[寺社] 船橋 市川の探訪 (2)−4 法華経寺大荒行、本阿弥光悦、伊藤忠太

法華経寺の11月の行事に大荒行の入行式と聖教殿の国宝、文化財のお風入れ、お会式の3つの大行事が毎年行なわれております。
例年11月3日、聖教殿の「お風入れ」で収納された国宝、重要文化財が一般公開されます。先日参詣した時この拝観者の通路整備など作業員がしておりましたが、突然お寺のHPでは文化庁の指導により急遽、公開中止との事でした。 なぜか?、…
…聖教殿収納の国宝には日蓮真筆の「立正安国論」があります。確か学校の歴史教科書にも在りましたが、天下の災禍は邪宗派信仰にあり、正法たる法華経を幕府が立てなければ他国の侵略、内国戦乱が起こると説き、時の鎌倉幕府五代執権北条時頼に文応元年(1260)建白したものです。
が、日本国の現状は?、尖閣諸島への中国軍艦の侵犯、韓国の竹島占拠、ロシヤの択捉国後占領と外国からの領土侵犯がエスカレートしております。 国内に目を転ずれば、経済の沈滞、政界各派の反発、拮抗は将に内乱の様相です。 では、立正安国論の核心、邪宗派信仰とは…神社神道、仏教諸宗派、その他には新興宗教諸派が該当するのでしょうか?、…現代では過激に聞こえる日蓮の予言ですが、…何か、何処かの圧力か?「立正安国論」の復権を危惧した公開中止の指導だったのか?、もし、ただの文化事業たる750年前の古文書公開に文化庁の不純な介入とすれば大問題なのですが!。…少々、戦前生まれの私の思い過ごしならば良いのですが!。……
      
上) 祖師堂側面 下) 大荒行堂


では正気に戻りまして…、広大な中山法華経寺の境内と国宝、重文の古建築は公開され自由に拝観できます。 武士、庶民と広く信徒に支えられる法華経の伝統なのでしょうか、平成九年の祖師堂大改修で解体木材などに各々寄進者名が書かれ、熱烈な信徒、檀那の存在が明らかになっております。 参詣は気の向くまま御自由に、境内のお堂を廻れば建物には詳しく説明が表示されております。
     
(1)境内入り口 (2)祖師堂 (3)法華堂と四足門  (4)刹堂 (5)五重塔 (6)大荒行堂 (7)聖教殿 (8)本院と鬼子母神
私は参詣して日蓮さんを知り、お寺の由緒を知って興味を覚えたのが大荒行と本阿弥光室、光悦の法華経との係わり、聖教殿設計者の伊東忠太と装飾怪獣でした。……
日蓮宗の大荒行は日本最大の苦行、比叡山延暦寺の千日廻峰に対比されるとお聞きして調べますと、参行資格者は日蓮宗の僧侶で加持祈祷の資格者養成、即ち布教の第一線を担う人材らしいのです。 これは寒中百日間の苦行で毎年11月1日に境内大荒行堂に入堂、翌年二月十日に達成します。   一年に一度のこの荒行を初行から五行まで5回、500日間の苦行を通じて秘法の伝授を受けるのです。……極寒の100日間…午前3時前に起床、午後11時まで7回の水行。その合間は読経、入行回数別に伝師や先輩僧侶から指導を受ける。 睡眠…1日3時間。食事…薄い白粥と味噌汁梅干のみ。衣服…白木綿単衣と麻の如法衣、足袋は許されず「あかぎれ」して、さらに化膿する足を引き摺り、飢え、寒さ、睡眠不足に耐える修行が大荒行と云われます。……
境内の五重塔は元和八年(1622)建立、願主は本阿弥光室で両親菩提の供養という事ですが、寄進者は加賀三代藩主前田利常(利光)です。光室に頼まれたのでしょう。 光室は京都で刀脇差鑑定を業とする本阿弥本家で、二代将軍徳川秀忠の刀脇差御眼利指南として仕えていたようです。
また分家の本阿弥光悦法華経寺の祖師堂、法華堂、山門(仁王門)の扁額を寄進しており、時代を代表する書家として寺に奉納したと思われますます。 その本阿弥光悦とは現代で云う美術工芸家で作品は書画、陶芸、漆芸その他が国宝、重要美術品として多数残されているマルチアーティストで徳川家康から三代家光将軍や後水尾天皇にも格別に認められた大家です。  この本阿弥家一族は法華経に篤い信仰をもち財力にも恵まれ江戸往来など、事ある毎に中山法華経寺池上本門寺に参詣寄進し熱心に供養をしており、寺との深い絆が在ったのでした。 墓地には光悦の墓(分骨)があります。
法華経寺聖教殿 

さて、冒頭の話、聖教殿に移ります。明治から昭和前期の日本の代表的建築家伊東忠太の設計による法華経寺境内唯一の石造建築が聖教殿です。
国宝は”立正安国論”など二点、重要文化財六十四点その他寺宝の収蔵庫で昭和6年(1931)建築の堅固な建物で、私は最初、巨大な仏舎利塔程度に考えておりましたが解説板から伊東忠太設計と知りよくよく見ますと…住んでいます!! 建物の要所要所には怪奇な動物らしき装飾が施され狛犬らしき物も居て伊東忠太の世界がありました。
伊藤忠太の設計建築作品としては東京近辺では築地本願寺、両国東京都慰霊堂一橋大学兼松講堂、孔子廟湯島聖堂、大倉集古館、靖国神社明治神宮などあり、神社は別として妖怪、怪獣の類の装飾が随所に見かけられ、既に文化財的建物の趣を更に深めて居るようです。中山で伊東忠太に逢うとは驚きでした。 なお、港区内幸町の”みずほ銀行”(旧勧銀)前の大阪ビルの壁面装飾の怪獣のオンパレードは圧巻でした。残念、今は改築され幾つかはモニュメントとして広場に飾ってあります。 ……前へ戻る
……次回へつづく

船橋 市川の探訪》
(4) 船橋散策案内
(3) 船橋という街 永井荷風、太宰治
(2) 法華経寺大荒行、本阿弥光悦、伊藤忠太
(1) 中山の巨刹 法華経寺