戦前日本が見えてくる(7) 絶縁される神社本庁とは?…

……引き続き神社本庁の本質を簡単に表現すれば、薩長公家が建国した大日本帝国の思想残滓と云えそうです。……即ち明治政府の神祇官(後の神祇院)が強行した宗教改革の思想が「神国日本」の敗戦までの国粋思想の根幹となってまいりました。敗戦時の内務省神祇局がGHQのパージ後、組織継承が神社本庁の姿と云えるのでしょう。……(前回迄の話…)
では古代日本国の500年代ADに仏教が百済から伝わり一挙に広がりますが、貴族、民衆は人々を救済する仏教に帰依します。神々も又、仏様の救済を求めて仏教に帰依し、平安時代には本地垂迹説とか権現思想が神々を席捲し、……神は仏の仮の姿で現れたもの……一例…「天照大神」は大日如来が本地佛、…「八幡神応神天皇阿弥陀如来、「東照大権現徳川家康薬師如来などが本地佛です。…その外神社境内に神宮寺と呼ばれる仏教寺院を建立したりして神社も仏の加護を求めており、伊勢神宮鹿島神宮などにも神宮寺が在ったのです。
明治新政府神祇官皇国神道(国教)を根幹する宗教政策を実施し前段として……先ず廃仏毀釈神仏分離令を基に寺院潰しを始めます、前回の富岡八幡の別当寺永代寺の取り潰し、その他東京でも多発しますが、一例として……北品川3丁目東海禅寺の東隣にある元熊本藩細川家歴代藩主7名と細川家私有墓地ですが、ここは廃仏毀釈明治4年に取り潰された妙解院の墓地の残滓で細川家の菩提寺だったのです。


廃寺妙解院墓地跡の熊本藩細川家歴代藩主の宝塔………しかし結果的に寺院取り潰しは不成功におわり、……次のターゲットは神社自体の改革でした。即ち、神仏習合の神社名の除去、仏教由来の御祭神を記紀神への変更を求め、従わなければ取り潰しと強要し、一気に神社改革を実践しました。その内容とは………
神社名から除去を強要された名称……                    
◎明神社……神社主神に対する仏教側の名称。
◎権現社……仏が仮に神の姿に化身している姿。
◎天王社、牛頭天王社祇園社……インドの寺院”祇園精舎”の守り神の牛頭天王(ごずてんのう)……平家物語の冒頭祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ……
◎妙見社、妙見宮……妙見菩薩を神として祀った。

上記に従い神社名変更された現存神社の一例を列記します。  
宇佐八幡宮……宇佐八幡宮弥勒寺   
金比羅宮……讃岐、象頭山松尾寺
京都八坂神社……祇園社
神田神社……神田明神
山王神社……日吉山王権現
浅草神社……三社権現社
愛宕神社……山上愛宕山権現本社
根津神社……根津権現
大鳥神社……大鳥明神社
須賀神社……祇園社
羽田神社……牛頭天王社
白山神社……五社権現社
白髭神社……白髭明神社
品川神社……牛頭天王社  
秩父神社……秩父大宮妙見宮
千葉神社……千葉妙見宮
日本の神様の成り立ちを考えますと太陽や山、水、火、風、雨、雷、海、稲など土俗的な名も無い神様を拝み、感謝、畏怖などが原点かと考えられますが、古代律令制と共に記紀神などが土俗の神様に代わり、割り当てられた結果が現在に至る御祭神となっているようです。……明治新政府の根幹は太政官神祇官の2官制度で太政官(行政)に対し、国(天皇)の神祇や一般宗教統制も重要な国策として神祇官が重視されたようです。明治政府は近代化を進め軍備を強化し海外進出を果たしますが、神国日本を標榜した国粋主義排他主義は、やがて世界各国を相手に戦争を始めて侵略国の烙印を押され大日本帝国は僅か77年で連合国に無条件降伏し亡国の憂き目となりました。現在は日本国という民主主義の新制度国家です。…………
………が、現代の日本国は「歴史と伝統」の国と標榜する国粋主義者を中心に神社本庁を核として、日本会議とか神道政治連盟、その他団体が政治的活動を活発にしており、安倍総理の主張している、憲法改正国防軍靖国神社問題、過去の侵略の正当化など神社本庁の理念と合致しております。政治問題はパスして私自身の問題、最近神社本庁管轄の神社さんで参拝の作法統一として2拝、2拍手、1拝を正式作法と指導しているようです。が、………私にとっては大きなお世話だ、私は1拝、2拍手、1拝です。
昔から神様は色々で神社によって作法は違うのです、民主主義の国に全体主義的発想はノーグットです。……そもそも氏神様や鎮守の神様は八幡様でも、権現様でも、明神様でも、お稲荷さんでもよいのです。困ったときは御願いに、祝い事は報告に、感謝の御参りが気楽に出来るところなのですから。難しい漢字で読めもしない神様の名前など知らない人が大半です。昔からのコミュニティーはそのまま大切に守りましょう。
因みに色々調べた結果は………神社は柏手、お寺は合掌などと決まりがないのが、お江戸の時代まで続き、皆自由勝手に神様仏様を拝んでいたようです。……現在でも出雲大社宇佐八幡宮は参拝者の作法も2礼4拍手一礼だそうです。
明治政府になり天皇と皇祖神の政治利用、即ち国家神道になってから祭式行事作法が決められ、主に神官などに適用されたふしがあります。………
戦時中の昭和17年に神社祭式行事作法の改正で宮中祭式にならい拍手が禁止、拝礼のみに変更され時代もあるのです。……戦後の昭和23年には神社本庁による改正で”再拝→祝詞奏上→再拝→二拍手→一拝”(神官の作法)に決定。……現在の参拝者に神社本庁が指導している”2礼2拍手1礼”はこれが根拠らしいのです。………ま、尊び敬うべきは神様です、神社本庁などは唯の寄生組織にすぎません。 民主主義の世の中、決めるのは自分自身にあります。更に………天皇家の方々の拍手している姿を拝見した事がありません。皇室にならい柏手なし、拝礼だけの神社参拝もありでしょう。
次回へ続く
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《戦前日本が見える》 
(11)神社御神体 究極土俗神
(10)御祭神 仏教神社
(9)主祭神 神さまになった人々
(8)神社いろいろ 神さまの実態
(7)絶縁される神社本庁とは
(6)遂に富岡八幡宮が絶縁…神社本庁
(5)高麗神社と高麗聖天院
(4)朝鮮半島から人材流入と強制徴用
(3)強制徴用とはなにか
(2)法治国家の今昔
(1)従軍慰安婦問題と安倍総理大臣