[地域][風俗] 本郷 根津界隈(2)−2 根津遊郭と東京帝国大学

宝永三年(1706)五代将軍綱吉の時代の根津権現社建立以来の岡場所が明治に入り江戸四宿並みの公許遊郭になりますが、明治19年(1886)に東京帝国大学が発足します。大学と遊郭が上と下の関係…丘下根津の遊里は至近の場所柄です。
と云う事で、大学発足以前から医学部の前身東京医学校学生など盛んに出入りしていたのです。 学生諸君の勉学を妨げ、将来を危くする根源!、女性達の存在が問題化します。…当局の結論は遊郭廃止となりました。
根津といえば千駄木森鴎外旧居の観潮楼跡があり、ここで書かれた作品の中に「ヰタ・セクスアリス」と「雁」には医学部学生の往時の生態が垣間見える記述が残されております。…ま、無菌培養と云うか、日本社会全体が井の中の蛙でしたから、上から下まで諸事ご同様だったのでしょうが……
     
               根津遊郭大八幡楼 photo 不思議の町 根津 森まゆみ ちくま文庫
ヰタ・セクスアリス 森鴎外
……それから古賀が歩きながら探険の目的を話した。安達が根津の八幡楼という内のお職と大変な関係になった。女が立て引いて呼ぶので、安達は殆ど学課を全廃した。女の処には安達の寝巻や何ぞが備え附けてある。女の持物には、悉ことごとく自分の紋と安達の紋とが比翼ひよくにして附けてある。二三日安達の顔を見ないと癪しゃくを起す。古賀がどんなに引き留めても、女の磁石力が強くて、安達はふらふらと八幡楼へ引き寄せられて行く。……
……安達は程なく退学させられた。一年ばかり立ってから、浅草区に子守女や後家なぞに騒がれる美男の巡査がいるという評判を聞いた。又数年の後、古賀が浅草の奥山で、唐桟づくめの頬のこけた凄い顔の男に逢った。奥山に小屋掛けをして興行している女の軽技師があって、その情夫が安達の末路であったそうだ。……

また、作品『雁』にも医学部の前身東京医学校時代の寮の小使いの男が学生の遊興費など貸付、次第に金貸業として成功、若い娘を妾にして本郷無縁坂に妾宅を構えるのですが、そこを舞台に若い妾と一学生の情緒が小説の触りになっております。 
東京帝国大学の学生と根津遊郭娼妓の特筆される関わりは大八幡楼の娼妓”花紫”です。シエクスピア翻訳でも有名な文学者、坪内逍遥東京帝国大学の学生時代に数年間通いつめて明治十九年に正式に結婚しております。 しかし、逍遥自身相当な意思と思慮によるもので、其の後、名声に伴う公職就任をことごとく辞退しセン夫人(花紫)の過去を世間の口端から避け、彼女との安寧な生活を生涯守り続けました。なお実子はありません。 
確か10年以上も前の話で恐縮ですが、TV番組で坪内逍遥の旧居、熱海の双柿舎での設定で女優坪内ミキ子氏の祖父が逍遥と紹介されており、一寸気掛りで調べました。ミキ子の父坪内士行早大教授 劇作家 昭和61年没)は逍遥の兄義衛の三男で明治二十四年(1893)七歳の時、逍遥の養嗣子となりました。 大正八年(1919)士行が三十四歳のとき養子縁組を解消しております、ミキ子の出生も昭和十五年(1940)で従って坪内ミキ子と逍遥との養祖父、孫の関係は当たらないようですが? ……
またなぜ二十六年間の養父母の間柄を解消したかは養母センに係わる坪内士行自身の将来への不安悩みの結果、士行が決断したと私は推理想像をしました。……
 森まゆみ著 ”不思議の町根津” ちくま文庫より
甥である坪内士行氏は『坪内逍遥研究』の中で、明治維新期の政治家、実業家は多く芸妓を妻としたが、芸妓と娼妓では格がちがい、夫の職業によっては非常にハンディキャップとなった。特に逍遥が浮気鳥の文士、劇作家に終わればまだしも、教育の方面に関係せざるを得なく………と記述しております。  ここで、花柳界や娼妓私娼の話になれば、彼女達を家に入れた経験者、文豪永井荷風さんの登場となりますが、! 彼の述懐をどうぞ……
濹東綺譚 永井荷風著 新潮文庫より
………わたくしは若い時から脂粉の巷に入り込み、今にその非を悟らない。或時は事情に捉われて、彼女達の望むがまま家に納れて箕帚(きそう)を把らせたこともあったが、然しそれは皆失敗に終わった。彼女達は一たび其境遇を替え、其の身を卑しいものではないと思うようになれば、一変して教う可からざる懶婦(らんぷ)となるか、然らざれば制御しがたい悍婦(かんぷ)になってしまうからである。………      
注) 懶婦→不精な女   悍婦→じゃじゃ馬  
坪内逍遥の人生、永井荷風の結論はどうやら相反と受け止めましたが……さて、如何なものでしょうか?…
根津遊郭廃止の当局の判断是非は別として、遊郭は明治二十一年(1888)、時の警視総監三島通庸の肝煎りで深川洲崎の埋立地に移転して行きます。洲崎遊郭は戦災で焼滅、公娼廃止を経て、戦後は赤線、洲崎パラダイスとして下町情緒の私娼街を形成しておりました。……おわり…
……前回へ戻る
《本郷 根津界隈》
(2) 根津遊郭と東京帝国大学
(1) 根津権現社と根津遊郭