[地域] 東海道品川宿(6-6)歩行新宿、品川神社と東京サウスゲート計画の進捗。

東京サウスゲート計画、下水道局浄水池空間有効利用1号NTT都市開発ビル工事
     


お江戸日本橋から品川宿に入りますと旧街道を歩行新宿(かちしんしゅく)と呼ばれます。 本来品川宿は目黒川を挟んで北品川、南品川とされ、更に江戸寄りに新宿が認められ三箇所を含めて品川宿が成立っていました。
では、歩行新宿とは…宿場の機能の伝馬と歩行人足の内、新宿が歩行人足を用立てる場所だった謂われからでした。 残念!面白味の無い話でしたが、反面遊郭(旅籠)の大見世「土蔵相模」や「島崎楼」の在ったところで幕末の騒動でも土蔵相模の名が出てまいります。 落語の”品川心中”や”居残り左平次”の舞台がここで、旧街道の下には品川浦の海辺です。 昔の話を並べたところでその残滓さえも既に失われたのが現代でしたが。 また品川は戦後赤線時代ぱっとしない三流地帯、商店街民家混在地帯は戦後はだめ!、街道の遊郭を新地に集約した場所、新宿二丁目、洲崎、船橋、千住など、吉原は別ですが同じ条件のところが盛りました。
戻りまして、島崎楼の下の昔の海辺に荒井屋と云う、うなぎの店が2,30年も前に商売しておりましたが、遊郭に台の物を入れる有名店だったそうです。 昭和の時代まで店を引き継いでいたのには驚きました。
合本東京落語地図佐藤光房 朝日文庫 居残り佐平次の記事から
……往時をしのびながら歩行新宿を歩いていて、昔の島崎楼の近くに、「荒井屋」という小さなうなぎ屋を見つけてびっくりした。というのは、一夜あけて湯から上がった佐平次が「荒井屋イ言って中荒(中串)かなんか取ってもろおうじゃねえか……鰻茶漬(うなちゃ)かなんかやろうじゃねえか」というくだりがあるのだ。……
上)品川遊郭で台の物商い、うなぎ荒井屋廃業時の建物 中)品川浜船溜り 下)品川神社
    



八つ山橋下の都営バス車庫の先、品川浜の船溜りから歩行新宿に上る坂下に荒井屋の昔の店が残されております。 またここの船溜りに出来た街が映画「釣り馬鹿日誌」の舞台で、釣り船、屋形船が犇いておりますが、私はスーさんがハマちゃん夫婦を訪ねた路地の情緒を夢中で探しましたが!……。
それでは一転、第一国道明治通り交差点近くの品川神社の参拝です。この神社も江戸時代までは「牛頭天王社」でした。 南の天王社荏原神社に対し北の天王社です。品川宿の天王祭りが盛り上がるのも北と南の合同の御祭礼だからです。 国道沿いに龍の絡んだ石鳥居と長い石段の上がお社です。明治新政府以前の中近世は牛頭天王が主な祭神で徳川家康や三代家光から篤い庇護をうけております。
更に遡れば創建は文治3年(1187)安房の国、洲崎明神の天比理乃�刧命(あめのひりのめのみこと)を勧請して品川大明神と呼ばれ、元応1年(1319)鎌倉二階堂より宇賀之売命(うがのめのみこと)を勧請し社殿再興がなり、稲荷社と呼ばれた事もあるのでしょうか?
そもそも千葉県安房は古代に四国阿波の阿波忌部氏が流れ着いて土着したとされ、忌部氏(何処から日本に来たか不明)の祖神を祀ったのが洲崎神社と云われますが、大和朝廷成立に加勢した豪族とされます。 ここでも記紀神にすり替えられたのか、存在しない話!天岩戸や神武天皇の関わりで真実の歴史が見えなくなってしまいました。
現在の品川神社の御祭神。
天比理乃竎命(あめのひりのめのみこと)
素葢鳴尊
宇賀之売命(うがのめのみこと)
この御祭神を見た限り、以前は仏教、民俗的神様の影響下にあつた神社として明瞭です。先ずは神社の御由緒を読みながら、…
文明10年(1478)には素蓋雄尊を勧請したとありますが、江戸時代の社名からも牛頭天王の事であり、明治の神祇官の命に従い素蓋雄尊に名称変更したのでしょう。 
また、”宇賀之売命”とは…古代の民俗神、農作の神であった”稲生、稲成”から転化した稲荷に、ご多分にもれず700年代以後は記紀の神、宇賀之売命を主神に宛てる様になりました。 他に仏教寺院として豊川稲荷系のお稲荷さんもあります。
上記の如く本来の阿波忌部氏祖神に記紀神の天比理乃竎命を主祭神として当てはめたと思われます。
……品川神社のもう一つの遺構、御本殿の裏へ廻る路がありますが、神社の説明板には……境内裏には板垣退助墓所もあるのです。由来は隣接した高源院に板垣の意思により葬られましたが、関東大震災後に寺は世田谷の烏山に移転します、高源院では彼の望みを尊重し墓は残しましたが、跡地は中学校になり墓参の道がなく、品川神社で便宜を計り境内からのお参りを配慮したのです。…と書かれております。
江戸国学者明治新政府の行った宗教干渉政策が日本の文化破戒を顕著にし、更に改ざんされて、現在伝えられる西暦600年以前の日本は歴史学の対象にならないとされ、日本国の原点が解明出来なくなっております。
今回言及しませんでしたが、多くの江戸遺構が品川宿近辺に展開して、1日2日程度では探索は無理かと思います。 
ついでに話題の山手線芝浦新駅のキーポイント下水道局芝浦水再生センターの上部空間利用の第一号ビルNTTビルの進捗情況を見に行きました。貯水池地下化工事が間も無く終了、ビル鉄骨組上げ前段階に入っており、東京サウスゲート計画の根幹は下水道局浄化池、JRヤードの空間利用が必至の計画案と思えました。 ……前回へ戻る

東海道品川宿

(6) 品川神社と東京サウスゲート計画の進捗
(5) 南北の天王さま 荏原神社、品川神社
(4) 東海禅寺 禁中並公家法度の断罪沢庵和尚
(3) 海晏寺 岩倉具視の危い塋域
(2) 歴史回顧のできる場所
(1) 鈴ケ森刑場と大森海岸