[昭和][産業]  戦後のモータリゼーション(6)−8 自動車大国の起点とマイカー指向へ。

昭和27年(1952)は日本国も占領期を脱して独立しますが、朝鮮戦争が続きアメリカ軍の仁川上陸作戦で劣勢を挽回した時期です。莫大な戦争特需が敗戦後の日本経済には干天の慈雨となり、高度成長期への助走となりました。
新生日本国の自動車製造業原点がこの時期であり、各社の積極的社業がクローズアップし、動向が注目されたのです。
では、トヨタ自動車から…、敗戦間もない昭和22年から手掛けたトヨペットS型乗用車から脱して昭和28年(1953)には画期的新車トヨペットスーパーを発売します。ボデーは関東ボデーと関西ボデーなどと呼ばれ、それぞれ関東自動車工業と中日本重工業製(元、三菱重工)で製造された異なる車体に特徴があります。 この車は劣悪な道路を考慮したタクシー業界の要望に副い、サスペンションはトラック並みに強靭で、時代を反映した乱暴運転にも耐へ得る性能だったのです。それが皮肉にも”神風タクシー”をうみ、恐怖の汚名が世界に発信されたのです。 以後タクシー業界は世情を反映し、高度成長期は”乗車拒否”などの転倒した異常営業が社会現象の一端として強烈な不評をあつめました。……
上) トヨペットクラウン  下) トヨペットスーパー関西ボデー、元祖「神風タクシー」

     


…昭和28年が自動車製造業界で特筆される出来事は、日産ーオースチン、いすずーヒルマン、日野ールノー4CVを各社がノックダウン生産を始め、国産化にも成功し、自動車業界の技術レベルを一挙に持ち上げて以後の発展に貢献する事になります。…

上) 日産オースチンA40 中)日野ルノー4CV 下)いすずヒルマンミンクス

       



戻りまして、トヨタは更に翌昭和29年にトヨペットクラウンを発売します。この車は先進国乗用車レベルの仕様を取り入れた本格的なモデルで、企業、官庁など法人社用車に進出し、開発力のアピールで技術が見直されたのです。 この系譜が今日のトヨタクラウンに発展しました。 …しかしながら、初期モデルは日本仕様の需要に過ぎず、世界レベルには達していませんでした。 たまたま私が昭和34年にハワイマウイ島のカフルイ港で見かけ、驚いたクラウンですが、ステーツのフリーウエーでは高速運転には耐えられずオーバーヒートなどで悪評だったと云われます。
この時期日産自動車は前述の如くノックダウン車のオースチンをタクシー業界に販売しますが、従来型のダットサンも進化させ昭和30年に110モデルを発売し小型タクシーとして好評で一矢を報います。オースチン組立ての還元技術を新車開発力として発展につなげました。

上)ダットサン112 中)ダットサンブルーバード 下)スバル360

         
       

……ここで技術の日産と呼ばれた要素の一つであるユニークな会社、「プリンス自動車工業」の日産との合併(昭和41年)以前の話になります。
この会社は敗戦後間もなく設立された「たま電気自動車」です。私は昭和25年頃この会社の製品たま号電気自動車を目撃しております。 下北沢の町工場に来ていた車の容姿や動き出した印象は洗練された外車のイメージとは比較の対象ではなかったのです。 駆動音も遊園地の乗り物の様に、グウーグウーグウーと頼りなげに動きだしました。 だが最近、スペックを調べますと1948年製造車は時速55km、航続距離200kmの記載は?、疑問…往時の鉛電池に鑑み…初期性能車、最高速度35km/h、航続距離65kmあたりが妥当な気が致しますが。 その後、電池資材の高騰で挫折、富士精密工業と合併、ガソリン車開発に転換し、昭和27年には画期的エンジン、1500cc、OHV、45HPトラックと乗用車を販売します。
……私も、すでに免許証を取得しており、プリンストラックを運転して驚きました。 在来のトヨペットダットサントラックを遥かに凌駕するエンジン性能、乗り心地なのです。……当時の玉川通り玉電軌道幅と車輪の幅が同じで、レールの上に乗せて走ったり楽しんだ覚えがあります。
…技術は更に発展し乗用車グロリアや、御年配は御存知のスカイラインGTとか、R380などでレーシング界を席捲する事になりました。……
昭和32年(1957)になりますと、日産自動車ダットサンの集大成といえる小型車ブルーバードを発売します。と、トヨタもコロナを発表して対抗、小型車の将来性に注目が集まり、モータリゼーション、マイカー時代の夜明けを迎えようとしておりました。……また当時、軽自動車メーカーの富士重工業が昭和33年に発売した「スバル360」は356cc、16HP、空冷2ストローク、2気筒のリヤエンジン車で4人乗りを実現します。 ホルクスワーゲンビートルの愛称”カブト虫”に因んで”てんとう虫”と呼ばれ、可愛いイメージで若いパパ、ママ族のマイカー指向を刺激し、トップランナー的な人気を集めたのです。……
話が分断いたしましたが、ノックダウン各社のその後…、「いすず」はヒルマン終了後、小型車ベレットを開発、スポーティーな車で好評、のち中型車、ディーゼルエンジン搭載のベレルも発売しましたが、散々の悪評で惨敗、即ち…振動、騒音、排煙が解決されずディーゼル独特の振動は致命傷でマッサージ器乗用車と敬遠され、三ツ、百万円でタクシー会社に売った噂もありました。社業の事情からトラック専業に戻ります。…一方日野自動車ルノー4CV終了後、コンテッサと云うリヤーエンジンの小型車を開発これも一定の評価を得ておりましたが、…乗用車技術はトヨタブランドの製造で継承し、トラックメーカーとして社業は発展しております。…… 次回へつづく… 。……前回へ戻る
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《昭和モータリゼイション》
(8) 自動車会社浮沈の根源は、
(7) バックグラウンド道路 
(6) 自動車大国の起点とマイカー指向へ
(5) 昭和20〜27年の歩み
(4) 楽しいオート三輪 ハンドリング
(3) オート三輪は戦後のヒーロー 
(2) オート三輪盛衰記
(1) オート三輪の時代