埼玉県行田市(1) 私の中の行田

……寄る年波でしょうか、一寸、ふわーとしていたら、ブランクが出来てしまい早速ブログに懸ります。……今人気のテレビドラマの「陸王」の舞台が、昔云われた足袋の街「行田」でした。
この街と私の接点は田山花袋の小説”田舎教師”愛読に始まり、ブログのテーマ絡みでは”利根川東遷事業”、”古代遺構さきたま古墳群”、”石田三成忍城水攻めと石田堤”、”東京都水のライフライン武蔵水路利根大堰”、”久能山から日光へ家康公霊柩一泊の地”など、また、蔵の街と馬車鉄道の話にも興味があり、行田市には度々行っている事に気が付きました。………利根大堰

行田市を思い返したのはドラマ陸王ですが、……陸王…私の最初のイメージは、なんとオートバイが浮かんでいたのです。かなり古い時代の敗戦後3〜4年過ぎると幹線道路に白バイが登場し少年達には刺激的な乗り物に見えました。即ちハーレーダビドソン、ライセンスの国産車陸王(Rikuo)で、エンジン音といい、アメリカンスタイルは現在のハーレーと同じように見えました。……当時は国産自動車は貨物の他には発展途上でオート三輪車の全盛時代です。……ま、思い返せば我ながら…随分遠く迄来たものだと述懐しております。
それから、序にドラマの商品である底をゴム引きした「競争用地下足袋」でも……私のイメージは昔の日本帝国の不朽の発明品「作業用地下足袋」を思い出すのです、現今でも”とび職”など職業によっては必需品ですが、今をときめく世界企業ブリヂストンの祖業の発明商品でも有名です。……ブリヂストン(株)は石橋正二郎氏が起業した日本足袋製造会社からタイヤ製造へと発展した経緯があります。一方足袋事業は日本ゴム(株)としてアサヒ靴(ズック靴)で日本全国一斉風靡したのですが、戦後アサヒCoと改称後平成10年消滅しております。 序に余計な話し………戦前大日本帝国時代の屈指の発明品とは、人力車、亀の子たわし、味の素(グルタミン酸ナトリウム)、地下足袋、etc……



 
それでは、行田市にかかわる巨大施設として首都圏水資源の要、”利根大堰”から始めます。……行田市北部の酒巻に水資源開発公団が首都圏の水資源供給の近代化施設として昭和43年(1968)に完成させた取水堰です。……過っての利根川から見沼代用水取水地点の在った場所で、この利根大堰からの取水は武蔵水路、見沼代用水、埼玉用水路葛西用水路へ分水導水し広大な穀倉地帯の用水と古利根川と元荒川への導水の役目も兼ねております。 また、メイン水路の武蔵水路は東京都の上水道の40%、埼玉県の上水道の70%を供給しており、更に、更に隅田川の浄化に余剰水を利用しております。………過ってのバブル時代には隅田川は臭い、汚い、魚は住めない状況で、硫化水素の影響も話題に上がっており、東京都民を悩ました存在で柳橋、浜町の川畔料亭街の壊滅の引き金でもあったのです。……本気で隅田川に蓋をしてしまえ!…などと論議を呼んだ川でしたが……。

この武蔵水路とは行田市から南下して埼玉県鴻巣市で荒川に流入させる大水路ですが、簡単に云えば鴻巣市下流の荒川水路を利用して利根川水系の水資源を首都圏で有効利用するシステムです。…はっきり云えば昔から荒川とは名前の如く天災などで氾濫災害を及ぼすばかりで、肝心の水資源が乏しい困った河川で、河川舟運が物流大動脈の江戸時代でも利用困難な荒れるばかりの川だったのです。……と、云う事で首都圏主要部分インフラのキーポイント的地域が即ち…埼玉県行田市でした。

利根大堰へのアクセス……かなりな過疎地、車での移動が無難です。……次回へ

《行田界隈》
埼玉県行田市(6)旅、足袋話し
埼玉県行田市(5)足袋の行田か行田の足袋か
埼玉県行田市(4)埼玉県名発祥の地行田市と忍
埼玉県行田市(3)久能山から日光へ家康公霊柩遷座と行田
埼玉県行田市(2)忍藩と利根川東遷事業
埼玉県行田市(1)私の中の行田