[河川][歴史] 昔の荒川探索行(6)荒川を支流にした埼玉県「古隅田川」の解明

今回は中世期の利根川隅田川)の流路跡と云われる「古隅田川」と呼ばれる川が細々と流れる埼玉県岩槻と春日部の間を解明する事にいたします。……先ず往時の利根川(現、古利根川)は春日部で分流し岩槻の荒川へと流下しており、これを隅田川(現、古隅田川)と呼び、利根川の主流でした。
…実はこの隅田川(古隅田川)は中世の利根川の姿…即ち、低湿地帯を高きより低きに流れる気ままな流水が気象変化で時には大激流となり、収まれば勝手な場所に水路は移動し、穏やかに流れ下ったりする……往時の大河が残した遺構の自然堤防や里人が必至に築き上げた堤など、中世のロマンが現代に多数残された貴重な地帯なのです。…が、今後の治水対策が更に完成すれば住宅地域拡大で、自然が残した遺構は必然的に消滅する危惧がある場所でもあります。………



photo…春日部市 古利根川に古隅田川流入点 右)古隅田川起点−春日部市花積 
この元荒川と古利根川に挟まれた地帯を大雑把に昔から「新方領」と呼ばれた大穀倉地帯を構成し海抜僅か20mの湿地帯です。………が、敗戦後の戦争をしない日本国憲法のお陰で社会のインフラ整備に国費が回り、治水、道路、上下水道が整備され、多数の人々が住み始めた場所柄ですが、中世期の利根川(古隅田川)河川遺構の宝庫です。
では、現在の古隅田川の実態とは……源流を失った川として管理起点は東武野田線東岩槻駅」南東の春日部市花積から約4.8km下流春日部市粕壁で古利根川に合流しております。流路のイメージは川なのか、溝なのか、ドブなのか? 流水の実態は主に住宅街の生活排水と一部農業用排水(落し)です。5月現在、岩槻区寄りでは殆ど滞流状態、春日部合流地点では古利根川の水位上昇で排水機能は不全です。……この排水困難地域住宅街の対応策として……埼玉県は異常降水時の遊水処理として流入用の巨大調整池「上院調整池」と「南平野調整池」を岩槻区に整備しております。
ところで……現在は形骸化した古隅田川ですが中世期とは逆の方向に流れを変えております、なぜか?……その解明を考えてみましょう。……



 水防用調整池 左)首都圏外郭放水路地下貯水槽 右)岩槻 上院調整池……近世、江戸初期の文禄3年(1594)利根川羽生市川俣で瀬替え締め切りで、旧利根川(本流)は水源を失い、よって下流古利根川(旧利根川)の水位低下により、岩槻の荒川水位が比較上昇し逆流をはじめます。…と、古隅田川は「逆川」と呼ばれる様になりましたが、……今度は寛永6年(1629)熊谷久下村で行われた荒川の瀬替え(西遷)締め切りで旧荒川(元荒川)も源流を失い下流岩槻での水位は一挙に低下します。……堆積土砂などで流入が止まり古隅田川は元荒川と隔絶、離縁し自然の原理による微高地から低きへと雑水が移動して行ったのでしょう。江戸時代を通じて、その後の古隅田川の実態は湿地帯に横たわる有形無実の機能しない川、形骸化した細流は現代と変らない流れだったようです。……

photo…古隅田川流路 春日部市南中曽根では、……この新方領の治水の総括してみますと、……元荒川、古利根川ともに農業用水と排水を兼ねた川で、昔から延々と用水派農民と排水派農民の利害対立の原因として……河川水位の争い(用水取水堰の操作)が繰り返されていますが、現在の新方領では排水派は住宅街住民、用水派は農業者の対立です、先ず…伝統的に農民の既得権は強固なものです。 毎年元荒川、古利根川ともに堰の調整で河川水位を上げており、住宅地域の排水機能不全を起こします。
そこで、異常降水時に備え、広大な「上院調節池」や「南平野調整池」などを整備し住宅地域浸水防止対策としています。更に新方領全域をにらんだ対策としては春日部市の古隅田川合流地点の古利根川上流至近に近年、国土交通省は最先端の技術結集 ”首都外郭放水路”と云う世界トップクラスの地下貯水槽と地下トンネルの放水路へ過剰危険水の流入口を設けました。
(注)詳細…古利根川の追跡(5)首都圏外郭放水路
治水対策の進捗とモタリゼーションが相俟って、過っての低湿穀倉地帯には再開発大規模住宅街が出現しております。……次回は地域に残る往時の大河 隅田川(古隅田川)のロマン遺構探索です。……次回へ進む
……前回へ戻る

  《昔の荒川探索行》
(11)中世の荒川本流「綾瀬川」と草加市
(10)元荒川由縁の街 越谷市
(9)古隅田川自然堤防の集大成「金山堤」
(8)中世の氾濫原、古隅田川流域の実態
(7)大地に刻まれた古隅田川自然堤防を歩く
(6)荒川を支流にした古隅田川(隅田川)
(5)岩槻市元荒川と謎の古隅田川
(4)元荒川が大河の残滓を残す流域
(3)元荒川を下る
(2)荒川西遷(瀬替へ)の要 熊谷市
(1)人工河川荒川の成立(西遷事業)