日産の先祖帰りか! ゴーン事件は塩路委員長事件と酷似(1)

日産自動車ゴーン会長の逮捕収監事件は世間の耳目を集めるショッキングなニュースでした。 既にその罪状など報道され事件の概要は周知の事実ですが、この突発事件に対応する現社長はゴーン氏の屈指の側近ですが、記者会見で慌てるふしもなくゴーン氏に対する背任告発を得々と説明していた姿がありました。
……僅か5ヶ月前の本年6月に執行された司法取引の適用を申請した会社の役職者がゴーン会長と謀議し犯罪が成立した経過と内部から周到に運ばれた経緯の痕跡が明白になっております。  では、浮上した事件の引き金とはフランス政府発案のルノー、日産合併計画があります。  対抗する日産サイドの反抗策とは ……ルノー、日産、三菱の三社の要で絶対的実力者のゴーン会長潰しが合併阻止の究極策と判断した事に端を発していると考えられます。
……推測では最大の伏線があります。……彼が常に洩らしていた事はグローバル企業の経営者の所得と日本企業風土の役員報酬との格差が露呈し世界の常識的報酬がノーマルな事とゴーン氏は自負していたようです。……イメージ的な考えですが、彼の心の隙をついたのが期間申告額の倍の支給、即ち50億円の上乗せ、但し会社諸経費として仮装処理という罠だったかも?……見掛けの役員報酬は半額の50億円足らず、実態報酬は100億円で、ゴーン会長も日産もwin winの結果が得られる筈でしたが………が、今後の展開は特捜のポテンシャルに係る結果ですが?…大胆な行動に出たクーデター派の背後には守旧派政治家や団体の思惑の影も”ちらつく”かも知れません。この経緯から想像出来る会社側への刑事事件化や株主に対する損害補償へと発展すれば、…会社衰退へと転化の危機も!……この経緯は塩路労組委員長事件と酷似したパタンも想像できるのです。………

では、本題の自動車総連会長、日産労組委員長に仕掛けられた会社側の罠とは………       
敗戦後の日本国が不死鳥の如く復活した動機が1950年に勃発した朝鮮動乱です、米軍の兵站基地化した日本国の企業は盛況して復活の端緒となったのです。その後1970年に掛けては学生運動社会主義活動が活発な時期で労働運動などストライキ現代日本国では想像外のゼネストも何回も経験しております。日産も例外なくストライキなど過激な労働運動に苦慮しておりました。
ここで過って日産中興の祖と云われた川又克二が興銀より常務として転入、業務を阻害する労組潰しを画策しますが、1953年グループ企業の日産油脂の紹介で入社した人物が塩路一郎でした。……どの様な思想の人物かは分かりませんが、労組に対抗して第二組合を組織し一挙に既存組合を壊滅させ、労使協調を提唱し社長に昇格した川俣克二とタッグを組み会社経営マターにも影響を増大させます。  丁度この頃になりますと、英国オースチン自動車の技術導入の成果が本格的小型車ブルーバードとして結実、更にプリンス自動車の合併と社業が拡大しますが、……組織力、攻撃力に長けた塩路一郎も更に権力欲にも点火し、労組支配をテコに日産経営の一角を侵食し、人事、経営方針さえも塩路の同意が必須、並の役員を凌駕する存在となったのです。……註)BMWミニクーパーの前身がオースチンミニクーパーです。

一方、巷間塩路天皇と呼ばれる存在は豪勢な日常生活があるのです。……住居は品川の高級7LDKマンション、4000万円のクルーザーと自家用車はプレジデントとフェアレデイzを乗り回し、夜な夜な銀座で遊んでいたのです。また、彼とタッグを組んだ川俣克二は業績をバックに会長職につき1983年に相談役に退き塩路一郎との密着関係は20年間に為るようです。
川俣社長の次の次に石原俊が1977年社長に就任します。この方は日産プロパーで先ず会社発展の経営指針は従来の労使協調路線による労組の経営介入排除と海外生産を標榜としています。……当然川俣時代と一変し労使の摩擦が始りますが、この時期塩路一郎の優美な私生活は謀られたか、踊らされたか、労働貴族生活はエスカレートしていた様子で、一方会社は着々とメディア向け広告宣伝費を異常に増額し、写真雑誌のフォーカス出版の新潮社へは数億円以上の支出があったようです。………遂に栄華を極めた日産労組委員長塩路一郎に鉄槌の一撃ともいえる事件が起こります。
1984年(昭和60年)1月20日の写真雑誌フォーカスに労働貴族 ”日産労組塩路天皇の道楽”の見出しで銀座の愛人と甘美なクルーザー(ヨット)のショットが大きく写され、豪奢な日常生活から夜毎の銀座豪遊など詳細が暴露される事件があり、ダメ押しに「労組委員長が銀座で飲んだり、ヨットで遊んで何が悪い……と公言していたと紹介されました。 また、別のメディアの社員の述懐にも日産社員から塩路一郎の艶福な女性遍歴として、芸者、銀座の女など愛人の写真撮影を依頼された話なども………
結果……塩路委員長は日産労組組合員の不信離反が致命傷、組合役職の解任、一気に唯の日産一社員に転落も定年まで在社したそうです。……その精神のタフネスに、私如きは一驚しております。 ………一方石原社長は任期中の可なりの時間と労力を塩路一郎対策に費やしたと述懐、持論の海外工場展開など実践したのですが、投入経費に見合う収益があがらなかっ事からも、後の日産破綻、ルノー自動車への身売り原因、有利子負債3兆円の一因を造った経営者と云われます。
ゴーン事件と異なり塩路一郎事件は十年単位の豪奢な浪費生活の莫大な財源が何処から出たのか特定されず? 刑事事件には発展しませんでした。

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