[地域][探訪] 埼玉羽生と小説”田舎教師”

東武電車伊勢崎線に羽生と云う街、正式には羽生市がありますが、余程用件の無い限り立ち寄る事も無いかもしれません。その昔上杉謙信ゆかりの羽生城が在ったとされますが全く遺構なども皆無です。その他に特徴もない有触れた田舎の街に見えます。……
ところで、自然主義文学作家の田山花袋さんの代表作「田舎教師」と言えば一昔前の方々?、中高年者にはよく読まれた小説ですが、その舞台がこの羽生です。…不遇のなか若くして人生を終えた多感な青年の話を田山花袋により叙情的小説に再現されております。花袋がこの小説を執筆した発端っから、……主人公”林清三”のモデル小林秀三は館林の成願寺こと建福寺に下宿しており、そこの住職大田玉茗の妹が田山花袋の妻という間柄です。

花袋が明治三十七年(1904年)に義兄玉茗を寺に訪ねたおりに元下宿人小林秀三(林清三)の残された日記を見せられて青春の志を抱きながらも二十一歳の若さで世を去った秀三の悲しくも無念な生涯を知り執筆したのが小説田舎教師だそうです。小林秀三は明治34年埼玉県第二中学校、現在の県立熊谷高校を卒業も家庭が貧しく上級学校進学を諦め小学校の代用教員として生計を立てる為に利根川近くの弥勒高等尋常小学校に就職、満たされぬ夢とその生活が農村地帯の叙情と共に描かれています。
……中学同級生の父親、県視学の紹介状を貰い赴任予定の学校を訪問する小説のプロローグから……四里の道は長かった。その間に青縞の市の立つ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた。赤い蹴出を出した田舎の姐さんがおりおり通った。
羽生からは車に乗った。母親が徹夜して縫ってくれた木綿の三紋の羽織に新調のメリンスの兵児帯、車夫は色の褪せた毛布を袴の上にかけて、梶棒を上げた。何となく胸が躍った。……


      上)現本堂と小林秀三の墓
父母の行田の住まいからは赴任先が遠く、友人の荻生君の紹介で羽生の建福寺に下宿が決まります。……話は容易に纏まった。無人で食事の世話まではして上げることは出来ないが、家にあるもので入用なものは何でも御使いなさい。こう言って、主僧は机、火鉢、座布団、茶器などを貸してくれた。
本堂の右と左に六畳の間があった。右の部屋は日が当たって冬は良いが、夏は暑くて仕方がない。で、左の間を借りることにする。和尚さんは障子の合うのを彼方此方から外して来てはめてくれる。
上さんはバケツを廊下に持ち出して畳を拭いてくれる。机を真ん中に据えて、持ってきた本箱を側に置いて、角火鉢に茶器を揃えると、それで立派な心地よい書斎が出来た。………
建福寺は羽生駅東口の至近にあり、現在は近辺で一番裕福なお寺さんですが、境内には小林秀三が下宿した昔の小さな本堂が残され今の立派な本堂と比べる面白さがありました。
中を覗くと真ん中が須弥壇として左右に小部屋があり、その一室に下宿した事が分ります。では花袋が田舎教師を書く発端になった和尚さんとは如何なる人か、……住職太田玉茗とは建福寺二十三世住職で東京専門学校(現早稲田大学)を卒業、明治時代の文芸誌「文学界」では樋口一葉島崎藤村田山花袋らと共に玉茗の執筆活動は顕著で、その人柄生活振りは小さな風呂桶に奥さんと一緒に入りはしゃいで居たと云う当時としては破天荒なお方のようです。
   


       小林秀三下宿の間と旧本堂
太田玉茗の代表的抒情詩「宇之が舟」の詩碑が清三の住んでいた旧本堂の部屋の前に建ててあります。
 見わたす限り秋の野は、
  千ぐさの花となりにけり、
 其の野のすえに一すじの
    清きながれぞながれたる。
 清きながるる其の川に  
  蓮の葉ぶねをうかべつつ、 
   まつりし霊を里人の
    おくる夕べとなりにけり。
 (宇之が舟冒頭)
また、この詩碑の脇には。”山門に木瓜(ぼけ)吹きあるる羽生かな”の句碑もあり、これは昭和十三年四月、川端康成片岡鉄兵横光利一の三名が田舎教師文学的紀行を企画、当寺を訪ねた際に詠んだ句だそうです。
三人は小説の舞台の熊谷、行田、羽生、それから利根川づたいに栗橋、中田への小旅行で川端は写真機コンタックスを携え、先々の人と風土の資料を残しているそうです。
境内墓地には小林秀三の立派な墓も在りますが、昼間葬儀を行うのは金が掛るので夜間密かに葬られたとの事です、残念ですが話のイメージと懸け離れた大きなもので、花袋の代表作として一躍世に知られた経過を現在の墓が物語っているようにも見えました。 私は7年前にも文学散歩のつもりで秀三の赴任先の弥勒高等尋常小学校跡周辺を訪ねて見ましたが秀三の銅像が寂しく建つだけで時代の経過ばかりの感慨に終っております。
秀三はある日突然、受け入れがたい現在の境遇から塞ぐ心を慰謝する妙案として中田遊郭行きを決意、利根川の土手を下流の栗橋へと歩き始めます。………懐には昨日下りたばかりの半月の月給が入っている。「好い機会だ!」と思った心は、ある新しい希望に向かってそぞろに震えた。 土手の上にのぼると、利根川は美しく夕日に栄えていた。その心がある希望の為に動いている為であろう。何だかその波の閃きも色の調子も空気の濃い影も総て自分の踊り勝ちな心としっくり相合っているように感じられた。半孕んだ帆が夕日を受けて緩かに緩かに下って行くと, 漾々として大河の趣きを成した川の上には初秋でなければ見られぬような白い大きな雲が浮かんで、川向うの人家や白壁の土蔵や森や土手が濃い空気の中に浮くように見える。土手の草むらの中にはキリギリスが鳴いていた。…………
中田遊郭とは栗橋の利根川対岸の茨城県の町、旧日光街道の宿場、現在は昔の景観はありません。

田山花袋著「田舎教師」はフリー《青空文庫》でも読めます。 
http://www.aozora.gr.jp/cards/000214/files/1668_26031.html