要が激増して副産物としてのピッグスキンの製造が路地と狭小工場の建て込む東隅田にとっては格好の素材として手掛けたと考えられます。大きな牛馬皮はタンナーの工場機材も大型、製品分野も多義にわたり製造工程の高度化が必至、投下資本も莫大となる為、大規模工場に適した素材といえます。当地から昭和40年代に移転した明治皮革、秋元皮革などの大規模工場は当然、牛馬皮のタンナーだった筈です。 地方に存在するタンナーは製造ライン化した比較的大規模の工場ですが、何んと云っても関西のタンナー工場が牛馬革の本場、特に兵庫が発展し西高東低が現状です。
ところで牛馬革製品の現況を見ますと、仕上げた風合いも多様化し相変わらずソファー椅子など高級家具類を始め身の回品は高級カバン、靴、ベルト、財布、服飾品などに欠かせぬ王者の存在ですが、セレブ指向は自動車、観光バス、豪華列車のシートへと、更に用途は開けて行く様に見えます。 セレブとは対極に居る、それなりの私でも一寸奮発して買った財布など感触、匂い、アートな仕上げのリッチさに満足感と愛着が満たされるのです。
ぐだぐだと調べて見ましたが以下の牛馬、豚原皮及び皮革の平成25年度の輸出入統計の数字が総てを現しております。
《輸入額》
牛馬原皮…………    7.187.494 (千円)
牛馬革…………     12.481.949 (千円)
豚原皮……統計上なし
豚革……  統計上なし
《輸出額》
牛馬原皮、なめした皮…  4.411.189 (千円)
牛馬革……………       8.948.392 (千円)
豚原皮、なめした皮…… 12.230.889 (千円)
豚革………………         165.096 (千円)
注) 原皮→と畜場の副産物生皮を主に塩漬けしたもの。
牛馬皮革の輸出入額から可なりの国内タンナーが盛業し国内需要の大きい事もわかります。
一方、豚皮革の輸入は無く、輸出が大きい数字とは、国内需要は少なく主として、と畜場からの原皮を塩漬けして輸出が現状ですが高品質の国産豚原皮は台湾、香港、韓国のタンナーの需要があります。 この現状を見て東墨田の地場産業復活には豊富、上質の国産豚皮でタンニング量を復活させ、先端多様な高品質ピッグスキンを開発し輸出や製品化でマーケットの開拓が必須にありますが、その実現には地域環境の改善が欠かせなく、廃業者が目立つ場所のスクラップ&ビルドとして集合工場ビル建築、内部をライン化し、各工程ごとに各業者を配置し革に仕上げるのですが、併せて公害除去と環境の改良は地域創出(多様な居住施設)と地場産業の併存、共存が可能なのでは?……
大田区地場産業金属加工では工場ビルに業者を集約しておりますが、更に東墨田地区はタンニングと云う工程のライン化の利点が大きく当地の地場産業により適応していると思われます。と……勝手な考えかも知れませんでした悪しからず。  ……先へつづく
……前へ戻る

《皮革産業木下川》
(6) 戦後の盛衰
(5) 東墨田木下川地区の成立
(4) 東墨田木下川地区の発祥
(3) 東墨田木下川地区とは
(2) ピッグスキンの将来は…
(1) 東墨田皮革産業の今昔