[寺社][歴史] 江戸六地蔵 (1)ー6 新宿太宗寺と界隈

お江戸の痕跡は寺社、江戸城と外郭などに僅かに残る東京ですが、戦火を逃れた巨大な六地蔵が辛うじて余韻を伝えております。
今回は内藤新宿と云われた旧街道宿場にある 浄土宗「太宗寺」のお地蔵様から始めます。

ま、物には順序と云う事で、六地蔵建立の経緯から……江戸深川に住む地蔵坊正元と云う方が宝永3年(1706年)に発願し7万2千名を越える寄進者を募り江戸街道6筋に各々地蔵菩薩坐像を建立したもので、地蔵坊正元さんは病苦平癒を地蔵佛に祈願、その成就が発端と云われますが、六ヶ所の巨大な青銅佛を宝永5年(1708)から享保5年(1720)の僅か12年間で実現した彼の信用の根源は何なのか?、僧侶か?、当時は大事業だったのでしょう。よく見ますと寄進者名は青銅佛、蓮華などに刻されています。
新宿は第3番目正徳2年(1712)建立地の太宗寺とは閻魔大王のお堂があるお寺でも有名です。人生色々…なにか身に覚えのあるお方様はお早めに閻魔堂のお参りをお勧めします?、堂内には奪衣婆もいらっしゃいます。 また高遠藩主内藤氏の墓地も二三境内に残され、大本堂は戦後のモダン建築ですが、社葬などにもよく利用される有名寺院です。
新宿こと、宿場町内藤新宿の成立は五代将軍徳川綱吉時代、元禄十一年(1689)土地の名主等の願いで幕府により開設され、現在の伊勢丹交差点(追分)から四谷大木戸の間、太宗寺付近を中心に開けた宿場で甲州街道第一番目の高井戸宿の手前に出来た新しい宿場、即ち新宿です。 
では、内藤氏とは徳川家康江戸入府に際し家臣の信州高遠藩二代目藩主内藤清成が北条氏(小田原)の残党の江戸流入の警戒役として当地に陣取り無事役目を果たした褒賞として当地一帯を家康より与えられ、現在の新宿御苑中屋敷に居住した事によります。 


photo…太宗寺不動堂

では、宿場街を核心とした話にまいりましょう。 当然宿場の飯盛り女からお定まりの遊郭へと発展、そこで起こった事件が瞽女(ごぜ→盲目の女旅芸人)の口説きから八木節の調子になりました。……花のお江戸の、そのかたわらに、聞くもめずらし心中話、 ところ四谷の新宿町の、 紺の暖簾に桔梗の紋よ、 音に聞こえし橋本屋とて、あまた女郎衆の、あるその中で、 御職女郎しゅで白糸こそは、愛嬌よければ皆人様が、 われもわれもと名指しで上がる、 分けてお客はどなたと問えば春は花咲く青山辺の鈴木主水と云うさむらいが、 女房持ちにて二人の子供、二人子供のあるその中で、今日も明日もと女郎買いばかり、………
相当長い口説きですので初めの部分だけにします。妓楼があれば女性哀史が付き物ですが、内藤新宿の投げ込み寺は太宗寺の僅かに北、靖国通りに面した成覚寺です。 宿場と深い縁のある”子供合埋碑”(ごうまいひ)、旭地蔵、鈴木主水白糸塚など内藤新宿の旧地より移され集約されたものです。


photo…子供合埋碑と旭地蔵
子供合埋碑は三ノ輪の浄閑寺にある”生まれては苦界、死しては浄閑寺”の新吉原総霊塔にあたる遊郭女郎の供養碑で親に売られた薄幸の娘達はまだ肩上げした着物の少女達も多く妓楼主が子供と称していたのでしょう。
朝日地蔵とは…当時、内藤屋敷(新宿御苑)に副って玉川上水が流れ娼妓の入水、客との心中が多発し、その供養に玉川上水脇に建立されお地蔵様だそうです。
……この近辺は宿場に拘わる遺構が結構あった場所で、山手通り高島屋デパート前にある天竜寺は昔から有名で梵鐘の時の鐘は”追い出しの鐘”とも呼ばれ泊り客を翌朝の追い出し合図に利用されたようです。
そのほか高島屋進出まえの旭町ドヤ街は江戸時代は天竜寺門前と呼ばれ、そこに住み、盛り場で雑芸をしてお金を貰う人々は乞胸(ごうむね)と云われ、なぜか差別の対象で、その芸とは、綾取り、猿若、辻放下、浄瑠璃、物真似、物売、江戸万歳、説経、仕方能、講釈、辻乞胸、詳しい内容は分かりませんが、現代のテレビを賑わす芸人やタレントさんのルーツの人々です。……如何でしょうか、現社会にも残る江戸時代の差別とはこの種の不条理極まれりでしょう。 更に住民は願人坊主とか、お隣の都立新宿高校(府立六中)は近世の処刑場跡とされ、そこで仕事をしていた人など多種多様な人が棲息したシマなどと呼ばれた処でした。かって名人落語家古今亭志ん生さんお得意の噺”黄金餅”の出発地、山崎町(下谷、東上野)が当地と同じ部類の街になります。  明治通り甲州街道の交差点新宿4丁目に小さな雷電稲荷神社があり脇の路地は天竜寺裏に通じておりますが,再開発から残され、往時の旭町界隈の片鱗を僅かに残しております。

太宗寺→地下鉄丸の内線新宿御苑前下車 新宿区新宿二丁目
成覚寺→地下鉄丸の内線新宿御苑前下車 新宿区新宿二丁目

次回は江戸六地蔵第一番東海道品川寺と界隈です。 ……先へつづく

江戸六地蔵
(6) 浅草、巣鴨と孝明天皇急死疑惑と旧中山道の因縁
(5) 深川永代寺の廢佛毀釋と破壊の真実
(4) 深川霊厳寺 芭蕉庵と小名木川(二)
(3) 深川霊巌寺 清澄白河界隈と紀伊国屋文左衛門(一)
(2) 品川寺 品川松右衛門と投込み寺
(1) 新宿太宗寺と界隈